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「他人様は他人様」を忘れずに

他人様は他人様」なので、過度に関与することはないと思っています。

でも、こんな記事をみかけてしまったら、どんな「名回答」なのか気になってしまって、ついつい覗いてしまいます

この話を聞いたジャガーは「そう思われてる人は、そう思われてればいいんじゃないでしょうかね。意見がちがうのは、夫婦当たり前なんで“あなたはそうなのね”って思っておけば、腹も立たない」と、アドバイスを送る。
 「でも“私の意見は違うよ”ってことを言っておけばいいんじゃないですか?言い合ったら、喧嘩になるわけですよ。散々私もそういう思いをしました、でもそれは無駄な喧嘩なので。半分以下に聞いておけばいいんじゃないですか」と、経験談を交えて語っていた。

スポニチアネックス
「「旦那の“コロナ陰謀論”がつらいです…」視聴者のお悩み相談、ジャガー横田が名回答」
2022年10月1日より引用

この文章を読んで、ちょっと固まりました
(・A・)ぇー・・・

意見が違うことを認める程度で済むのなら、めちゃめちゃ簡単です。話は、そんなに単純ではありません。これで「名回答」って思われる方々、大丈夫でしょうか

例えば、仮に家族がワクチンの後遺症に悩まされることになったとして、その経済的負担をどうするかという深刻な問題があります。

この投稿はドイツのものですが、この手の話はドイツに限りません

日本でも、ワクチン後遺症については、国が認めてくれていないため、仮に何か問題が起こったとしても、泣き寝入りをするしかない状況です。

そうした状況について、意見の食い違いがあるからこそ、皆さん、揉めているわけです。そして、そのワクチン後遺症によって、家族が背負いこむ経済的負担は、とんでもないことになりかねません。

そこまで分かってます???

いやまぁ、「他人様は他人様」なので、いいのですが・・・なんにせよ、おめでたいものだと思わずにはいられませんでした。

他人様は他人様」ということで言えば、こちらのニュースでも、あらためてそれを感じさせます

発表によると、船木容疑者は昨年12月、愛知県稲沢市の40歳代女性と10歳代の娘2人の計3人について、実際には接種を行っていないのにワクチンを打ったと偽って同市から接種委託料計約1万4000円をだまし取るなどした疑い。黙秘している。

読売新聞オンライン
「ワクチン詐欺で再逮捕の医師「コロナワクチンは危険だと思っていた」…居酒屋で偽の予診票作成」
2022年10月3日より引用

いろいろとツッコみどころだらけのニュースです。そしてまた、人によっても、いろいろなツッコミ方があろうかと思います。

そのなかで、私としては、とくにこの方の「善意」の部分について注目してみたいと考えます。

この医師の方が、どのようなつもりで、こうした行為に及んだのか、正直、よく分かりません。ただ、あくまでも推測に過ぎないながらも、「コロナワクチンは危険だと思っていた。患者に生理食塩水を打ったこともある」と述べているところをみると、この方なりに「善意」に依る行動だったように思うのです。

そして、そうだとしたら、分からないでもありません。危険だと思っているのに、それを患者に注入するなんて、良心が痛むことでしょう。

この件を巡っては、私の脳裏に「命のビザ」を発給したとして有名な杉原千畝の話が浮かんできました。

第二次世界大戦という人類史上類を見ない暗黒の時代に、組織人としての服務規律と人命救助の間で葛藤しながらも、最終的には個人としての良心を保ち行動し得た外交官杉原。今なお世界各地で偏見や人種差別に基づく戦争が絶えない状況に鑑みると、その行いや背景となる思いは、人類が未来永劫にわたって希求すべき人種・民族を超えた人道主義・博愛精神の稀有かつ勇気ある表出例として、世界が共有し次世代に語り継ぐべき真正無二の行いである。

「杉原千畝命のビザ」HPより引用

組織の規律などではなく、個人の良心を優先させて、目の前の人たちを助けたという美談です。

もしかしたら、この医師の方も、そうした正義感や良心に基づいて、今回の行為に及んだのかもしれません。

ただ、今回の件、杉原千畝の話とは、決定的な違いがあります。それは、その「善意」を向けられた人々が、それを望んでいたかどうかです。

上掲の記事には、「女性は「ワクチンを打ちたくないなら、接種を断ってほしかった。体の中に何を入れられていたのかと思うと、ぞっとする」と憤った」とあります。つまり、その「善意」を向けられた人々は、必ずしもそれを望んでいなかった可能性があるということです。

むぅ・・・どうなんでしょう

私なりに、記事冒頭の「他人様は他人様」の精神に従うのであれば、ワクチンを望む人には、ただ接種をすればよかったのではないかという気がしています。ご本人が望むのですから、それを勝手に阻むというのは、いろんな意味でリスクを伴います。嘘をつくことにもなります。そして、今回のような事件にもなりうるわけです。

例えば、良心が痛むというのであれば、記事中の女性が言う通り、接種を断るという手もありました。

今の世の中、いろんな嘘が蔓延っています

世の中には、良い嘘・悪い嘘があるといいますが、仮にその人を救いたいというのなら、嘘ではなく、正々堂々、論じたらどうだったのか?とも思います。

論じたところで説得できない?

いや、説得できないのなら、それこそ「他人様は他人様」です。

こんな社会なので、皆さん、いろんな葛藤のなかで苦しまれるのではないかと思います。この医師の方も、とても深く悩まれていたかもしれません。深く悩んだ結果として、今回の行為に及んだ可能性だって否定しえません。そういう意味では、とても非難なんてできません

ただ私たちは、こういう話に触れるたびに、自分たちは、周りの人たちとどのように接していくべきか?を考え続ける必要があるのではないかと思います。

コロナ騒動は、いろいろなことを教えてくれていると思います。そのなかのひとつが、人とのお付き合いの仕方のような気がするのです。
自分と他人との境界線をどこに引いたらいいのか、いろいろと悩む人もいるでしょう。コロナやワクチンに関することは、命に関わることでもあるので、非常にセンシティブとも言えます。

「コロナ騒動も成長のチャンス」より引用

そのなかで、いろいろな考え方はあるものの、私なりに、自分の人生が振り回されないための大切な視点として、あらためて「他人様は他人様」を挙げておきたいと思うのでした。


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