「正しさ」が金で買える時代だけど
マスクは、ドレスコードだということで、一応、受け入れることにはしています。
一瞬、コンビニに入るくらいはしょうがないです。
マスクの有効性とか、科学的根拠とか、そういうことじゃなくて、そんな議論すら許さず、「とにかくしてください」というのだから仕方ありません。
でも、ちょっとバカバカしいので、こっちもそれに合わせて、最近はこういうのを使ったりしています。
なんかもう・・・こっちも遊んでないとやってられません。おかしな格好ですが、おかしな世界にはピッタリです。
しかし、コンビニのようにすぐに出てこられないところは、本当にキツイです。最近は、JRでも車内や駅構内でのマスク着用をお願いされるので困ります。さすがの私でも、通勤中、あのマスクをずっとつけている勇気はありません。
ろくに科学的な根拠もないまま、あんなものを長時間強要する世界になったということが、本当に驚きです。科学に基づかない「正しさ」が、金で買える時代なのだということを痛感します。
ちょっと話は変わりますが、「開かれた議論」というのは大切です。
「開かれた議論」とは、お互いの顔が見えていて、何をしゃべっているのかが、すべてみんなに見える状態での議論です。こうなっていると、なかなか変なことは言えません。反論が怖いので、適当なことは言えなくなります。
例えば、マスコミでは、「開かれた議論」はさせてくれません。一見、「開かれた議論」をさせてくれるようにみせかけておいて、その実、都合の悪い議論は排除するようにしています。
通常、マスコミに出られる人というのは、出演時点で、既にフィルターがかかっているため、こんなシーンが放送されること自体が稀ということになります。
こうした事態が起こった場合、マスコミは、退場させられた側が「ルールを破った人」、「議論を妨害した人」という印象を与えて、極めて恣意的な番組制作をしているマスコミの方に「正義」があるかのような演出をするわけです。
マスコミは、一方通行のメディアです。ゆえに、大衆に流す情報はいくらでもコントロールできてしまいます。それに反論しようとしても、その反論自体が大きく拡散することはありません。
「死人に口なし」とまではいかないにしても、「大衆に口なし」状態です。「開かれた場」での反論を許さないわけですから、情報を流す側は、好き勝手言うことができます。
イベルメクチンのような治療薬に関する議論を封じて、こんなワクチンありきの論説を展開する人たちには、心底うんざりです。あんなハチャメチャなワクチンの話をもって、化学技術の衰退を論じるなんて、暴論も過ぎると思います。むしろ、イベルメクチンに焦点を当てたら、結論は全く逆なのではないでしょうか。
でも、それが許されるのがマスコミです。
そんな一方通行のマスコミに対して、インターネットは双方向通信です。そこには「開かれた議論」が実現する可能性が大いにありました。
例えば、新型コロナウイルスが問題になり、ワクチンが議論される前段階で、イベルメクチンに関する議論が、オープンに行われていたら、今の世界の状況はまったく変わっていたことでしょう。
そういう意味で、私は、昔からインターネットの言論に希望を持っていました。
10年以上も前ですが、アイピーモバイルという会社で、携帯電話の電波をとったとき、私がサービスとしてやりたいと思っていたのは、そうしたインターネットの特性を活かした言論プラットフォームの構築でした。
世界には、いろいろと根深い問題がありそうだけれども、そうした言論プラットフォームが立ち上がることで、「開かれた議論」が活性化し、世界は良い方向に向かってくれると信じていました。
2020年に他界された東京大学名誉教授の國井利泰先生とは、よく「超グーグル」、「グーグルを超えよう」という話で盛り上がったのを覚えています。当時、國井先生は、CDS(セルラーデータシステム)という、これまでにないデータベースの仕組みを考案されていました。
グーグルを超えるだなんて、とんでもないことだけれども、当時は真剣に「できる!」と思っていました。そうした新しい技術を使って、日本発のインターネット文化を作っていこうという話をしていたのです。
でも結局、私はそのサービスを立ち上げることはできませんでした。いろいろと力及ばずです。
その後、グーグルをはじめとした世界的な巨大IT企業は、彼らが提供するインターネット上の言論空間が自由であるかのように装いつつ、「開かれた議論」を封殺しました。
完全にやられてしまった状態です。そして今日、「開かれた議論」はなく、科学に基づかない「正しさ」は、金で買えるようになったということだと思います。
上で紹介した動画も、インターネット上からことごとく削除されています。きっとこの記事に貼り付けた動画も、早晩、削除されることでしょう。
しょうがないです・・・。
ただし、希望が潰えたわけではありません。
インターネット上の言論空間は、検閲・統制がされているにしても、完全に封殺されているわけではありません。現に今、私はこのように情報発信ができています。ゼロにされていない以上、いくらでも手はあります。
また、科学に基づかない「正しさ」は、金で買えることができるとしても、私たちが信じる「正しさ」まで買うことができるわけではありません。私たちが信じる「正しさ」は、あくまでも私たちだけのものです。金積まれたって、脅されたって妥協しません。
おかしな世界です。國井先生もお亡くなりになり、新しいデータシステムを使った「超グーグル」の夢も霧散してしまったように思います。
でも、まだいくらでもやりようはあります。
戦い方を変えていけば、まだまだいけますっ!