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ファウチが酷すぎて遊んじゃう

パンデミック絡みの件、もう終わったことだと思いつつも、いつもツッコミどころだらけなので、ついつい遊びに来ちゃいます

これは、2021年7月の記事です。

ファウチ博士は、従来株より感染力の強いデルタ株が、ワクチン接種率の低い地域での感染を急増させていると述べた。
そして、接種完了者に対するマスク着用ガイドラインの見直しを、保健当局が検討していると話した。
新型ウイルスの影響を受けやすい高リスクの人たちにブースター(追加免疫)接種を提供することも検討しているという。

BBC NEWS JAPAN
「ファウチ博士、アメリカは「間違った方向に向かっている」マスク指針見直しも」
2021年7月26日より引用

日本でも、あちこちのメディアで取り上げられている大権威・ファウチ博士のお言葉です。①ワクチン接種率の低い人が感染を急増させている、②ブースター接種も検討、ということで、多くの人々がワクチン接種に掻き立てられたことでしょう。

そして、それから5か月足らずで、その「大権威」は、ワクチンが事態を悪化させた可能性があると言い始めたようです。

アンソニー・ファウチ博士は、「Meta」のCEOであるマーク・ザッカーバーグ氏と対談し、1年以上前から多くの人が警告してきたmRNAワクチンについて、ついに声を大にして語りました。それは、Covidのパンデミックを悪化させる可能性があるということです。

BECKER NEWS
「Dr. Fauci Admits That Covid Vaccines May Actually Make People ‘Worse’: “It Would Not Be The First Time”」
2021年12月13日より引用(機械翻訳)

既によく調べてきた人、とくにこれまでの間「陰謀論者」扱いをされてきたような人たちには、既知の事実だと思いますが、この「大権威」は、本当にただの似非科学者です・・・ね。

近頃、ビル・ゲイツ氏もワクチンで感染を防ぐことができなかったということを認めていますし、ワクチンをめぐる議論については、少し風向きが変わってきたように思います。

こうした動きは、国民の怒りに火をつけて、国家・政府の仕組みを崩壊させるような方向に向かわせるかもしれません。

その結果、民衆の怒りは爆発し、力のない国家から崩壊していくというシナリオが描かれているのではないかということです。「アラブの春」と呼ばれる一連の混乱が、まさにそれでした。
国家が崩壊するということになれば、国が混乱するだけでなく、その国の民衆は無力になります。ここにグローバリズムが入っていく余地が生まれるわけです。

「国民に国家を倒させる!?」より引用

今のところ、ワクチンによる被害、危険性について、大っぴらに言われることはありませんが、もしそれがあきらかになってしまったら、それこそ大変なことです。

政府や「大権威」の言うことを信じて、ワクチンを打ったはいいけれど、その結果、生命が危険に晒される、もしくは奪われるようなことに繋がるとしたら、それは激怒するのも当然です。許しておけません。

ただ一方で、接種しなかった人たち、政府や「大権威」の言うことを聞かなかった人たちは、それに乗っかる必要はないように思います。もちろん嫌な思いはしたし、社会だってグチャグチャにされてしまったし、実害がなかったわけではありません。大変な迷惑を被りました。

けれども、ワクチンを打ってしまって、取り返しのつかないようなことにはならなかったとも言えます(例えば、ご家族や大切な人が犠牲になったなどという問題もあるでしょうから、一概にはいえませんが、それでも「ご本人」が無事であったのならば、一旦、それでよしとするのは手だと思います)。

そんな人たちは、あえて政府や「大権威」に怒りをぶつける必要はなく、「あー、やっぱりそうだよねー」くらいに流してやるのがいいように思うのですが、どうでしょう。

おそらく、物事には勝負どころというのがあります。

勝負どころって大事です。勝負しなくてもいいところで、突撃してしまうと、無駄な損害・被害が出てしまいます。も作ります。摩擦も生みます。
そんな突撃のせいで、肝心の勝負どころで勝負できなくなってしまったら、それこそもったいない限りです。肝心の勝負どころを、万全の態勢で迎えるためにも、のらりくらり過ごすのも大切です。

「めいこさんのお説教」より引用

それはそれ、これはこれ」で済む話であれば、極力、それで済ませたらと思うのです。許すわけでもなく、迎合するわけでもありません。ただ、そこは敢えて、見送ってみてはどうかということです。

例えば、明治維新を思い起こしてみます。

浦賀の黒船来航以降、安政の大獄やら、桜田門外の変やら、いろいろなことがあって、たくさんの国を憂う人たちが亡くなっていきました。大変な時代です。そういう激動の時代には、たくさんの人々が亡くなっていっているわけです。

そこで亡くなった人たちにも、それぞれの役割があって、それらが無意味だったとは思いません。しかし、本当に明治の新しい時代を切り開いていった人々は、その渦の中では、命を落としていないのです。生き延びて、次の時代を作っていきました。

今の時代を考えたとき、どうせならば、その次の時代を切り開くくらいのつもりで生きてみてはどうでしょう。

今は、メチャメチャです。本当にメチャメチャですけど、たまにツッコミを入れる、もしくはそれで遊ぶくらいにしておきません?という提案です。

戊辰戦争のさなかの慶応4(1868)年5月15日、上野で官軍と彰義隊の戦闘が行われ、砲声殷々として江戸市中に響きわたる中、福澤諭吉は動ずることなくいつものように舶来のウェーランド著の経済書を講述し、学問研究の一日もゆるがせにできないことを塾生に示しました。

慶應義塾HP「ウェーランド講演会」より引用

上野で戦闘があり、砲声がとどろくなか、慶應義塾の福沢諭吉は淡々と講義を進めたといいます。動乱に動じず、ここまで真面目に「学問研究」をしなければいけない、というつもりはありません。

けれども、混乱には身を投じず、少し離れたところで、やるべきことを淡々としてみてはどうかと思うのです。

そう・・・今のパンデミック騒動、私の中では、なんとなく「でんでん太鼓」のようなイメージです。

これからのことを考えたら、やることだらけです。それらを「ワーッ」と片付けていきます。

で、ふと一息ついたとき、横に目をやるとコレが転がってる感じです。

デンデンデン・・・

ぐふふ、そんなことになってるのねぇ

ゆるーくです、ゆるーくです。


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