「人に興味がない人」の言い分
この記事をみて、きっと私のような人間のことを言っているのだろうなぁと思いました。
興味がないというよりも、他人におせっかいはしたくないし、自分へのおせっかいもご免だし、それぞれの人生を尊重しながら生きていきましょうというだけです。
以下の記事では、群れる人と群れない人についての違いを整理しましたが、ここで言うところの「人に興味がない人」というのは、「群れない人々」のことを指しているのだと思います。
とにかく、集まること自体が目的化している「群れる人々」からすると、「群れない人々」の態度は、「人に興味がない人」という見え方になるのでしょう。
ちょっと面白そうだったので、この「人に興味がない人」の記事に対して、私なりのコメントを付してみたいと思います。
まず、「人に興味がない人」には、以下のような特徴があるそうです。
正直、この特徴をみてほぼ異論はありません。むしろ「すごくいいじゃん?悪いことひとつもないよね?」とすら思います。ひとつコメントするならば、「6.他人を信用していない」というのは、少しピントがズレている可能性があります。
「他人を信用していない」という理由に対して、「昔他人から裏切られた」、「トラウマがある」などといった、ネガティブな面ばかりから分析されているような印象です。
これだと、そういう心の傷を負ってしまったことによって、「人を信用できなくなってしまった(かわいそうな)人」というイメージになってしまう可能性があります。これは、「群れない人々」の心理について、核心部分を理解していない人の書き方のようにみえます。
例えば、私の感覚でいうならば、これは「他人を信用していない」というよりも、「他人に過度な期待をしない」という言い方になります。
人はさまざまです。
誠実に振舞ってくれる人もいれば、そうでない人もいます。仕事を任せるにしても、能力がある人がいれば、違う人もいて当然です。また能力がないといっても、まったく違う能力があるかもしれません。それら全てを受け入れるということです。
信用するのもいいのですが、その当てが外れてしまった時に、自分がぶっ倒れない程度、「過度に信用しない」、「過度に期待しない」という方が正確です。
もちろん、全面的に信用しない理由として、裏切られただなんて、たいそうな体験があるわけではありません。別にそんなトラウマ的なものがあるわけでもないです。
他人がどういう人かも知らないくせに信用するというのは、こちらの勝手な「あるべき像」を押し付けて、一方的な期待をするということでもあります。そして、そんな勝手な期待をすると、あとで問題がこじれる原因にもなります。
「過度に期待しない」のは、そういう「世の理」を知っているからであり、悲しい経験もトラウマも、とくに関係ないといえるでしょう。
さらに「人に興味がない人」が、注意すべきデメリットとして、以下のようなポイントが挙げられています。
これは・・・なんというのでしょうかね。
まず全体を通じて言えることは、この筆者は「群れない人々」、「人に興味がない人」のことをきちんと理解していないように感じます。
「群れない人々」は、他人の問題に対して、根本の部分で「それはそちらの問題」という切り分けをします。なので、深追いはしません。無責任な発言もしません。
「わからない」、「知らない」を連発するのは、多くの人々が分かってもいないくせに「わかる」、「こうだ」、「そうするべきだ」などと無責任な発言をして、あとで問題がこじれていくのをよく知っているからです。
だから正直に、わからないものは「わからない」と答えるのです。「自分には関係ない」という主旨の発言をするのも、自分と他人の境界線がよくみえているからこそです。
それに比べて、「群れる人々」は、何でもかんでも、他人と共有しようとします。彼らにとって、集まること自体が目的化しているのと同様、共有すること自体が目的化してしまっているようです。そして、共有という名の下、無責任な発言がまかりとおります。「わからない」、「知らない」とは言わず、知ったような口ばかりをきくことになります。元来、自分と他人の境界線を見極めることもできないので、結果、グチャグチャになるのです。
なので、いろいろと問題がこじれるということです。
さらにこの記事では、「相手に対して関心が無かったとしても、相手の話に対しては耳を傾けるべき」などとアドバイスされています。
本当にこれは勘弁してください。
こちらの問題に対して、よく分かってもいないくせに、さらには責任もとれないくせに、勝手に土足で上がり込んできて、ヤンヤヤンヤ言われたら、たまったものではありません。
そこは、お互いわきまえましょうと言ってやりたいです。
最後に「相手の地雷を踏み抜く?」
あのですね・・・「地雷」なんて、正直、知ったこっちゃないです。あきらかにこちらが非礼を犯しているのであれば、申し開きすることはできません。
しかし、こちらが礼を尽くした接し方をしていて、且つ心からの言葉で、相手にも配慮した物の言い方をしているのに、「それは、アノ人の地雷なんですよ」だなんて、付き合ってられらません。
「地雷」などというのは、その人自身の問題です。いろいろな原因や理由が考えられるでしょうが、例えば、コンプレックスのようなものもあります。
そんな、その人が内に抱えている問題、しかも、その人しか解決しえないような問題に、何故、周りが神経質になって付き合ってやらんといかんのでしょうか?
ですから、私は全力で地雷を踏み抜いてやります。そして、もしそれが「地雷」だなどと騒ぎ立てるのなら、こう言ってやりたいところです。
「地雷?知らねえよ。そんなの自分で、ちゃっちゃと克服してみろよ」
※実際には、言葉穏やかに礼を尽くして、適当な言葉をかけて、距離をとるだけですが・・・。
ふぅ・・・なんかいっぱい書いちゃいました。
これですかね。この記事で書かれている、気をつけるべきデメリットの「自分の話ばかりしてしまう」というやつ・・・。
でも、あまりにもピントがズレてたから、黙ってられなかったんだもん。あー、スッキリしたっ!