羊の皮を被った「別の生き物」
ワクチンの話は、とても身近な話だし、私たちの生活にも密着した話題なので、何かと取り上げたくもなります。
しかし今、私たちを取り巻く問題は、それだけではありません。もう問題だらけすぎて、いちいち取り上げるのもバカバカしくなるほどです。なので、ここではいちいち、それらを挙げることもしません。
どちらにしても、そんなにもたくさんある個別具体的な問題に囚われて、ヤンヤヤンヤ議論をしているようでは、時間がいくらあっても足りません。
もうさっさと行動に移していく必要があります。立ち止まったまま、議論を重ねているようでは、手遅れになってしまいます。
ところで最近、そんなふうに行動に移していくフェーズに入って思うのは、いろいろと生き甲斐を与えていただいているなぁということです。これは、とてもありがたいことです。
自分の人生を振り返ってみて、別に不幸だと思っていたわけではありません。しかし、かといって特段、何かしっくりするものがあったわけでもありませんでした。
出世したいなんてのはないですし、お金持ちになりたいという意欲もなく、そして実際、そんなものを手にすることもなく、可もなく不可もなく・・・ただ、楽しめたらいいなぁくらいに思いながら過ごしてきました。
けれども、最近になって、世界が大変なことになっていることが、あきらかになってくると、そこに大きな変化が訪れました。おかしくなっていく世界情勢に呼応するように、そんな自分の人生にも、とてつもない価値が出てきたように感じるのです。そして、そこに大きな生き甲斐を覚えるようになってきました。
物の道理として、光が強くなればなるほど、そこに映し出される影は、ますます濃くなっていきます。今、世界の闇が深くなっているようにみえますが、このことは同時に、世界を照らす光が強くなっていることを意味しているともいえるのです。
物事は、常に「陰と陽」の関係性のうえに成り立っています。
そんななか、今、世界を照らしている強い光は、自分の人生を照らしてくれているような気がします。
「あー、ここからの人生が本番だなぁ」
そんな気分です。
そしておそらく、それは私一人ではないと思います。世の中の闇が深くなればなるほど、その闇に飲み込まれていく人々がいる反面、それと同じくらいの勢いで「自分の人生が強い光に照らされてきた」と感じる人々が増えてきているのではないでしょうか。
※スピリチュアル系の「光の戦士」とか、そういうことが言いたいわけではないですよ?念のため・・・。
これまでの人生、何となく「羊」たちの群れのなかで、「俺、何やってるんだ?」という感覚でした。何かが違う気はするけど、何が違うのかが分からないので、その群れに交じって、のんべんだらりと生きてきたという感じです。
そこに、こんなふうに牧羊犬が現われてくれたのです。
こうやって牧羊犬に追い立てられることで、大勢の人たちが、流されていく様をみて、ようやく自分自身が、ただの「羊」ではないことを知りました。今までの自分の人生が、しっくりきていない理由も、何となく分かった気がします。自分が羊の皮を被っただけの「別の生物」である自覚を得ました。
そして、自分が進むべき道もみえてきました。良いこと尽くしです。
これも偏に牧羊犬のおかげです。なので、牧羊犬とケンカしようとも思いません。牧羊犬には感謝です。
※言うことを聞かない「羊」に牧羊犬は困るでしょうが・・・(笑)。
もちろん、私は「羊」ではないので、牧羊犬こときでは役不足です。もうこんな牧羊犬がいくら吠えようが、何も動じることはありません。
このような気づきは、私だけのものではないはずです。
そんな人たちを追い込んでいこうと、闇はさらに深くなっていくことでしょう。それに伴って、この先、牧羊犬に代わって、クマやライオン並みの猛獣がやってくるかもしれません。
しかし、そうなればなるほど、私を照らす光も強くなっていきます。「別の生物」としての私たちは、力を増していく一方です。相手が強大になればなるほど、それに呼応するように、こちらも強くなっていく・・・どこまでも、それが繰り返していく限り、私たちが世界の闇に飲み込まれることはありません。
こんな感じで全体像をつかんでいたら、たかだか今、目の前をうろちょろしている牧羊犬ごときで、怒りを覚えることもないでしょう。
ということで、目の前にみせられる、個別具体的な問題は、あまり気にしすぎず、しっかりと前に進んでいったらどうでしょうかね。