「下積み」を活かしていこう
下積みというのは大事です。
私自身、今は割と自分のペースで仕事をさせていただいていますが、最初からこうだったわけではありません。紆余曲折ありました。
学校を卒業してすぐには、サラリーマンもしました。上司もいました。普通に会社生活も経験しました。
それなりに苦労もしました。細かい仕事もやりました。仕事と呼べないような変なこともさせられました。
でも、そういう経験をしたからこそ、仕事の理不尽さのようなものも、多少、分かっているつもりですし、そういう立場で苦労をしている人たちの気持ちも、感覚的に理解できるようになったのではないかと思います。
下積みがなかったら、そんな感性は養えません。今、いろいろな方と気持ちよく仕事をさせていただいているのは、そうした下積みがあってこそだと思っています。
話は、少し変わります。
高校時代、部活で野球をやっていました。
今はどうだか知りませんが、当時は、上級生と下級生の決まりごとが、いろいろあって面倒くさかったです。
下級生がボールを投げるときは、上級生に向かってボールを見せながら、「ボール行きます!」とかけ声をかけてから投げないといけません。上級生からボールを投げてもらうときは、「ボールお願いします!」と大声で叫ぶ必要があります。下級生だけです。
アホくさいルールだと思っていました。
「メンド」システムというのもありました。おそらく「面倒」という言葉から来たものだと思います。
まずは上級生が、一人の下級生を自分の担当として指名します。一度指名されたら、これは上級生が引退するまで続きます。練習や試合のとき、どこか遠征に出かける際には、上級生は指名した下級生に自分の荷物を持たせるのです。スパイクやグローブなどを下級生に運ばせて、下級生はお駄賃をもらうシステムです。
私は、心底そう思いました。
私が一年生から二年生になったとき、私も「メンド」として、一人の下級生を指名しました。
しかし、私は私の上級生(三年生)に、その一年生を充てがわせて、私は自分の荷物を自分で持ち運ぶようにしました。「メンド」システムからの離脱です。
くだらないと思ったら、さっさと抜ければいいのです。
でもその後、人間は意外とそう動くわけでもないことを知りました。
同じく、その部活での話です。
学食には、うちの部の上級生が、たむろしているエリアがありました。学食の入り口を入ると、中央奥の方のテーブルに、うちの部の上級生たちがまとまって陣取っているのです。
下級生たちが学食に行ったら、まずはそのエリアに行って、上級生に挨拶をしなければいけないというのがルールでした。
仮に、挨拶をしないで学食を利用しているのが、上級生にみつかると、下級生全員が、それを理由に罰せられることになります。
本当にバカバカしいルールだと思います。
同級生も、口々にそう言っていました。
で、自分たちが上級生になりました。
当然、私はそんなところに行きません。下級生にしたって、挨拶なんか気にする必要はありません。自由にすればいいと思っていました。とにかく、そんなくだらない風習には関わりたくありませんでした。
しかし、いざ自分たちが上級生になってみると、前年まで、あれほどブー垂れていた同級生の面々が、食堂のそのエリアにたむろしているのです。そして、あのくだらない上級生と同じように「あいつ、挨拶なかった」みたいなことをやっていました。
私と彼らとは、まったく同じ経験をしていました。同じ下積み時代を過ごしたわけです。
しかし、自分たちが上級生になったとき、その行動はまるで違っていました。
結局、どんなに苦労をしたところで、そこから抜け出してしまったら、それまでということです。全体のことなんて考えず、去年までの自分の姿なんてすっかり忘れて、「今の自分さえよければよい」ということなのでしょう。
彼らなりに、下級生時代の経験をどのように活かしているのかについて、言い分があるかもしれません。しかし、私から見る限り、彼らは下積み時代の経験から、何も学んでいないようにしか思えませんでした。
自分たちに都合が悪ければ文句を垂れて、一転、それが自分たちに都合がよくなれば、(その問題を解決できる立場にあるにもかかわらず、そうした行動は一切しないまま)ただそれを満喫するだけ・・・。
率直に言って、これは事の善悪の話ではなく、今の社会を端的に表していると思います。
今、世の中を見渡してみると、そういう彼らの方が、私なんかよりもずっと社会的地位が高く、より影響力の大きな仕事をしています。だから、今の社会は、何も驚くことは起こっていないとも言えるわけです。
そんな彼らが作っている社会、そんな彼らが支持している政府、そんな彼らによって支えられている経済システム・・・そりゃ、こうなります。
あ・・・でも、私はここで負け犬の遠吠えをしたいわけではありません。
だから、こんな社会、そう長く続くとは思えないのです。いずれ、破綻していくと思います。問題は、そういう破綻が訪れて、新しい時代に新しい仕組みを作っていなかければいけないとき、次の時代を担う私たちは、下積みしてきたことを、きちんと活かしていかなければいけないということです。
「今、経験していること」、「今、苦労していること」、「今、おかしいと思っていること」・・・それらにブー垂れるだけでなく、全部、次の時代を作っていくための肥やしとして、きちんと活かしていくような人生にしたいものです。