大国主大神の子孫たち
今、私たちの目の前で起こっていることは、これまでの人類史上にない次元のものだと思っています。千年とか、二千年とか、そういう単位のものではなく、人類が誕生して以降、かつて経験したことのないような出来事が起こってもおかしくない状況だと考えます。
おおげさ?そうでしょうか。
少なくとも、有史以来、地球は最も狭い状態になってきています。その狭い地球上に、資本主義のルールが覆いかぶさって、一部の人々によって、人類全体がコントロールしうる状況になってきている事実は否めません。
その人類が、「一部の人々」によって、どこに向かわされようとしているのか・・・大真面目に考えた方がいいように思うのです。
そんななか、国家の位置づけについても、十分に考えておく必要があります。
私たちの暮らしは、国家があることを前提に営まれています。
しかし、そんなものは所詮、人が作ったものです。
なければいけないという道理はありません。あってよいものならあればよいですが、無い方がいいのなら無くしてしまっても構わないくらいの考えであるべきです。
支配できる人間の側からすると、国家ほど便利な道具はありません。強権をもって、国民をコントロールできるわけですから、とても重宝するはずです。
逆を言えば、そんな支配できる力を持たない人間の側からすると、今、そんなものに頼って生きていくことほど、危険なことはないと言えます。慎重に考えなければなりません。
私は、日本という国が好きです。誇りも持っています。けれども、日本という国家ありきで考える必要はないと考えます。
日本という国家が成立しうる要件として、皇統(天皇や皇室)を挙げる人がいます。しかし、天皇や皇室などは、当てにするものではありません。いずれ天皇になるとされる人物については、こんな話もあります。
特別扱いで東大に入る?ろくでもない話です。そろそろ限界なのではないでしょうか。
私自身、今の天皇や皇室というのが、既に日本人を支配するための道具に成り下がっている可能性がある以上、これを手放しで受け入れる必要はないと考えています。
「皇室を敬う」という保守の方々は、大変よく勉強されていて、いろいろな歴史の知識もあって素晴らしいと思います。その点、率直に敬意を払いたいです。
しかし、本当に大丈夫だろうか?という気もしています。
もっと踏み込んでいえば、私は、天照大神の系統から続く、現在の皇統に正統性があるのか疑問に感じています。
記紀(古事記&日本書紀)の歴史改ざんの可能性については、既に「「持統天皇と藤原不比等」の正統化」という記事で述べている通りです。そもそも現在の皇室の祖神とされている天照大神というのは、出雲の大国主大神から国を奪っている神様です。
これは、いわゆる出雲の「国譲り」神話として有名です。
「国譲り」と言ってはいますが、書かれていることを素直に読めば、ただの脅迫であり、国の強奪です。ヒドイものだと思います。
逆に、この強奪行為に対して、戦うこともせずに国を譲った出雲・大国主大神には、争いを避けるという「和の精神」を感じずにはいられません。私は天照大神ではなく、大国主大神にこそ、あるべき日本人らしさを感じます。
このときの大国主大神の言い分は分かりませんが、おそらく、こんなところではないでしょうか?
日本という国は、そういう歴史があって、今までなんとか治まってきたと考えることができます。そして、いろいろあっても、天皇が天皇であり続けられたのは、天皇の徳に因る部分がある一方、民衆や時々の権力者が、それを受け入れてきたという側面も否定できません。
しかし、そろそろ限界のように思うのです。
ここで大国主大神について、あらためて考えてみます。
記紀の記述は、荒唐無稽な空想話を書き連ねたものではなく、何かしらのモデルがあったと考えられます。
当然、大国主大神にも、そのモデルとなった人物、あるいは一族がいたことでしょう。そして、大国主大神が、いつの時代の神様(人物)なのか分かりませんが、天皇が天照大神の子孫であるというのであれば、今の日本国民は、ほぼ全員、大国主大神の子孫であるとも言えます。
暴論?そうかもしれません(笑)。
けれども、国を譲る側の人間が、「国、治めてみ?」と国を預け、今、その子孫たちが、「で、どうなった?」と振り返ってみるようなプロセスはあっていいと思います。長い年月を経て、大国主大神の子孫である私たち日本人が、「国、預けてみたんだけどさぁ・・・どうなってる?」と問い質してやるのも手だと思うのです。
こういう動画、嫌いではありません。
はい、学びましょう。自国の成り立ち、大いに学ぶべきです。そして私は、大国主大神の子孫として、日本の皇統を捉えなおしてみたいと考えています。
「天皇・皇室があってこその日本」だなんて、そんなぶら下がり根性は、そろそろ捨ててもいいはずです。
自分たち自身で、国を何とかしようと思うことが、悪いわけがありません。人類史上、かつてない状況を目の前にしているのです。国家まるごとやり直しでも、全然構いません。それくらいの意気込みでいきたいものです。