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「面倒くさい」の裏側

新型コロナウイルスの治療薬として、イベルメクチンの有効性を検証していた興和から、プレスリリースが出ました。

興和株式会社(以下、「興和」)は、軽症の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染症を対象疾患として、「K-237(開発コード)」(一般名:イベルメクチン、以下、「本剤」)の第Ⅲ相臨床試験を進めておりましたが、今回の臨床試験につきましては、主要評価項目において、統計的有意差が認められなかったことをお知らせい たします。
たします。
本試験は、軽症の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)患者1,030例を対象として実施した国際共同、多施設共同、プラセボ対照、無作為化、二重盲検、並行群間比較試験です。本剤は、主要評価項目である治験薬の投与開始から168時間までの臨床症状が改善傾向に至るまでの時間をプラセボと比較した結果、安全性は確認されました。また、死亡例はなく、重症化例もほとんど認められませんでした。しかしながら、オミクロン株が主流と考えられる今回の対象患者においては、本剤およびプラセボともに投与開始4日前後で症状の軽症化が認められましたが、本剤の有効性を見出すことができませんでした。

興和株式会社プレスリリース
「興和 新型コロナウイルス感染症患者を対象とした「K-237」(イベルメクチン)の第Ⅲ相臨床試験結果に関するお知らせ」より引用

イベルメクチンの効果がなかったということで、「どうした?」って話ですが、よくみれば「そりゃ、そうだろ」って話でもあります。

話のポイントは、こんな感じです。

  1. 軽症の患者イベルメクチンを投与してみた。

  2. イベルメクチンを投与したら症状改善したけど、イベルメクチンを投与しなかった人たちも同じように改善した。

  3. イベルメクチンの安全性は確認できた。

えっと・・・「2」がおかしくないですかね?

そもそも軽症だから、割と何もしなくても症状が改善する人たちだったのでしょう。当初の武漢株とは違い、弱毒化が指摘されているオミクロン株が主流にもなっているわけですから、軽症の場合、何もしなくても改善するようなケースが、多々あったことは容易に想像できます

イベルメクチンについては、ここでも散々、書いてきたので、今更、取り立てて言うことはありません

分かる人は「秒」で理解します。つまり、もうだいぶ前から分かっているということです。

しかし、分からない人は、そもそも分かろうとしてないので、何を言っても理解できません。とくに今回のような問題は、その代償が自分自身の健康や命になるわけですから、いちいち他人が口を挟むことではないかもしれません。

それぞれの人生、いろんな生き方があるでしょうから、それらを互いに尊重しながら生きていければいいのだと思います。

まったく賛同できませんが、こういう記事を読んで、「やはりイベルメクチンはダメだったんだ」という人たちもいるわけです。

記事の結びに「こびナビ」のコメントを入れてくるあたりで、もう何も言うことはありません。ダメなやつです。

・・・というか、すみません

正直、もうこの記事についても、「ダメなやつ」くらいしか言う気力が出なくなってきました。去年あたりだったら、いろいろと論点を整理しながら、反論なんかもしていたと思います。けど・・・だいぶ面倒くさくなっちゃったんです(笑)。

うん・・・最近、ものすごく面倒くさい・・・。


先日、家に戻って、母と話しました。母からは、これから先どうやって生き残っていくのか?どうやって道を切り拓いていくのか?何をしていったらいいのか?そんな話を求められます。

もちろん、やることは全部やります。そして、それらをやってれば、必ず道は開けると思っています。言っちゃ何ですが、まるでやられる気がしません。世界が良い方向に行くような気しかしていません。

でも一方で、「もしダメだったら?」みたいな聞かれ方をすることもあります。

そんなときは、こう答えます

面倒くさいから、さっさと死んでやるよ。そんな世界まっぴらだわ

こっちは、やること全部やります。思いついたことをすべてやります。誰のせいにするとかでもなく、たとえ人類に対する大罪を犯しているような人たちがいるとしても、そんな人たちを責めるような生き方なんてしません。やることをやるだけです。

しかし、それでもうまくいかないような世界なら、こっちから願い下げです。そして、そんな世界から足抜けできるのであれば本望です。

したり顔で、あの世に逝きます。あの世に逝ったら、言い訳だって簡単です。

「いやぁ、あそこはヒドイ俺がいる価値がないわ。俺がもったいない。あとは、やりたいやつだけでやってりゃいいよ。ほんと面倒くさいだけだったわー

仮に向こうに閻魔大王でも、神様でもいるのであれば、そう言ってやればいいだけのことです。

メチャメチャに聞こえるかもしれません。命を粗末にしているようにみえる人もいるでしょう。しかし、それくらいでちょうどいいと思っています。

だから、死は大いに恐れるべきです。その代わり、それと引き換えに大きな「生き甲斐」や「使命感」を掴み取ることができるようになります。
命を惜しまない」と「命を大切にする」は表裏一体です。それと同じように「何のために死ぬか」と「何のために生きるか」も同義です

「最強なのは「命知らず」」より引用

「生(せい)」にしがみついていては、強い「生(せい)」にはなりませんいつでも死んでやるくらいの覚悟が重要です。

この世は、「表と裏」でできてます。

逆説的ですが、いつでも死んでやるくらいの覚悟があるからこそ、逆に強い「生(せい)」を掴み取ることができるとも思うのです。

そして、面倒くさいというのも同じです。面倒くさく感じる裏側には、それと同程度に面白いと思うこと、楽しいと思うことが生まれてきています

そういう意味で、上掲の「こびナビ」のコメントを引用している記事をみただけで、面倒くさくなっている私は、逆に面白いこと楽しいことに囲まれ始めているようにも感じます。

なので、そう思ったら、それはそれでいいか?という気にもなるのでした。

この世は、常に「表と裏」で溢れています。いろいろありますが、何かネガティブなことがあったら、その裏側を探してみるといいかもしれません。


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