かつての人体実験に重なってみえる
新年に入って、まずはこんなのが目に入りました。
見る人から見たら、「何言ってんだ、コイツ」といったところでしょうか。戦後日本が積み残した難しい問題に向き合わず、言われるがまま、なされるがままだから、今の惨状を招いていることは言うまでもありません。
ワクチンについては、もう海外での信用は失墜しているようで、どうやら日本だけが頑張って接種を促進しているような状況です。
これも偏に、彼をはじめとする「政府」が、言われるがままに接種を推進しているからだといえるでしょう。
でも、「政府」だけが悪いかというと、そうでもありません。勉強しない大衆の側にも問題があります。
1932年から40年間にわたり、アメリカで行われた恐怖の人体実験がありました。タスキギー人体実験として有名です。
ここで行われた人体実験は、現在のコロナ医療と重なってみえるところが多々あります。「医療を無料で提供」、「幾つかの恩典」、「参加登録を奨励」といった点・・・まさに今、私たちが経験していることです。
「割引を受けるには、免許証などの本人確認書類などに加え、ワクチン接種歴3回接種済証または PCR検査等の陰性結果の証明が必要です」というのも、ツッコミどころしかないような状況で、本当にめちゃくちゃです。
そして、タスキギー人体実験での問題は、被験者たちの教育水準が低く、まともな情報を得ることができなかったという点です。彼らが苦しめられていた梅毒は、実験途中で、ペニシリンによる治療が可能な状態になっていました。しかし、まともに情報を得られない彼らが、それを知ることはできませんでした。当然、ペニシリンを求めることもありません。
そうやって、彼らは被害者になり続けたわけです。
今や、世界の情勢を知らない日本国民は、タスキギー人体実験における、黒人被験者と何ら変わりありません。海外では、既に問題だらけになっていて、多くの人々が、ワクチン接種を忌避しているにもかかわらず、それでも列をなしてワクチンを求めるさまは、もはや滑稽でもあります。
しかし、それはそれとして、そんなワクチンを求める人々に対しても、彼らの選んだ道として、受け入れるほかないでしょう。彼らは彼ら、私たちは私たちです。
また、彼らを追い込んでいる「政府」に対して、物申す行為も、あまり得策ではないように思います。
先日、合気を体験して、心の底から思いました。
相手に何かを押し付けても、いい方向に変わるようなことはありません。一時的に何かうまくいったとしても、あとからやられてしまいます。とくに金、人、組織、情報・・・あらゆる面において、超劣勢な私たちひとりひとりが、「政府」なんて仕組みに抗おうとするのは、賢い選択ではないはずです。
彼らとの関係性は、何も考えずそのままです。力は加えずにおきましょう。
そして、そのまんま、私たちがやりたいと思うこと、生きるうえで必要だと思うことを進めていきましょう。
きっとそれで、私たちひとりひとりが生きる道は、勝手に拓けていくはずです。
去年の11月、サツマイモを収穫した後、つるをペットボトルに挿してみました。
葉っぱがしなしなしていて、ちょっと心もとない感じでした。
しかし、年も明けて、これから春に向かっていく中で、希望がもてる状態になってきています。
多少、古い葉っぱが茶色くなって落ちたりもしましたが、今はだいぶシャキッとしていますし、新しい葉っぱも出始めたりもしているので、そこそこ順調なのだと思います。
まだまだ寒い時期が続くので、しばらくは農作業はお休みになりますが、様子をみながらちょっとずつでも、できることをしていきたいところです。
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