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生きてるだけで是修行也

人生、苦しいことだらけ?

分かります。分かりますけど、それって結構なご馳走だったりもします。

奈良県吉野、修験本宗総本山金峯山寺。修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたこの寺において、最も厳しいとされる「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」。険しさを極める山中を1日48km、年間およそ120日、9年の歳月をかけ、1000日間歩き続ける。まさに荒行中の荒行である。たとえ病や怪我、嵐の日であろうと、行半ばで辞めることは許されない。死出の旅を意味する白装束に身を包み、迫りくるあらゆる限界に耐え、ひたむきに歩き続けた。
さらに、一切の食物、水を断ち、眠らず、横にならず、これを貫くこと9日間、堂にこもり真言を唱え続ける「四無行」に挑む。行の最中命を落とすこともある過酷さで、あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、線香の灰が折れて落ちる音さえも聞こえたという。その厳しさゆえに、現代では千日回峰を果たした者にしか許されない、命を賭けた難行である。

GLOBIS知見録
「【千日回峰行】1300年に2人だけ達成、命がけの苦行から大阿闍梨が学んだ3つのこと」
2015年6月27日より引用

この記事に書かれていること、ものすごい苦行です。命をかけた難行、そんなのを乗り越えるなんて、本当に大変なことです。

しかし、苦行や難行というのは、悟りを得るためのひとつの方法論でしかないという言い方もできます。

より大切なことは、その苦しい難行のなかから、何を見出すことがができるか?です。

逆の言い方をすれば、そんな苦行や難行をしなくても、悟りの境地を得たり、宇宙の真理のようなものに気づくことができるとしたら、そちらの方に価値があると言えます。

で・・・人生が苦しい???そう、だからチャンスなのです。

人生が苦しいということは、そんな悟りを得るための苦行や難行のような素材が、ゴロゴロ転がっているということです。何もお寺に行って、苦行・難行をする必要はないということでもあります。

日常生活の中に転がっている苦しみと向き合い、そのなかで大切なものとは何か?を自問自答し続ければ、お寺の苦行や難行と同じような効果が得られるのではないかということです。

本来、愚痴なんてものは、言わないで済むのなら、その方がいいに決まっています。しかし、感謝の心にたどり着くための方法論として、トコトン愚痴ってみるのもいいでしょう。トコトン愚痴ってみると、結局、毎回同じようなことしか言わなくなります。愚痴なんて、所詮、そんなものです。
毎回、同じようなことしか言っていないことに気づいたら、それがそこに関わっている人たちの限界であることが理解できるでしょう。

「やりたいことだけやって幸せに?」より引用

大変なんだから、愚痴りたくなることもあるでしょう。それはそれで、しょうがないと思います。でも、いつまでも同じ愚痴を繰り返していても仕方ありません

せっかくその境遇にいるのですから、そこから学んでいかないともったいないわけです。いろいろと気づくことができるはずです。

そう、だから「人生、苦しいことだらけ」は、とてもありがたいご馳走というわけなのです。

さらに突っ込んだ言い方をすると、「生まれた意味」を知るくらいの悟りというのは、死ぬギリギリくらいのところまでいって、初めてみえるものだと思います。

虎穴に入らずんば虎子を得ず・・・みたいなもんです。

例えば、「自分が生まれてきた意味」のように、きわめて重大で価値の高い悟りというのは、死ぬギリギリくらいのところまで行って、その淵から「ぬぅ~」っと顔を出して覗いてみて、「あー、そういうことだったのか」と分かるようなものです。ボーっとしているだけでは、分かりません。

だから、冒頭に紹介したような「命がけの苦行」というのがあるのでしょう。うん・・・だから、大変です。命がけなんて、できればしないで済ませたいものです。しかし、それなりに意味があるということです。

ところで、今の世の中をみていると、自分たちの命の危険を感じるような「人生、(死ぬほど)苦しいことだらけ」になりつつあるように思います。挙げればキリがないので、いちいちここで論じることはしません。

でも例えば、国・政府が、ほぼ犯罪組織と化し、国民の命を奪いに来ているような状況なわけです。その深刻性は、未だかつてなかったものと考える必要があります。

いやぁ~、大変です。そして、ここであらためて考えてみるのです

「人生、死ぬほど苦しいことだらけ?

そうそう。ということは、それって、ものすごく良質なご馳走だらけということでもあるわけです。全然、悪いことではありません

これからの世の中、大変になれば大変になるほど、パニックに陥っていく人々はいることでしょう。

一方で、その大変さを良質なご馳走と捉えて、それを糧にすることができる人たちがいるとしたら、そういう人たちが、次の新しい時代を切り拓いていくのではないかと思うのであります。

けっして、苦行や難行が必要ということではありません。生きているだけでよいのです。それだけで、きっといいことあります


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