生きてるだけで是修行也
「人生、苦しいことだらけ?」
分かります。分かりますけど、それって結構なご馳走だったりもします。
この記事に書かれていること、ものすごい苦行です。命をかけた難行、そんなのを乗り越えるなんて、本当に大変なことです。
しかし、苦行や難行というのは、悟りを得るためのひとつの方法論でしかないという言い方もできます。
より大切なことは、その苦しい難行のなかから、何を見出すことがができるか?です。
逆の言い方をすれば、そんな苦行や難行をしなくても、悟りの境地を得たり、宇宙の真理のようなものに気づくことができるとしたら、そちらの方に価値があると言えます。
で・・・人生が苦しい???そう、だからチャンスなのです。
人生が苦しいということは、そんな悟りを得るための苦行や難行のような素材が、ゴロゴロ転がっているということです。何もお寺に行って、苦行・難行をする必要はないということでもあります。
日常生活の中に転がっている苦しみと向き合い、そのなかで大切なものとは何か?を自問自答し続ければ、お寺の苦行や難行と同じような効果が得られるのではないかということです。
大変なんだから、愚痴りたくなることもあるでしょう。それはそれで、しょうがないと思います。でも、いつまでも同じ愚痴を繰り返していても仕方ありません。
せっかくその境遇にいるのですから、そこから学んでいかないともったいないわけです。いろいろと気づくことができるはずです。
そう、だから「人生、苦しいことだらけ」は、とてもありがたいご馳走というわけなのです。
さらに突っ込んだ言い方をすると、「生まれた意味」を知るくらいの悟りというのは、死ぬギリギリくらいのところまでいって、初めてみえるものだと思います。
虎穴に入らずんば虎子を得ず・・・みたいなもんです。
例えば、「自分が生まれてきた意味」のように、きわめて重大で価値の高い悟りというのは、死ぬギリギリくらいのところまで行って、その淵から「ぬぅ~」っと顔を出して覗いてみて、「あー、そういうことだったのか」と分かるようなものです。ボーっとしているだけでは、分かりません。
だから、冒頭に紹介したような「命がけの苦行」というのがあるのでしょう。うん・・・だから、大変です。命がけなんて、できればしないで済ませたいものです。しかし、それなりに意味があるということです。
ところで、今の世の中をみていると、自分たちの命の危険を感じるような「人生、(死ぬほど)苦しいことだらけ」になりつつあるように思います。挙げればキリがないので、いちいちここで論じることはしません。
でも例えば、国・政府が、ほぼ犯罪組織と化し、国民の命を奪いに来ているような状況なわけです。その深刻性は、未だかつてなかったものと考える必要があります。
いやぁ~、大変です。そして、ここであらためて考えてみるのです。
「人生、死ぬほど苦しいことだらけ?」
そうそう。ということは、それって、ものすごく良質なご馳走だらけということでもあるわけです。全然、悪いことではありません。
これからの世の中、大変になれば大変になるほど、パニックに陥っていく人々はいることでしょう。
一方で、その大変さを良質なご馳走と捉えて、それを糧にすることができる人たちがいるとしたら、そういう人たちが、次の新しい時代を切り拓いていくのではないかと思うのであります。
けっして、苦行や難行が必要ということではありません。生きているだけでよいのです。それだけで、きっといいことあります。