モンティ・ホール問題と思考の継続
ちょっと頭の体操です。
モンティ・ホール問題というパラドックスがあるといいます。詳しい内容は、こちらの動画をご覧ください。
まとめると、要はこういうことです。
まずここに3つの箱があります。このなかのひとつに「当たり」のボールを入れて、ふたをします。
このうち、どれかひとつを選びます。
「当たり」の確率は3分の1です。ここまでは、小学生レベルのお話かと思います。
ここで答えを知っている人が、残り2つの箱のうち、「当たり」が入っていない箱を取り除いてくれます。
例えば、上図でいえば、「B」の箱を取り除いてくれたとしましょう。すると目の前には、あなたが選んだ「A」と残った「C」の箱があることになります。
この状態で、「もう一度選び直していい」と言われたときに、あなたは選び直して「C」の箱を選びますか?という問題です。
この問題、確率論的には「C」に選び直すべきというのが答えになります。なぜならば、「C」の箱には、「B」の当たる確率「3分の1」が集約されているため、当たる確率が「3分の2」になっているからというのが、その理由です。
うん???ピンときません?
そう、この問題は、ピンとこないのでパラドックスとも呼ばれているのです。動画でも解説されていますが、これを直感的に分かりやすくために、数を目一杯増やしてみます。
先ほどは3つの箱で考えましたが、一気に1000個まで箱を増やしてみます。
まず、このなかからひとつの箱を選びます。当然、当たる確率は1000分の1です。ここで残りの999個について、外れの998個の箱を一斉に取り払います。すると1個だけ箱が残ります。
そして同じように、「もう一度選び直していい」と言われたら、あなたは選び直しますか?という問題です。さっきと変わりません。
ただし、さっきと違うのは、最初に選んだ箱が当たる確率です。
さっきは3分の1でした。そこそこに当たる確率があります。
しかし、今回は1000分の1です。まず当たりません。
一方で、選ばなかったなかから残った1個の箱は、999個を代表して残っているわけです。いわば1000分の1に対して、1000分の999の確率ということになります。
大抵の人は、選び直すことになるでしょう。
直感的には箱が3個のときと、1000個のときでは、違う判断をすることになるかもしれません。しかし、このように論理的に考えてみると、3個の場合のときでも、選び直した方が、確率論的には合理的であるということになるわけです。
なかなかに面白い話ではないでしょうか。直感的に考えることと、論理的に理解することでは、こうした違いが生まれうるということです。
ここまででも十分に面白い話だと思うのですが、ここでは、さらにもう少し話を進めて考えてみたいと思います。
この「1000個」の例は、いきなり998個を取り除いて確率が「1000分の1の箱」と「1000分の999の箱」という2つの箱の二択にしたので、直感的にも理解しやすかったのだろうと思います。
しかし、これを徐々にやられたら、果たして気づけるかは微妙です。
自分が選ばなかった999個のうち、1個を取り除かれて、「で、選び直します?」と聞かれて選び直す人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
論理的には、選び直しても、それほど大差はありません。選び直すなんて面倒くさいと思うような人は、きっとそのままでしょう。
そして、そのように1個ずつ取り除かれていたら、最後の最後まで、自分が一度選んだ箱を変えることはないかもしれません。
「もう選んだんだから、それでいいんだよ」ってなもんです。
しかし、思考を働かせ続けていたら、どこかのタイミングで「あっちの方が当たる確率が高いな」と気づける可能性はあります。
ボーっとしていては、気づけません。それこそ茹でガエル状態です。
もし完全に茹でガエルになってしまっていたら、最後の「1000分の1の箱」と「1000分の999の箱」という2つの箱の二択になったとしても、そのまま自分が最初に選んだ箱から、選び直さない可能性だってあるわけです。
※ただしこのゲーム、いつの時点で箱をオープンにするかで選択の仕方が変わります。仮に最後の最後まで、一個ずつ取り除いて「選び直します?」という繰り返しをするのであれば、最後までじっと待って、残りが2つの箱(二択)になるまで、敢えて「選び直さない」という戦略をとった方が、より確実に、高い確率の箱を選べるようになります。つまり、常に選び直した方が当たる確率は上がるものの、ルールによっては、「最後までじっと待つ」という戦略の方が、当たる確率が高いということです。
この問題、今のコロナ禍における情報の取り方に重ねてみると、あらためて考え続けることの重要性を思い知らされます。
コロナ禍については、いろいろなところで相反する情報が飛び交っています。もしこれが、自分たちに全く関係のない話であれば、知らんぷりも可能です。
しかし、今のこの問題は、日常生活や命に直結する話です。そうした相反する話のなかから、自分が正しいと思える情報を選択する必要があります。飛び交う情報をボーっと見ているだけでは、「1000分の1」の箱を選んだまま、その選択を変えないことになるかもしれません。
でも、状況はだいぶ変わってきていますからね?
いろいろ調べた方がいいと思います。
そして私は、イヌスケ君が心配です。
考え続けるなんて、大げさなことでもないかもしれません。ちょっとした違和感でも構いません。少しでもおかしいと思ったら、立ち止まってみて、今、選択しているものを見直してみてはどうでしょう。
でもって、イヌスケ君、しっかりしような。