第三軸で生きていく
不定期的に取り上げてしまうSATORISM TVさんの動画。今回も取り上げざるを得ません。
お時間ある方は、是非一度、通しでみていただきたいと思います。
ポイントは二つあります。
一つめは、作用と反作用の法則です。
力をかければ力が生み出される。
コロナ政策やワクチン政策に従わない市民に対して、力、暴力で抑え込めばいいんだという政策が行われているとするならば、市民の声を聞かない政府を武力によって倒してしまえとという力が生まれてくるというのは、宇宙の摂理から考えて当然のことなわけです。
政府が強権をもって市民を抑えつければ、市民はそれに反発します。これまでの歴史をみても、こうした力の作用・反作用が、大きな政治の流れを作ってきたとも言えます。
今のコロナやワクチンを巡る問題では、政府による市民・国民の締め付けは酷くなるばかりです。日本では、ほとんど報じられることがありませんが、ワクチン接種や証明書に反対するデモ活動などは、非常に活発になってきています。
政府による締め付け(作用)と、それに反対する民衆の抵抗(反作用)がぶつかり合っている状態です。こうした動きを否定するわけではありません。民衆の怒り、至極、もっともだとも思います。
しかし、ここで思うのは、私たちがこの「作用・反作用」の渦に身を投じる必要はないだろうということです。
「反作用(民衆)」の側に与して、果たして勝利できるのかは分かりません。仮に勝利したとしても、そこに新しい支配体制が生まれて、「反作用」という暴力で生まれた支配層が、従来通り世界構造を支配する「彼ら」の尖兵になるだけかもしれません。
いずれにせよ、政府組織などというものは、「彼ら」の傀儡だと考えておいてちょうどいいはずです。
一国の総理大臣が行っていることについて、「けしからん!」、「間違っている!」と思ってみたところで、それは所詮、世界構造のピースに過ぎず、誰がやっても同じであるという視点。つまり世界構造全体でとらえていかないと、実体がみえてこないということです。
※「世界を仕組みで理解する」より引用
民衆の力が勝ったとしても、国家を超えるような枠組みにおける支配体制を変えられるようには思えません。
つまり、ここに関わっても、その先に明るい未来があるとは思えないのです。
SATORISM TVさんの動画で、注目すべき二つめのポイントは、「支配者の目的」という部分です。
お金を動かして世界をコントロールしてる、政治家のような代弁者を使って、プロパガンダを出しているという実態はあります。なんだけれども、支配者が全て悪いのかというと、俺はそうではないということをずっと言ってきたわけですよね。
もちろん支配者は、支配者の目的があって、価値観があって、理念があって、やりたいようにやっているわけです。そしてお金があるから、力があるから、やりたいようにできるんだけれども、それに対して違和感を持つとかということを、しないままきた我々の問題はどうなのかと。
一連の騒動をみていると、支配者層は大変酷いことをしていると感じます。支配されている側からすれば、支配者層の「彼ら」は悪の化身のような存在にみえています。
しかし、私を含めて、大部分の支配される側の人間は、「彼ら」の真の目的を知りません。
もしかしたら、「彼ら」は「彼ら」なりにそうしなければいけない事情があり、その差し迫った事情のために、非情な手段に訴えているだけかもしれません。
誤解を恐れずに言えば、「彼ら」にも「彼ら」が信じる正義があるのかもしれないということです。SATORISM TVさんが言うように、「支配者が全て悪い」では済まないのかもしれません。
ただ一応、断っておきますが、私はそんなものに1ミリも賛同いたしません。しかし、「彼ら」には「彼ら」なりの明確な理念や価値観があるのだろうということです。
例えば、地球上の人口が増えすぎたというのは本当なのかもしれません。彼らにとって、増えすぎた人口を減らすというのは、地球上で人類を生き永らえさせるという、壮大な目的のための手段に過ぎない可能性があります。
そして今起こっていることは、増えすぎた人口のなかから、まずは無思考で家畜化できる人間から減らしていこう、ということかもしれないのです。
減らされていく人たちは、何も知らないままいなくなっていくのでしょう。それはそれで、地球のことを思ったら、正しいのかもしれません。心情的には許しがたいですが、私には分かりません。
一方で、それに気づいた支配される側の人間は、これに反発し、「それは間違っている!」という正義を握りしめて戦うことになります。これもこれで分かります。どちらかというと、私はこちら側だと思います。
けれども、ここには複数の正義があるのです。私は、それらがぶつかり合う戦争に付き合うつもりはありません。
それではどうするか・・・私?
私は、そっとその支配構造から離脱します。「支配者 vs 被支配者」の戦争は、そっちはそっちでやってくれ状態です。当然のことながら、私は支配する側ではありませんが、支配される側でもありません。
まだまだ自由はあるし、やれることはあるし、やりたいことも山積みです。敢えて、自分のことを「支配されている側の人間」と決めつけるほど、バカなことはないと思います。
相手に力をかけてしまったら、その力によって相手が安定してしまうのです。そんな相手を利するような「力 vs 力」の戦いはゴメンです。
自分が、まだまだ自由であることを感じて、その自由を行使することに対しては、いくら支配する側の人間でも止めることはできません。やれることをやればいいのです。
第一軸(支配者)、第二軸(被支配者)でもなく、第三軸でいきましょう。
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