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柔よく剛を制す
もう分かっている人には当たり前のことですが、今、世界は超管理社会に向けて爆走中です。
SATORISM TVさんの動画で、ロックフェラー財団の「Lock Step」というレポートの内容が紹介されています。
身の安全と引き換えに自らの自由とプライバシーを、自ら進んで政府に譲り渡した。つまり、放棄したということが書かれている。強権的な管理、統制に反対する市民も当然いたんだけれども、それは2025年までだと。いわゆる社会主義的な政策に対して、反対する市民たちの組織的な抵抗は2025年まで続いたと。ただ、パンデミック終息後も強権的な公衆衛生管理システムは維持され続けた。
それによると、この超管理社会に対する市民の組織的抵抗は、2025年までには終わるということのようです。
これが本当だとしたら、超管理社会に向けた動きは止まることはなく、こうした市民の反対活動も、あと数年しか続かないということになります。
イタリアの都市ウディネ
— You (@You3_JP) October 22, 2021
ワクチンパスポートに反対する市民達
決してあきらめない。
"La gente come noi non molla mai!" https://t.co/64jISbh7ge pic.twitter.com/1k0DL9oPIB
私には何とも言えません。こうした市民活動を通じて、本当に超管理社会への動きが止まるのなら、それに越したことはないです。ただ正直、それはかなり厳しいように思っています。
「ワクチン認証は、ウイルスのために発明されたのではありません。ワクチン認証のためにウィルスが発明されたのです」https://t.co/cuUM92zBhR
— 竹内一斉 (@sukune888) October 22, 2021
超管理社会を作り上げようとする側は、とてつもなく強大な力を持っています。これだけいろいろな仕掛けを用意して、それを世界規模で実行している人々です。
「彼ら」に敵対すればするほど、その分だけやられてしまい、「Lock Step」に書かれている通り、数年の間に潰されてしまうというのは、十分にあり得ると思うのです。
そんなふうに悲観的に考えるな??
いや、私はとくに悲観的に考えているわけではありません。
むしろ私は、彼らが考えるような超管理社会に組み込まれるつもりはありませんし、彼らに屈するつもりもありません。そういう意味では、楽観主義者かもしれません。
私が言いたいのは、「彼ら」はそんな民衆の抵抗活動など、お見通しということです。既にレポートにも書いてあるくらいです。そんなものは織り込み済みで、そのプログラムを進めているのです。
だとしたら、そのシナリオに乗らないのが、「彼ら」に屈しないための上手な戦法だと思います。
また合気の話かよ?と思われるかもしれませんが、また合気の話です。
相手に捕まった状態で、そこからどのように抜け出すかという動画になっています。超管理社会を実現して、「彼ら」が私たちを捕まえにきたということを想像しながら、みてもらえるといいと思います。
重要なポイントは、以下2つの意識です。
①相手と一緒になる
②相手に委ねる
相手と戦っている意識はダメです。戦う意識を出してしまうと、相手が反射を起こし、さらに「捕まえよう」とするため、より一層抜け出せなくなります。
そうではなく、「相手と一緒」になり、「相手に委ねる」ことが重要なのです。そのうえで、捕まっていることを意識せず、自分が抜け出るところだけをイメージすると、スポンと抜け出せるようになるのです。
不思議ですが、これは「彼ら」との向き合い方に通じるものがあると思えてなりません。
市民による抵抗活動は、既に「彼ら」が想定している敵対行動です。とっくに織り込み済みです。したがって、「彼ら」はそれを抑え込む対抗手段を周到に用意しているはずなのです。結果、それでは「彼ら」が用意したテーブルの上で、「彼ら」が作ったルールに従って戦わされるだけになります。
私は、その先に明るい未来があるようには思えません。
「あんな連中と『一緒になる』、あんな連中に『委ねる』なんて、到底できるわけがない!!」とおっしゃるかもしれません。いえ、でもそんなこともないと思います。
以前、集合的無意識について記事にしたことがあります。
「集合的無意識」の「集合」が、ただそこらの「集団」ではなく、全宇宙の生命体全体くらい考えないと、精神世界のような見えない高次元にある概念として、バランスが合いません。
※「集合的無意識と悟り」より引用
こうした概念を真面目に考えてみると、どんなに酷い連中でも、無意識の世界では繋がっていることになります。そうだとしたら、そんな「彼ら」と一体となるなどということは、ごく自然のことになりえます。むしろ、この宇宙はそうやってできていると言えるかもしれません。
また、私には「彼ら」を止める力などありません。そうである以上、もはや「彼ら」に委ねるしかないのです。
だからいいのです。「彼ら」と一体となって、「彼ら」に委ねることなんて、何もおかしなことではありません。当たり前のこととして、できることなのです。
ただそれは、「彼ら」に従属するという意味でもありません。ここが重要です。
私は、私の道を行きます。私を捕まえようとすることなど関係なく、行くべきところをイメージして、スポンと抜け出てやるのです。
こういうのなんていうのかな・・・柔よく剛を制す?そう、何となくそんな感じです。
行きたいところをイメージしましょう。そして、それに向かって動き出しましょう。