サル山の「なりきりサファリパーク」
今の時代、真面目に勉強している人ほど、陰鬱な気分になるのではないかと思います。社会で起こっている事象を調べれば調べる分だけ、気分が落ちていくような状況です。
「まさかぁ、さすがにそんなことはないでしょう」
そんなことをサラリと言える人たちは・・・まぁ、その人たちなりの世界観なので、それはそれで仕方ありません。
相変わらず、こういう荒唐無稽な人の事例を取り上げて、「陰謀論者=キチガイ」という図式です。たくさんの真実が詰まった箱のなかに、ひとつの分かりやすいウソを混ぜて、「箱のなかは全部ウソだ!」といういつもの手口です。
あまり感心はしませんが、こういうやり口で、安心できる人たちがいるのであれば、それはそれでひとつのかたちなのだろうと思います。
陰謀論者は、食料危機の話もします。
陰謀論者は、本当に忙しいです(笑)。
陰謀論者の頭のなかでは、すべてが繋がっているので、食料問題などは前から予見されていたことでした。でも、こうした話が、陰謀論者の妄想にみえる人たちからしてみたら、なかなか実感が湧きません。それもそれで仕方のないことです。
それぞれの人生、それぞれ責任をもって、生きていきましょうということなのだと思います。
ん???それぞれの人生を生きていくだなんて、そんなに割り切って考えられない?
分かります。こんな御仁が、次期首相候補だなんて言われている世界、本当にたまったものではないですよね(笑)。
今回の「所管外」連発の話を聞いて、以前、「次の質問どうぞ」を繰り返していた記者会見を思い出しました。
性根は何も変わっていないし、こういう人に票を入れたり、こういう人を「先生」などと呼んで集まる有権者がいるんですから、もう勝手にやっててくださいとしか言えません。
少なくとも、学級会でこんなことをやってる児童がいたら、間違いなく先生に叱られるでしょう(苦笑)。
それが政治家??冗談よしてください。
でもですね・・・最近、そういうことにも、まったく腹が立たなくなりました。原因はこれです。
今の私は、目の前にいる人々とは、別の人類(新種の人類)だと思うようになってしまいました。最近、それが妙にしっくりくるようになってきたので、世界の見え方も、だいぶ変わってきたようです。
※なかには、稀に仲間の「新種の人類」もいますけどね?
これ・・・伝わりにくいでしょうかね。
例えば、こんな感じです。
こういうサル山、みたことありますよね?おサルさんが、たくさんいます。
そして、こういうサル山は、しばらくじっと観察していると、それなりに社会が形成されていることが分かります。強い者と弱い者、オスとメス、年配者と幼子・・・そこに個性が加わって、そこそこにドラマらしきストーリーが展開されているようにみえることすらあります。
もちろん、当たり前ですが、おサルさんと私たちは、異なる種の生き物です。
しかし、このおサルさんの皮を被って、おサルさんなりきって、そのなかに紛れて生活してみることを想像してみるのです。おサルさんの皮を被れば、彼らと言葉を交わすこともできます。
そうしたら、ここに登場してくるおサルさんも、きっと違ってみえてくるはずです。
本来、おサルさんに名前なんてありません。でも、名前だってあるかもです。例えば、このおサルさんの名前は、義郎です。
気弱そうな顔をしている義郎ですが、話してみると、実は、思っていることはキッチリ言うタイプ・・・かもしれません。
まぁ、こんなおサルさんが寄り集まって、結構な社会を築いていると考えてみるのです。
ただ正直、所詮、おサルさんなので、やってることはメチャメチャです。ケンカもしょっちゅうですし、理不尽な連中ばっかりです。暴力も横行していれば、イジメも一向に止まりません。
したがって、付き合える範囲では付き合いますが、あまりに度を越すことがあるようなら、最後は、おサルさんの皮を脱いで、「やーめた!俺、本当は人間だから、もうお前らとは遊んでやらない」と抜け出してやります。
あくまでも、おサルさんの皮を被って、おサルさんになりきって遊んでるだけです。ひとつのアトラクションに過ぎません。言ってみれば、サル山の「なりきりサファリパーク」みたいなものです。
だから、そこにドップリとハマりきる必要はないのです。付き合ってられないと思ったら、おサルさんの皮を脱いで、人間の姿に戻って、サル山から抜け出せばいいだけのことです。
このたとえ話・・・おサルさんを「今の人類」、人間を「新種の人類」に置き換えて見直した状態が、今、私が体感している世界です。
伝わるでしょうか・・・。
「新種の人類」としての自分は、今、人間の皮を被って、人間社会に溶け込んでいるに過ぎません。完全に人間社会に溶け込んでいるので、人間として生きています・・・が、それに縛られているわけでもありません。メチャメチャだし、理不尽だらけだし、大量●●みたいなこともある人間社会に、ドップリとハマりきる必要はないのです。
だから、こんなのみたって、「こんなおサルさん(人間さん)、いるんだなぁ」くらいにしかなりません。
人間の皮の内側には、「新種の人類」としての意識があります。本当にいざとなったら、人間の皮を脱いでやればいいやくらいのものです。
そんな「なりきりサファリパーク」の感覚、ちょっと想像しながら、味わってみてはどうでしょう?