プレイヤーとして生きる。覚悟を持って。
こんにちは、日本一の英語コーチングサービスを創る壱成です!
夏が来ましたねほんまに!
暑くて最高です!
今日はプレイヤーとして生きていくことの重要性について僕が日々考えてることを殴り書きしていこうと思います。
最初に言っておくのは、プレイヤーとは選手の事を言っているわけではないです。自分の人生のプレイヤーって事を意味しているのでどんな人にも当てまる事です。
プレイヤーとして生きる決断
僕はプレイヤーとして存在し続けることを選んで生きています。
プレイヤーってなんやねんってところから説明してから今日書きたいこといっぱい書いてきます!
プレイヤーの意味とはなんなんか、人生への影響はどんなことがあるんかってことを書いていきます。
プレイヤーとは何か
まずは今日のnoteのメイントピックである"プレイヤー"とは何なのかを説明します。
プレイヤーとは、自分の行動したことによって起こる事の責任を負う人のことです。
例えば、会社を作り社長をしている人はその会社の責任を負うことになるし、
YouTuberとして生計を立てている人はYouTubeを通じて得られる収益はいかに社会の人たちが求めてるコンテンツを配信しているかによって変わるのでその人次第、つまりプレイヤーです。
スポーツで言うと、チーム成績によって影響を大きく受ける人たち、特に責任を負うことのできる人たちのことをプレイヤーと呼びます。
一般的に言うと、負けた時に責任を追う立場の人たちです。もちろん良い結果が出ると大きく賞賛される立場でもあります。
プレイヤーとその他の人の違い
プレイヤーについて説明しましたが、世の中の人のほとんどはプレイヤーではないです。
また後で、僕が考えるすべての人ができるプレイヤーとしての生き方について書いていきますが、まずはプレイヤーとそうでない人たちの違いについて書いていきます。
簡単に言うと、さっきも言ったように責任を取ることができるかどうかです。何か問題が生じた時に自分の責任として背負うことができるのかどうかってことが大きな違いの1つです。
たまにある、「〜〜会社の社員が問題を起こした。」ってニュースを世間の人たちが見ると、その人はもちろんだけどその会社の代表の責任として世間から叩かれます。
つまり、このケースでは雇われている社員のクビだけでは責任を取ることはできないという事です。いくら自分だけの責任ですと強調してもその人だけでは足りないんです。プレイヤーではないから。
メインのプレイヤーはこの会社の代表だからです。
責任を取れるかどうかがプレイヤーかどうかの違いの1つです。
プレイヤーとして生きるには
僕は自分の事をプレイヤーとして考えていきています。小さい頃からサッカーを始めて一生懸命してきて大学に入るタイミングでプロになる事を諦めて海外に出る決断をしました。
サッカー選手という明らかなプレイヤー(選手)になる事を諦めたんです。そして違う立場だけど自分の人生のプレイヤーとして生きる事を決めました。
失敗を他人のせいにする事を絶対にしない。つまり、自分で決断・行動をしてその結果起こることについて全て受け入れる事を決めました。
大学を辞める決断をしてある日本一のサッカーチームの通訳として働き始めたのも自分自身で決めた事なので、大学を辞めたことによってできなかった事を何かのせいにはしません。
今ではアスリート通訳の他に企業通訳、また英語学習者向けの英語コーチとしても活動しているんですけど、自分でやるべき事を作りそれを実行していくことにワクワクを感じています。
特に英語コーチとしては完全に僕自身のプロジェクトで、僕のクライアントさんたちがいるので、僕がどのようにアプローチしていくかによってその人たちの成長度も変わるし僕に対しての評価も変わります。
つまり、質の低いサービスを提供していたら全て僕の責任です。サービスの質が低ければ僕にお金を払ってくれる人はいなくなり、サービスの質が高ければお客さんが増えていきます。
これは厳しい世界のようにも感じますが、僕にとってはすごくやりやすく感じています。
それと同時に、仕事をしろとも言われないので自己管理の世界になります。自分より上の立場から指示をしてくれる人が居ないということは誰も代わりにやってくれる人がいないということでもあるので、自分自身でスイッチを入れる必要があるということでもあります。
誰かに指示されて行動していくよりも自分で決断していくことの方が個人的に好きなのもあるし、責任のない(別の言い方では責任を取ることのできない)立場に居続けることがあんまり気持ちよく感じないので独立した方が僕としてはやりやすいです。
今の世界をどう生きるか
今の世界を考えてみて欲しいんですけど、想像できなかったことばかりが起きてると思います。
AIに仕事を奪われると言われて数年が経ち、そしてコロナの影響で当たり前の日常がなくなりました。
そういった大きな分岐点にいる僕たちの社会は急激に変わっているし、急激に変わってていく社会に適応できない会社はもちろんなくなっていくし、僕たちも適応していかなきゃいけない状況になりました。
今まではプレイヤーとして生きなくてもなんとなく普通の生活をしていくことができていました。
アイデアを出さなくてもどこかに所属すれば良かったし、英語を話せなくても日本でなんとかなるし、上手くいかないことがあっても国とか会社のせいにしてもなんとかなってきました。
今は全く違うと思います。
今は、"プレイヤーとして生きないとやばい。"
そんな時代になったと思います。今後の社会がどうなっていくのかまだ全くわかりません。
コロナに関してもいろんな人がいろんなことを言ってどれが正しいかなんてよく分かりません。仕事を失い途方にくれるなんてことも珍しくなくなってきました。頼れるものは自分だけという環境にもなってきました。
ニュースの情報などは偏っているし全て操作されているって言う人もいるし、でもそれに対してどうすれば良いのかを教えてくれる人はほとんどいません。誰も100%の答えを知らないから。
自分で判断して行動する。そしてその結果を受け入れながら成長していくことができないと大変な時代になりました。
自分と向き合って本当にするべきこと、本当に集中するべきことを明確にする必要があると思います。
何が起こるか分からない世の中を生きるために、何が起きても対応できる体と心を準備をして、その準備も受け身ではなくて自分から行動しながらの準備であることが重要です。
自分のスタンスを持って生きることがとっても大事になってきました。プレイヤとして生きることはほんまに大事。
誰もができるプレイヤーとしての人生
僕の考えるプレイヤーとして生きることの重要性を書いてきたんですけど、社長や個人事業主(フリーランス)などの人たちのことだけではありません。
社員でもバイトでも学生としてでも、プレイヤーとして生きることはできます。
上司の指示に従って行動するだけとか、決まった仕事をするだけだから特に思考する必要がないってことは結構あると思います。
僕も学生時代にバイトをしていた時は誰もができる仕事をずっとしていたし、まぁこの世界のほとんどの仕事は誰でもできるとは思うんですけど、そこでもプレイヤーとして存在していくことはできます。
自分の仕事に責任を持ってやることはもちろんだけど、常に自分が組織を動かす代表だとしたらどういう風な行動をするかって言うことを考えながら選択していくことや、
プレイヤーになることを見越した行動をとっていくことが大事です。
僕は学生の頃のアルバイトをしている時から自分がこの居酒屋の店長だったらどうするかとか、自分がこのホテルの代表だったらどのように従業員の環境作りをするかなどを常に考えてきました
それによって行動の質が高くなって自分のできることも増えるし、見えることも増えました。
先輩に質問する際にも中身のない質問ではなくてしっかりと目的を持った質問することができるようになりました。
まだまだ至らないことばかりでもっと頑張っていかなきゃいけないんですけどただ働いてるただ生きてるだけって事がないので日々成長していくことができている実感はあります。
そうすることによって変わっていく環境はもちろん、自ら行動して所属する環境を変えていく際にもにうまく適応していけます。
色んなことを書いたんですけど1番大事になことは、自分と向き合い自分の行動発言に責任を持ち楽しみながら人生をアップデートしていくことだと思います。
簡単なようで全力で楽しむ事は容易ではないし楽しんでいくためには覚悟が必要です。
ただ1度その覚悟がしっかりすることで、その瞬間から自分自身をアップデートしていくことが出来るのでめちゃくちゃ面白い人生を歩んでいくことができると信じています。
最後にちょっとだけ
最後にこのnoteのまとめとして簡単に説明すると、あらゆることに対して覚悟を決めることができている人のことをプレイヤーと呼べると思います。
そしてそのような覚悟を持って生きているプレイヤーの人たちの発する言葉だったり、オーラだったりってものはすごく力があり人を感動させることのできるものなんだろうなぁと。
自分の人生、自分で生きる。プレイヤーとして。
Be optimistic.
山崎壱成
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