自己紹介その➂最終回〜ニューヨーク留学編〜
こんにちは、山崎 野獣 壱成です。
今回は自己紹介noteその③と言うことで、僕の人生の1番大きなイベント1つといも言える’’ニューヨーク留学編’’ について書いていきます!
入った当初日本1だったサッカーチームで英語通訳として働き始め、アジアチャンピオンズリーグでの通訳をすることになった21歳の日本最年少のアスリート通訳になり、23歳の今はプロサッカー選手通訳をしながら、日本人向けに英語を教えたりもしながら、機能的マッチョ、健康オタクになり、野獣って呼ばれることに。こうなるまでの人生についてちょっと詳しく書いていきます。
前回のnoteでは19歳で行ったイギリス短期留学後の3ヶ月間、海外に行きたい気持ちが常にあり、我慢できなくなり、その4ヶ月後に世界一の大都市のニューヨークに行くことを決断したを書きました。その資金を少しでも稼ぐために一日20時間くらいバイトしてた激動のバイト時代について過去のnoteで書いているので気になった方はぜひ読んでみてください。
よし、早速本題です。
いざNYへ
当時19歳だった僕は2017年4月1日にニューヨークに約1年間の留学に行きました。羽田空港から出発する便だったので、友人たちが見送りに来てくれました。もちろん、英語がうまくなかったのでちょっと不安もありましたが、もう、ワクワクが止まらなかったです。
飛行機で14時間くらいで現地につき、ホームステイに入る予定だったので留学エージェントの現地の日本人の方が迎えに来てくれて車で向かいました。そしていざホストファミリーと会うと、完璧に準備していたつたない英語の自己紹介をし、日本からのお土産をイメージ通りの手順で渡し、自分の中でのベストな第一印象を与えることに成功しました。笑
その家族はマザー1人と子供が2人の3人で住んでいて、次男の5歳くらいのオマルって男の子が僕に色々な質問をしてきて、それを理解できない僕のためにホストマザーが英語から分かりやすい英語にしてゆっくり話してくれたのを覚えています。長女は少しシャイというか思春期って感じだったので初日に一緒にピザを買いに行ってじわじわ仲良くなる感じでしたね。
僕はすごく良いホストファミリーに恵まれたなーって思いながらも時差ボケもあり、少し眠くなったので早めに寝ることにして、寝てたんですけど、事件が起きました。初日に寝てたら家の前で銃声が8発くらいなって、あまりの音に目が覚めました。頭の中で爆竹を鳴らされているかと思ったくらい大きな音でした。
あの音は忘れることはないですね。カーテンをちょこっと開けてのぞいていたらそこには警察がいっぱいいて、初日でこれはやばいなって思ったのを覚えています。最寄りの駅から家まで徒歩6分くらいだったんですけど、薬でやられてたり、酔っていたりする人たちから毎日声をかけられて正直怖かったので、ホストマザーに言ったら、「何もしてこないから大丈夫だけど、自信を持って歩いた方がいいよ。」って言われました。笑
学校からかなり遠くて1時間ちょいかかってたんですけど、ファミリーが大好きでなんだかんだで1ヶ月半くらいそこに住んで、それからは移動して、最終的にはマンハッタンで一人暮らしをすることにしました。その1ヶ月半で殺気を出しながら歩く方法をマスターした気がします。笑
世界の中心で生きていると実感した学校生活
学校は、Kaplan Empire ってところに行って、エンパイアステートビルの63階にある語学学校でした。サッカー選手のピルロやビジャも通っていたり、世界中から有名な人が結構来るような有名な学校でした。それもあって、ただでさえNYはエネルギーに溢れている人が多いのに、その学校の先生、生徒のエネルギーは半端なくて、かなりの好影響をもらいましたね。
300〜500人くらい生徒がいて、その時に受けたテストで日本人の中で一番最低なクラスに入れられて、すぐに追いついてやるって誓い、猛烈に自分なりのメソッドで成長し、終わる頃には1番上のクラスに行くことができて、日本人の中で1番英語ができるようになってました。その時にどうしてそんなにも早いレベルアップができたのかってことについてはこのnoteやインスタで書いたりLiveで話したりしているのでみて見てください!
ニューヨークでは本当に多くのことを経験したし、日本にいた頃の僕の理解の範囲外の人たちとの常に交流することができていたので、人生の価値観に大きな影響を与えられました。定期的NYには行って生活できたらいいなと思っています。
とにかく大きな夢を語る人が多くて、それを否定する人が全然いなかったってことがもう1番衝撃的でしたね。こんな文化をもっと日本でも。って強く思いました。
留学期間中には学校の休みの期間も定期的にあったので、トロント、ワシントンDC、マイアミ、ロサンゼルスなどにも行きました!どの都市に行ってもそこでしか感じることのできない感覚を体感することができて、他の国にも行ってみたいって気持ちがますます大きくなりました。今の時代、調べればたびに行かなくても大抵のことは知ることができます。でも、行かないと新たな出会いをすることはできないですね。
そのニューヨーク留学後に日本に帰ってきて約2ヶ月後にプロサッカー選手の英語通訳としてかつてアカデミー時代にプレーしたサンフレッチェ広島で働くことになり、今は福岡のチームで働きながら多くの経験を積んでいます。
現在は、’’どうやったら日本人が自信を持って英語を話すことができるのか’’ってことを解決し、英語を通じて人生をアップデートできるような手伝いもしています。
まだまだ書き足りないことが多くありますが、全体的な僕の自己紹介はこんな感じで終わります!
自己紹介シリーズ➀から③まで読んでくださった皆さん、Thank you very ver much!!!
Be optimistic.
山崎壱成
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