赤ボールペンが御友達。
マイクではなく、赤ボールペンがずっと黒田アーサーの御友達。
現在でも赤ボールペンは自宅療養中の日常では使いきれず、御友達のままです。今となっては赤ボールペンが思い出いっぱいの記念品になりました。
黒田アーサーはずっと東日本ではない中部地域です。ですが当時日本中在庫が足りなくなりました。涙ばかりながしながら、毎日毎日が新しい事驚きばかりで。東日本の皆様の事を考えると、これまた涙ばかりが止まらずに御仕事になりませんでした。
当時『青い鳥』のファンネームで、ラジオに投稿したあの頃の気持ちの共有。忘れません。
ひとりの速水奨さんのファンであるのは、今でも変わりませんし、ずっと尊敬しております。
それは、芸能分野だけではなく。接客業の大先輩だからです。
黒田アーサーとして皆様にあの頃こうして御話が出来るとは思いもしないまま、黙々とひたすら泣きながら日々御仕事をしておりました。
心から、生きていて良かったと思うばかりであります。
全ての皆様に感謝の気持ちを込めて。
2021年3月11日 福士誠治より
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