夢は締め切りがあるから叶えられる。
昨年末あたりから描いている夢がある。
具体的には言えないのだけど、僕ひとりの力では成すことができない夢である。この夢の厄介なところは、叶えたい意志は持続するものとして、夢を咲かすにはおおむね時間の経過に託すほかないのが心苦しいところだ。
涙ぐましい努力によって叶えるものではなくて、娑婆の空気を求める受刑者のような、忍耐的なことなんである。サマージャンボにでも当選すればすぐ叶うのだけど、あいにく宝くじに夢を叶えられたくはない。
おまけにこの世情で受けたい資格試験が中止になり、いまいち努力のベクトルをどこに向けたらいいかで迷子になっている。
自らの努力量次第で距離が縮まらない夢なんて、あまりに手持ちぶさたで、自分をもてあましてしまうじゃないか。
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研修担当だった先輩が退職した。
講義をするときは堅い人という認識で、抑揚がないせいか講義はかなり退屈だった。だが、いざ一対一で教える時はこちらの質問を聞く態度はやさしく、解決したときには不意に笑みをこぼす人だった。コミュニケーションが不器用そうだったけど、けっこう好きだなと思った。
週一回の上司との面談(最近は電話)で退職の知らせを受けた。退職理由は、もっと人に教えたくなったから環境を変えるらしい。
あんまり何を考えているかわからなかったし、よく欠勤する人だったからマイナスイメージの理由を考えてしまったけど違った。すごく前向きな理由に、はっとさせられた。
試験日程のような公的なスケジュールにレールを敷かれるんじゃなくて、夢の実現期限は自分でつくっていいんだなと思った。
よく考えたら高校一年から勉強している子が志望校に合格できて、三年生から勉強する子は手遅れで、僕は紛れもなく後者なのだった。勉強を始めるというのは早いに越したことはない。
環境を変えるという選択によって自分のレールを歩き始めた彼の背中が、未来は自分でつくるものだと言った気がした。
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夢には期限があったほうがいい。
宿題に提出期限があるように、夢にも制約がないと人は動かない。センター試験の日付が決まっているから受験生は勉強を始めるわけだし、夏が近づくから揃いも揃ってダイエットを始める。
だから夢には期限というゴールテープが付き物だ。そう思っていた。
でも本当に夢を叶える人というのは、誰に何を言われなくとも、ゴールテープを己で持てる人なのだろう。自分で持っているから、けっこう遠くまで走り続けられる。
ゴールテープを他人任せにしている人は距離ばかり気が向いてしまって、肝心の過程がおろそかになる。だから僕の夢はいつまで経っても叶わない。いい加減、気概というスタミナを無駄にしたくない。効率よくとは言わないから、せめて自分の見える位置にゴールテープを置いて走り出したい。
たぶんゴールテープは何本切ってもいい。だって、人生におけるゴールテープが一本や二本だったらつまんない。何本も何本も切って幾度となく足を動かしたとき、夢に締め切りがあることが馬鹿馬鹿しく思えるかもしれない。
脇目も振らずに、走っていたい。
頂いたお金によってよもぎは、喫茶店でコーヒーだけでなくチーズケーキも頼めるようになります。