かつて天才だった俺へ
負けたと思った。そして同時に、そのときの"俺"は何にでもなれた。
2021年2月11日、Creepy Nutsのライブに行った。密を避けるためにパイプ椅子がお行儀よく並べられたZepp Tokyoの会場は、私の知る"ライブ"会場ではなかった。
何度も訪れたことがあるZepp Tokyo。最後に行ったのはたった1年前の2020年2月8日であったのに、私はライブという劇薬をひどく欲していた。
音を浴びてカラダから放出される汗と熱、翌日の筋肉痛すべてを久しく感じていない。ライブがない生活なんて。ライブの存在を糧にして生きていたのに。その憤りに苛まれながら開催されたCreepy Nutsのワンマンツアー「かつて天才だった俺たちへ」。行くしかなかった。
「かつて天才だった俺たちへ」という曲は私がCreepy Nutsの虜になった起爆剤であり今となってはお守りのようにこころの奥底に忍ばせている曲でもある。
「貴方へ」と「another way」のライムに心地よさを隠せないが、それ以上に、誰もが可能性にあふれていることを肯定してくれるこの歌詞に何度背中を押されてきたか数え切れない。
R指定は歌詞を書いたときの心境をこう語った。
天才なんて言葉、自分とは無縁の言葉と思っていた。来世でも自分には到底ラベリングされる言葉ではないだろうし、才能ある人を天才とラベリングすることもなんて陳腐で都合のいい言葉なんだろうと思っていた。けれど、たとえば宇多田ヒカルを語るときに出てくる言葉は「天才」しか己の辞書になかった。それこそなによりも浅はかなことだった。だから軽くてうすっぺらい天才という言葉と仲良くするつもりなど毛頭なかったのだ。
しかしR指定は天賦の才能を授けられた者のことを天才と言うのではなく、生まれた瞬間の、何にでもなれる可能性にあふれた状態のことを天才と言った。言葉を武器にいくつもの板の上で修羅場を勝ち抜いてきたR指定が言うにはありあまる真理であり、聴く人の数だけ存在する「あなた」に響き渡るであろう歌詞だと思った。
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ライブに行った2月11日が明けた翌日、ライブで浴びたR指定の言葉の数々とDJ松永の奏でる音の威力の高さそれぞれにぐらぐらしながらPCを開き、どうにかこの感情を文章に落とし込みたくて仕方なかった。
そこでCreepy Nutsに関する音楽文をいくつか読んでいたとき、5日前に投稿された音楽文があった。Creepy Nutsを浴びたばかりの私には重すぎる一撃であった。
要約すると、社会人になって他人から努力と言われるような行為はしてきたが胸を張れる結果が出せない25歳という現状のなか、日本武道館で「かつて天才だった俺たちへ」を歌う”大器”となった今のCreepy Nutsは、私も同じように”晩成”してやるんだと奮い立たせてくれる存在である、という内容だった。
筆者は私と同じ25歳。若くして何者かになることを同調圧力のように強いられた世代。しかしこれを書いた筆者もまた、私を横目に高みへ昇っていった奴らと同じような、何者でもない人の姿をした強者に見えた。
負けたと思った。そして同時に、そのときの"俺"は何にでもなれた。
敗北感と羨望は一瞬にして「いま読めてよかった」という余韻に変わり、鼻息を荒げて開いたPCはいつの間にかシャットダウンしていた。私は"書かない"選択を取った。そこに心残りは一切なく、むしろ晴れやかな気持ちを抱かせるほどの代弁をしてくれた筆者は、紛れもなく"大器晩成"という同じ志をもつソウルメイトだった。清々しい読後感につつまれてしまったのをよく憶えている。
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かつて私は天才だった。
自分の何もかもが嫌で嫌で仕方なかった3年前、同年代の友人は大学を卒業しありふれた人生の歩みを着々と進め、私は浪人してまで入った大学を辞めてフリーターになった。自分で選択したはずの環境が真っ暗闇に見え全てがどん底だと感じたあのとき。だがあの瞬間こそ、自分を変えようと環境を移し生まれ変わった状態であり、無敵感と万能感を纏った自分こそまさしく天才だった。
しかし私の思考の悪い癖は、つらかった時期を懐古してこのように苦しみもがいた部分だけ補正をかけて切り取っては文章にしたためてしまうこと。それは大概、地続きで生きてきた今日までの自分を労る心持ちで書いているが、すこしだけ、後ろ髪を引かれている節がある。
結果が出せなかった。やりたいことはいくらでもあった。人に優しくできなかった。枝分かれした分岐点の、選ばなかった方の枝がちくちくと私の背中を刺し、それにつられて簡単に後ろを振り返ってしまう。25歳になったいま、その思考のしかたをやめたいと思っている。
選択の連続につねに生じる"選択しなかった方"に負い目を感じる必要はない。3年前、かつて私が天才だったように、いまの私だって何にでもなれる。それを証明するのは未来の自分こそ知ることだが、すくなくともCreepy Nutsの存在といまの自分の諦めない姿勢が私を天才たらしめる証明になることを信じてやまないのである。