人生藤枝
"僕の人生は藤枝MYFCと蹴球都市ふじえだ"
ということで、noteを本格的に始めていきたいと思います。温かい目で見ていただけると幸いです。笑
そして、小笠原佳祐選手の企画にも参加したいと思います!↓
1.いっっさです
まず、自己紹介をします。高校2年生(17歳)、藤枝市内の高校に通っています。部活は平日のみのフットサル部に所属してます。
サッカー観戦より応援が好きです。たま~に写真撮ってます。
藤枝MYFCを応援し、学生サッカーは藤枝明誠高校サッカー部と常葉大学サッカー部も応援してます。また、静岡ユース(静岡県選抜)も。
ざっと、こんな感じですかね~。
2.出会い
MYFCを応援し始めたきっかけをお話します。
小4.5くらいにMYFCを知り、そこからスタジアムに通いました。きっかけは当時監督の大石篤人さんが小学校に来て下さり、「夢」をテーマに授業を行って下さいました。そこでMYFCの魅力を知り、地元クラブを応援したいと思いました。ぶっちゃけ、MYFCよりも大石さんのファンにあったのが最初でした。笑
藤枝総合運動公園は自分の家から車で2.3分、徒歩で5~10分の距離にある、ご近所スタジアムです。親とよく通ったのを覚えてます。やはり、地元って最高ですね。
大石さんの次に覚えた人はシジマールさんでした。現役時代のシジさんは知りませんが、テレビに出演されてるのを見てすぐに覚えました。
3.応援することが好き
色んなことを話したいのですが、次は応援のことにします。
僕がMYFCを知ってスタジアムに通った頃は、ゴール裏は解放してなかったです。なので、メインスタンドの端の方での応援でした。
2019年にゴール裏が解放して、知り合いサポさんに誘ってもらいゴール裏に行きました。
そこで一番感じたことははサッカー観戦よりも"応援"が好きということ。
応援は奥が深い。声出し応援はもちろん、自分は幕やゲーフラを作ることを始めました。
作ったきっかけは、1.貼ってる人がかっこよかった、2.自分の想いを幕やゲーフラで表現してみたかった、3.作成してみたかった、です。
4.応援をリードする立場
小さい頃から憧れだったこと。
それは、応援の中心部で応援することや応援をリードすることでした。
2020年に応援団体に入らせて頂きました。当時、中3。まだまだ未熟でサポーターのことを何も知らなかった自分でしたが、太鼓を叩かせて頂けることになりました。
はじめてリードしたのは2020年のアウェイ相模原戦。その日までは太鼓隊から指示があって、それ通りに叩いていました。アウェイ相模原では、何のリズムチャントにするか自分で全て考えました。正直、めちゃくちゃキツかったのを覚えています。ですが、太鼓は数少ない役割。だからこそ、みんなの想いを胸に責任と覚悟を持って90分間リードしました。
5.応援団体を結成する
2021年の5月。今、自分が代表を務めている"ULTRAS FUJIEDA"という団体を作りました。
最初は3人で始めた団体活動。まず、なぜ団体を作ったかお話したいと思います。
要約すると、「若手が少ない。若手を増やしたい。ゴール裏の入口を増やしたい。」です。
当時は指で数えれるくらいしか若手がいなかったです。本当にいなかったです。
正直、清水エスパルスやジュビロ磐田は若いサポーターがたくさんいて羨ましたかったのもありました。だからこそ、自分と年齢が近い人をたくさん集めて活気あるゴール裏にしたいという思いが強かったです。"活気あるゴール裏"については別でnoteに書きたいと思うので、触れません。(話がとても長くなる可能性があるので…笑)
もっともっと作った理由などを話したいのですが、それもまた別でnoteに書きます。
6.結論はなんだよって…
結論は最初にも言った通り、"人生藤枝"ってことです。サッカーのある家族に生まれて、小学生の時にMYFCに出会い、中学生で太鼓を叩かせていただいて、高校生で団体を作り…今があります。
やっぱり、僕の自分は藤枝MYFCがあるからこそだと思います。
地元のクラブが大好き!!
1~5の内容がとても薄いので、詳しくはまた今度載せます。薄すぎて申し訳ないです。
他にも…
・自分にとっての"蹴球都市ふじえだ"
・なぜ、YouTubeチャンネル登録を始めたか
・応援の奥底へ
・MYFCとは別で応援しているチーム
・お金では買えない、クラブ愛とは
・MYFCの10年後はどうなんだろう
など、色々とお話したいです。
YouTubeもやっているので、チャンネル登録よろしくお願いします。