なんでそんなにボランティアしてんの?
こんばんは、今日は4月3日
深夜2時近くです。
言語化することを諦めないことが今年の豊富でもあるので
こんな時間ですが書いてみようと思います。
テーマは なんでそんなにボランティアをしているのか です。
考えてみれば考えてみるほど、当たり前じゃんってなるけど
考えずにはいられない、そんな日々
誰かを励ます時に役立つかも知れない普遍心理を追求したくて
やってます。(本当は自分を励ましたい)
それではスタート
ボランティアという活動について
友人との会話で言いづらい
最近何してるの?という話題になると思いますが、
ボランティアと答えるのは、私はなんとなく答えづらさを感じているし、
真面目なイメージがつくのがちょっと嫌です。
初対面、言われがちなのが
もっと真面目かと思ってた
全然笑わない人かと思ってた
などというネガティブ第一印象です。
第一印象が悪いなら、後は好感度と共に印象も良い方へ上げていくのみ
と言い聞かせていますが、やはりちょっと悲しい。
活動に名前をつけるとするのならそれは
お金をもらえないアルバイトで、
サークルというには活動は個人的すぎる、、
活動内容も白山調査隊がわかりやすいように、
地域活動でありボランティアです。
説明が面倒だし、理解してもらうには活動を丁寧に話す必要がある。
だから友人に話しづらいんですよね。
なんでそんなイメージになるのか
ボランティアというと
・真面目
・経験のためにとお金のない組織が大学生を釣るもの
・偽善
・無料のアルバイト
・暇つぶし
・お金と時間が余った人がやること
のようなネガティブ(?)なイメージ
一方メリットは
・年齢や職種がほぼ関係なく参加できる
・活動に興味がある、興味で繋がれる
・運が良ければお昼ご飯もらえる
・お金稼ぎが目的ではないので良心的な人が多い
・お裾分けもらう機会が増える
みたいなこんな感じでしょうか
このメリットたちは参加した人が得られるもの、特権だと思います。
精神的なメリットと物理的なメリットがゴッチャになってますが、まあ良いとして。。
参加したことのある人ならわかるし、
おそらく、自らの意思でボランティアをしたことがない人はわからないと思います。でもそれで良いと開き直ることにしています。
そうです。ネガティブイメージは、参加したことがない人から作り出されているものなので、当然理解してもらうのが難しいと思いました。
えらいとか言われるけど私は、そうやって称賛されたいわけでもない。
ただ真面目というわけでもないし、楽しんでいるのは事実で
上部な付き合いをしているわけでもない
いろんな見方ができるボランティアという類の活動は一概には言えないけど
結論、やってみたらわかるよ〜です。
もちろん自分の意思でやりたいと思ったところに参加すべきで、強制されていては私の感じるようなメリットは得られないと思います。
ボランティアをする個人的な意義
夜になって考えてしまうこと
春休みを過ごしており、現在はアルバイトをせず
自分のために時間を使っています。
夜は映画を見るようにしているのですが、余韻で考えがちなのが
存在意義 とか 活動している意義 とか
あらゆることへの
"このままでいいのか?"感が
重い部屋の闇とともにのしかかってきます。
答えられなくて悔しかった質問
それは、最近友人からもよく聞かれるようになった
なんでユウナってそんなにボランティアするの?
という質問です。
相手にとっては単なる疑問で何が楽しいの?
というくらいに私に聞いてきた質問だったようですが、
これが、なんか、答えられなくて
ずっとモヤモヤしていました。
でもなんかさっき分かったのが
存在意義をボランティアをすることで見出しているのではないか
ということです。
社会貢献という言葉があったり、自己実現という言葉があったり
一方で
偽善者という言葉や自己満足という言葉もあります。
時にはそれでは良くないこともあるけど
地域活動とかイベントとか
ボランティアなんだから別にそこまで考える必要はないよねってことです。
存在意義を見出しているとはどういうことか
それはつまり、自分の居場所ってことです。
よくある話ですね、これもまた。
他の人を例に考えてみたとき、時間のかけ方・重きの置き方って
それぞれですよね。そういうこと。
ある人はめっっちゃバイトして働いている
ある人はいつもの友人の家で飲んでいる
ある人はずっとゲームをしている
とかとか、、
バイトにいるのもお金が必要なパターンもあるけど
そこにいることが心地いいのかも知れなくて、仕事・労働力という側面から必要とされていること=存在意義 を見出してるんじゃないかとか
友人の家でいつものというのはメンバーが固定化しており、自分の席があるということだし、ゲームもオンラインゲームを例に挙げると戦闘力としてチームワークを発揮することが自分の存在義的な???
そんな感じで私も地域に出ては
自分のコミュニケーションとしての会話や仕事を少し手伝ったりすることで力を発揮し、居場所を確保&存在意義が確立されているんだなあ と自覚
ただそれだけのことだと理解しましたとさ
本当にそれだけ(笑)
社会に対してというよりは、自分の力を発揮して誰かに喜んでもらったり、役に立っているという実感こそが大切なんだよね、きっと
私の場合はボランティアだと実感しやすいらしい。
人によって度合いとか属性的なものがあるんだろうな
って考えるとちょっとおもろいかもね、
趣味と存在意義の関係性はどうなっているのかという問題が垣間見えたけど
今日はこの辺で。
あとがき
文章って高校生までずっと添削され続けてきたから
こういうときなんて書くのが正しいのか
自分の言葉って伝わっているのか、文脈おかしくないか
とか気にしても気にしきれないし
直してくれる人がいない苦しさと教育のあり方を考えますね。
そんな夜でした。
ではまた。
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