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芥川賞候補作ぜんぶ読みました(24年下)

芥川賞予想の恒例記事です。

候補作はこちら。

安堂ホセ(3回目の候補)『DTOPIA』文藝秋季号(233枚)
鈴木結生(1回目の候補)『ゲーテはすべてを言った』小説トリッパー秋季号(268枚)
竹中優子(1回目の候補)『ダンス』新潮11月号(111枚)
永方佑樹(1回目の候補)『字滑り』文學界10月号(175枚)
乗代雄介(5回目の候補)『二十四五』群像12月号(159枚)

https://bungakushinko.or.jp/award/akutagawa/index.html

候補になった回数および枚数は知るひとぞ知るこちらのサイトから引用しました。

乗代雄介は2015年の群像新人文学賞受賞者で、野間文芸新人賞・三島由紀夫賞を取っている、もはや「新人」に与えられる芥川賞は役不足なぐらいの大物。芥川賞も候補すでに5回目。
安堂ホセは2022年の文藝賞受賞者で、ほかにない魅力が文壇で受け、出す作品がことごとく芥川賞候補になり、今回で候補3回目。
約束されたこのふたりに新人勢がどう立ち向かうかが見どころになりそうです。
竹中優子は2024年の新潮新人賞の受賞者で、実は角川短歌賞・現代短歌新人賞・現代詩手帖賞を取り、中原中也賞・H氏賞の最終候補にもなってる。2024年下期の新人賞受賞作は6作とも読みましたが、「竹中優子がはっきり頭抜けてるな」と思ってたらやっぱり来ました。
鈴木結生は林芙美子賞佳作からの流れ。
永方佑樹は詩と思想新人賞・歴程新鋭賞を取っている詩人です。

まず今回、ラインナップの作家名を見てもうかがえるんですが、すばらしくレベルの高い回だと思った。ぜひ候補作を読んでほしい。

これはAIの評点です。今回の候補はすべて、前回の候補より点数が高い。前回そうじて「ちょっとアマチュア然としているな」と不満だったんですが、今回はいつもどおり、いや、それ以上の芥川賞と言えると思います。

ちなみに評点のなかに自作を混ぜています。

AIがどのぐらい信用できるかひとつの基準として置いています。また批評をするんだから自分はどれほどやねんというのも開帳しないといけないだろうバランス感覚もある。
ちなみに「いつなつ」は文藝賞一次落選作ですが、AI評点としては前回のすべての候補作より、また今回の候補作のうち3作よりも高い。
これは自作がすぐれてると駄々こねたいわけじゃなくって「芥川賞は純粋に文章として見たときそういうものが選ばれる」ということが言いたいんです。AIは純粋に文章のよさを見る。芥川賞(純文学)はそれを越えたところに評価が存在する。

とはいえAI評点を相対的に見ることは可能なので、
・今回は前回よりレベルが高い
・接戦である
ということを主張することはでき、今回の芥川賞のおもしろさを客観的に示すエビデンスになろうと思います。

ちなみにAIは「二十四五」「ダンス」の同時受賞を予想しています。では私の予想はなにかといえば。

受賞作:「ダンス」「字滑り」

芥川賞はビジネスなので、昨今の傾向からいえば、かならず2つ取ってくる。「ゲーテはすべてを言った」はエンタメにすぎない。「DTOPIA」は安堂ホセの過去作ほどのインパクトはもうない。「二十四五」はよくできてるけどもはや新鮮さに欠ける、という消去法と、純粋に「ダンス」「字滑り」がよかったのでこの予想になりました。

一個一個の作品につき、読んだ順にコメントしていきます。

鈴木結生『ゲーテはすべてを言った』

あらすじ:
1.博把統一は、家族との外食の際に"Love does not confuse everything, but mixes."というゲーテの言葉を見つけ、その出典を探し始める。
2.同僚の然紀典が著書における捏造・盗用の疑惑で失踪する中、統一は必死に言葉の出典を探し続ける。しかし見つからない。
3.統一はテレビ番組の収録中に、その言葉をゲーテのものとして発言してしまう。
4.娘の徳歌が運営する名言サイトを見て、その言葉がインターネット上で広まっていることを知る。
5.家族でドイツを訪れ、昔の友人ヨハンやゲーテゆかりの地を訪ねる中で、その言葉の真偽についてさらに思索を巡らせる。
6.テレビ番組が放送され、統一は自分の発言に確信を持てないまま、言葉の意味について考え続ける。
7.結局その言葉がゲーテのものかどうかは分からなかったが、統一はその言葉を信じ、受け入れることができるようになる。

誰もがまず思うだろう。「長ぇ…」この長さいる?「長ぇ」というのは小説の器にたいする相対的な感想であって「白い巨塔」「氷点」「模倣犯」を読んで「長ぇ」と思うひとはたぶんあまりいない。もっといえば「おもしろみがない」ものを読まされたとき、「長ぇ」と感じるひとがそれなりにいるだろうと思う。
わるい意味でエンタメなのかなと思う。「嬉しい」ごときにルビが振ってるのを見たとき「掲載誌のTRIPPERってそういえばエンタメ寄りじゃなかったっけ」と疑惑が生じるとともに、なんで芥川賞候補になったのかなというのは、作品の評価とは分けて考えざるを得ない。
ただエンタメ的なおもしろさがあったかといえば、さいご統一がテレビのまえでゲーテのものじゃない(と思われる)言葉をゲーテのものとして発表したシーンを家族で見守るのが最高潮なぐらいで、あとはわりと低調。「万葉集と万葉箱」「ミルトン・プラトン・クルトン」とかさして面白いとはいえない表現が多いし「ゲーテいわくベンツよりホンダ」は今回の芥川賞イチの滑り芸かなと思う。
作品を象徴するゲーテの(かもしれない)名言「Love does not confuse everything, but mixes」がたいしてよくないのもつらい。作中で「これは名言じゃないのでは」と自問自答するシーンがあるけど、これで容赦されようとしてるのだとしたら、馬脚をあらわしすぎ。
また言葉のオリジナリティだとか名言の真贋は「飛そ言」に代表されるようにネットミーム界隈ではふるくから言われているので「界隈で陳腐化したものを別の界隈に持ち込めば新しいものとして取り扱ってくれる」ある種のロンダリングにも見えた。
さいご、これは作品の評価に関係ないけど、作者の年齢をいちいち話題にするのはもうやめたほうがいいのではないか。エイジズムという意味で差別だし、第一つまらないし、作品の評価(と発言者の品位)を損ねるだけ。

安堂ホセ『DTOPIA』

あらすじ:
1.物語の中心となるのは、2024年にフランス領ポリネシアで開催されるリアリティー恋愛番組「DTOPIA」。世界中から集まった10人の男性出場者が、ミス・ユニバースと呼ばれる女性の心をつかむために競う。10のエピソードにわたり、男性たちは島で共同生活をしながら、ミス・ユニバースとデートを重ねる。
2.出場者の一人は、キースまたはMr.東京と呼ばれる日本人男性。回想シーンを通じて、キースの問題を抱えた過去が明らかになる。十代の頃、キースはトランスジェンダーの友人モモの睾丸を摘出した。その後、キースは金銭と引き換えに小児性愛者から違法に睾丸を摘出するようになり、やがて情報を得るために拷問を行う怪しい組織に関わるようになる。
3.現在はタヒチで女性として暮らすモモは、番組の途中で他の地元女性たちとともに島に到着する。モモはキースと再会し、2人の複雑な過去を振り返る。

設定を作るのが好きなんだろうなと思う。でもそれが説明としてあらわれるので、小説としては読むのがつらい。裏社会の話に興味ないしそれが「東京の闇」として書かれたとき、田舎に育ち暮らす自分のような読み手には他人事でしかない。さいごの「私たち」って誰?これは私の物語じゃないけど?というか社会問題を「説明」して、そのさきに何があるんだろう。小説のストーリーのなさが、作家としてのストーリーのなさに通じている、というのは言い過ぎだろうけれど、究極この執筆を稼働したものは「怒り」に見えて、MCとしてそれはありだが、読者がおなじように気持ちよくなれるかは別で、クラブのすみっこで始発を待つようなこころもとない気持ちで読んだ。「ブロンド美女の女王国が観たい」みたいな男同士の悪乗りもちょっとのれない。「赤ムハ」「となりのトトロを見すぎてケモナーになる」「原爆ドームの上空に落書きするアート集団がかっこいい」みたいな差別的描写もきつい。へんに格好つけず、もっとふつうに書いていいんじゃないの?と思った。格好つけるのは格好わるいよ。

永方佑樹『字滑り』

あらすじ:
1.「字滑り」とは、人々の書く文字や話す言葉が、ひらがな、カタカナ、漢字のいずれか1つの文字種に限定されてしまう現象のこと。
2.まもなくオープン予定の山間の新しい宿泊施設では、「字滑り」が頻繁に起こると言われ。3人の人物が体験モニターとして招待される。
・字滑り現象についてブログを運営している骨火
・自由奔放な若い女性のモネちゃん
・物静かな30代女性のアザミ
3.滞在中、モニターたちは宿泊施設や周辺の村を探索し、山の神や鬼婆に関する地元の伝説について知る。しかし、字滑りの現象は一向に起こらない。
4.骨火とモネちゃんは、字滑りが起こらないことにいら立ちを募らせる。一方、アザミは森の中の小屋で謎めいた女性と出会う。その女性は赤ん坊に授乳しながら、赤ん坊に文字の断片を口にさせることで言葉を作り出しているようだった。
5.最終夜、過去に大規模な字滑り現象が起こった記念日が近づく中、骨火とモネちゃんは近くのコンビニに向かう。店内で、ついに二人自身が字滑りを体験することになる。
6.物語は1年後に締めくくられる。宿泊施設では約束された字滑りは結局起こらず、オープンには至らなかった。世界的に字滑りの現象も止み、生活は普段の流れに戻り、この異常な出来事は概ね忘れ去られていく。

ありがちなテーマだけれど「言葉」を切り取ったとき、そこがSNSとかバズにつながると、ありがちすぎて面白くない。そういう意味では、ブロガーである骨火のかかわる箇所はつまらなかった。いっぽう、アザミについて書かれた箇所は、「言葉」がいままでにない取り扱われ方をしていて、緊張感をもって面白く読めた。作品全体に通底しているぶきみな雰囲気がとてもいい。SFとしてもミステリーとしてもホラーとしても民話としてももちろん純文学としても読める。一文がながく、文章がうつくしく、また「声に出したい」表現が多いので、作品のテーマさながら「言葉を食べたい」読者にとってたいへん美味だ。「山」「雪」という文字を象形的に解体する場面などは息を呑んで読んだ。コバルトの雨を食べるなんて、誰が思いついただろう!なにごともなく終わるので「答えを欲しがる」読者にとってはつまらなく思えるかもしれないけど、イミ売りの時代だからこそ、意味から離れて「言葉に淫する」ことを第三次性徴のように覚えてもいいのではないか。

乗代雄介『二十四五』

あらすじ:
1.景子は東京から仙台に向かう新幹線の中で、マンガ『違国日記』を読んでいた。
2.隣に座っていた女子大生の平原夏葵が、そのマンガに興味を示したため、景子は彼女にマンガを譲る。
3.仙台に到着後、景子は両親や弟夫婦と合流し、披露宴の前夜に家族で食事をする。
4.披露宴当日、弟の幼馴染である香堂くんから、景子の叔母・ゆき江に関する思い出話を聞く。
5.式の翌日、景子は夏葵と再会し、彼女の地元を訪れる。二人は雷神山古墳を訪れ、亡くなった大切な人について語り合う。
6.最後に景子は、叔母との思い出と自身の作家としての生き方について内省する。

AIいわく「日本文学の最高水準」とのこと。たしかにめちゃくちゃ巧い。ただ、いまの純文学に毒されすぎてる気がする。わるくいえば古い。「新人」に与えられる芥川賞として考えたとき、もっと、いままでにないものが読みたいなと思った。表現とか、純文学において良かれとされてきたものが丹念に選ばれているのだろうが、そこが鼻につく。あえていえば、もっと下手でもいいのではないか。そこに小説とか作家の「ほんとう」があるし、触れられないならどんなにうまくても衒文学にすぎないと思う。これの悪いところは、作中であつかう「死」がぬるくなってしまうところ。いちいち小説に小説家を出すのもあざとい。指示語の多用とかはリーダビリティを損なってるなと思う(あえてやってるんだろうけど、そこがまた)。取ってつけたように「いい話」を盛り込んでくるのはやらなくてもいい。「Jupiter」は、「ベンツよりホンダ」とならぶ今回の滑り芸だろうなと思う。さいごの、自転車の芳香剤はよかった。芥川賞候補にならなくてもいいから、売れなくてもいいから、読者のわがままをいえば、ふつうにいい作品を書いてほしい。

竹中優子『ダンス』

あらすじ:
1.20代で会社に入社した主人公と、先輩社員の下村さんとの関わりを中心に描かれている。
2.主人公は仕事に没頭する一方、同僚同士の恋愛などのオフィスドラマに巻き込まれ、下村さんの問題に振り回される。
3.下村さんは元恋人との別れを引きずり、仕事を休みがちになるが、主人公は下村さんの仕事をフォローしながら、彼女の悩みに寄り添う。やがて下村さんは立ち直り、再び仕事に打ち込むようになる。
4.その後、主人公は別部署に異動となり、下村さんとは疎遠になる。30代で結婚するも、不妊治療などで夫とすれ違いが生じ、ついに離婚に至る。
5.十数年ぶりに偶然再会した下村さんは、能の世界に生きがいを見出していた。二人は互いの30代を振り返り、迷いや怖れを乗り越えて生きることの意味を感じ取る。
6.主人公は、下村さんとの再会で得た気づきを胸に、新たな人生を歩み始める。

読み始めてしばらくして「(芥川賞は)ないな」と思った。新人賞ではトップレベルだったが、今回のようにレベルの高い芥川賞回では、ほかの作品と比べて、おもに密度の点で見劣りするように思った。ちょいちょい改段落を挟んでいるあたりも、わるくいえば、素人くさい(つまり、こうしたほうが、書きやすくなるからだ)。しかし読み進めているうち、考えを改める。素直ないい文章を読み進めるうち、じんわりと加点がされていく。よけいなことをしてない。「実家のようなキッチン」とかたとえがうまい。太郎との関係の描き方がうまい。太郎の話すお風呂のくだりとか、超意味不明でとてもよかったし、下村さんがピアノを弾くシーンは、今回の芥川賞レースで至高の名場面だと思う。「終わっちゃったけど、ちゃんと好きだった」んだよね。前回の芥川賞候補では、3作ぐらいでブチギレするシーンがあった。そういうふうに消化するのではなく、ピアノシーンで落とすのは、技術ではなく、作家の魂の象徴だ。この作品はまやかしじゃないし、ほかの誰にも似てない。「(芥川賞は)ないな」と冒頭に思ったのは伏線で、正確には「(これまでの芥川賞には)なかったな」だった。

まとめ

いろいろ書いたけれど、とてもいい回だった。満足だ。

AIで評価する都合上、OCR化しないといけなかったので、整形しながらWordの状態で読み、また雑誌の状態で読むというのを、1000字毎ぐらいで繰り返した。すごく時間かかったけど、そのぶんちゃんと読めた気がする。読みながら感想をノートに落としたのもとてもよかった。

芥川賞の発表は、1月15日(水)。いつもどおりなら、早ければ17時ごろ、遅くても19時ごろには結果が出るはずです。たぶんニコニコ動画とYouTubeで中継があるはず。紙が張り出されるシーンは感動的なので、追えたら追おうと思います。

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