芥川賞候補作ぜんぶ読みました(24年上)
桜桃忌とともに芥川賞候補作が発表され、河童忌とともに将来への唯ぼんやりした不安を感じながら芥川賞受賞作が発表される……純文学の短い夏です。
ちなみに「河童忌までに電話がなければ新人賞に落ちている」と言われているため、作家志望たちは蝉のごとく、この夏のうちに作品の行く末を断つので、あったー。
というわけで恒例になりました、芥川賞の予想記事、今回もやります。
今回の候補作は公式サイトによるとこちら。
候補になった回数および枚数は知るひとぞ知るこちらのサイトから引用しました。
今回は「五大純文学新人賞の受賞者がいない」点で特徴的な回かと思います。もともと芥川賞は押しも押されもせぬ実力派作家ばかり集める賞ではなくって、いわば「それ以外の枠」が毎回ひとつかふたつ入っているものですが、今回はみんな「それ以外の枠」ってかんじ。ある意味ではより「新人賞」に近い形になったのかなと思います。それこそいつかサラリーマンが副業感覚で文芸誌に投稿し、そのまま芥川賞を取る日も近いのかも知れない。でもそうなると、いま芥川賞の選考をやってるような方々は居場所がなくなるのではと思いますが。
と前置きしつつ、予想に入っていこうと思います。
受賞作:なし
芥川賞もビジネスなので、そうはならない、どころか、おそらく二作同時受賞の形を取ってくるかなと思います。が、少なくとも一読者の感覚としては、「ハンチバック」「東京都同情塔」「アイスネルワイゼン」「ジニのパズル」のような過去の名作に比肩する作品はなかった。これらの作品とくらべて、なにが劣っていると感じたのか、小説とは、純文学とは、面白いとはなにか、を読者に問う回になったのではと思います(少なくとも私はそうでした)。
一個一個の作品につき、読んだ順にコメントしていきます。
坂崎かおる『海岸通り』
老人ホームの清掃員として働くちょっと反社会的な主人公がウガンダ人の同僚と仲良くなる話。
老人ホームという舞台も、ウガンダコミュニティの設定も、面白くなるはずなんですけど、どうにもステロタイプに見えるというか、新しい何かを読んだ感じがしない。作中にあらわれる差別とか偏見みたいなものも典型的ですよね。多文化共生とか高齢化みたいな社会的課題に一石を投げているとしたら、教科書的すぎる。
個性を感じた場面といえば「黒い手で握ったおにぎり」箇所でしたが、ここも泣かせどころとしてはいかにもかと。
文章はすごくうまくって、たぶん思ったとおりに書けたんでしょう、が、もっとそこからの逸脱が見たいなと思いました。
クオリティは高いので、私個人の見立てはさておき、芥川賞受賞の可能性はふつうにあると思います。ただこの作品だけ枚数がだいぶ少ないので、その点の影響は懸念されるかも。
尾崎世界観『転の声』
「尾崎世界観が書く音楽テーマの作品」ということで、すごく期待して読みました。と思ったらけっこうな変化球で、転売により価値を上げる仕組みが支配的な世界で、SNSを駆使して評価を上げようとするミュージシャンの主人公が、無観客ライブなどを経てもがく話でした。
ただ正直、なんでこの作品が芥川賞候補になったのか分からない……。作品は散らかってるし、人物もたくさんいてちゃんと書き切れてない。斬新な設定ばかりが先歩きして、小説になってない印象でした。
尾崎世界観は前の候補作のがずっとよかったですね。十分に想像力とか創造力のある方なので、へんに音楽とかSNSとか使いやすいネタに走らないほうがよかったんじゃないかなと思いました。
あといちおう私もバンドのようなことはやってたんですが、それでも「売れないミュージシャンの葛藤」のようなものは、この作品からほとんど感じることができなかった。客観性をもって書けていない気がします。そもそも、おなじ設定・舞台でも、主人公を客側に設定すれば、じゅうぶん共感とか理解を得られる作品になったのでは。
朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』
結合双生児である瞬と杏のやりとりを書いた作品で、生や死、意識や存在といったものがテーマになっているのかな、と。まず設定が面白いですよね。詩的で洗練された文章がすごくよくって、テーマにオーダーメイドされた文体で書かれてる気がする。そのなかで双子の抱える心理だとか感情や思考が記述されるさまは、哲学っぽさもあり、ぜんぶをぜんぶ読めたわけじゃないけど、おもしろかった。
独創的かつ実験的なので、読者を選ぶから、「海岸通り」に比べると、その点で弱いのかなと思います。ただ芥川賞を取りえる作品のひとつではあるでしょう。過去の受賞作に比べるとそれでも多少甘い気がして、私の受賞作予想には挙げませんでしたが、今回いちばん好きな作品で、これからも作者を追いたくなりました。
向坂くじら『いなくなくならなくならないで』
死んだと思っていた親友が実は生きていて……というところから、ふたりの関係を書いた作品です。
つっこみどころがいろいろあって、単純に出来があまりよくないのでは、と思ってしまった。なぜ一人称でないのかわからないし、ところどころ冗長だったり、かと思えばいきなり百合的なエモに走ったり(無理がある)、なにより人物の見分けがつかず、会話文の連続で疲れてしまう。「女子ふたりの関係性」という意味では、「サンショウウオの四十九日」のほうがはるかによかった。
テーマがなく視点が散漫で密度が低いあたり、同人誌の典型という印象も受けます。ひとつのジャンルとして「フリマ文学」という見方もできるのかなと思いました(文学フリマによくある作品、ぐらいのニュアンスです)。こういう作品が芥川賞の候補になるのは、試みとして面白いと思うけど、現時点では空回りしているように受け取りました。
松永K三蔵『バリ山行』
バリの山にでも行くのかなと思ったら(正直そっちのほうが面白い気もしなくはないですが)バリ山行というのはバリエーションルートといって、道なき道を行く登山の形態みたいです。倒産しかけの会社と、バリ山行を引っかけ、妻鹿さんというバリ山行の先輩にいろいろ教わりながら、「本当の危機」といった生き方を模索していく話、かなと思いました。
あんまりに読みやすすぎるというか、一本道なので、あっさり読み終えてしまった。読書がバリ山行してない。展開も予想どおりだし。登山の描写も平易で、いかんせんわくわくしない。会社の場面のほうが面白かったかな。こっちも描写不足ではあるんだけど、相対的にはよかった。でも、それなりに面白い部分については、この面白さなら大衆小説に仕上げたほうがいい気がする。
人物を描くなら妻鹿さんを主人公をしたほうが深みが出たかなあ。いまの主人公だと一般人すぎて魅力に乏しい。あるいは、さいご妻鹿さんとの再会に含みがあったほうが面白くなったように思いました。
もっと「本当の危機」にリアリティを感じさせてほしかったです。
まとめ
どうなんだろう。ちょっと低調な回だったかな、というのが正直な印象です。小説を小説たらしめる何か、について、それぞれの作品がなにかを欠けさせていて、それこそ「新人賞では小説の体をなしていないものを落とす」というんだったら、芥川賞候補作ではその「小説の体」を示してほしい。それが読めないのは読者のせいですか?
あと2作品だったか、コロナが作中に現れていたのが印象的でした。コロナが収束したとは思わないけど、そろそろ文学として消化されえるタイミングにはなったのかな、と感じました。
余談ですけど、作品中2つか3つぐらいに人物がブチギレする画面がありました。安直で冷めるので止めたほうがいいんじゃないかな……と思いつつ、その安直さをいかに回避するかがもしかすると文学なのかもしれません。
そのためには安直さが何かを知らないといけない。読むことが書くことに繋がる、という、シンプルな話ではあるかな、と思いました。
今回も読めてよかったです。ありがとうございました。
芥川賞の発表は、7月17日(水)ですかね。いつもどおりなら、早ければ17時ごろ、遅くても19時ごろには結果が出るはずです。いつもならニコニコ動画で中継があるんですけど、今年はどうかな。YouTubeのほうでも観られるはずなので、そっちで追おうと思います。楽しみです。
AIの予想
ちなみに遊び半分でAIでの予想というのもやってみました。
使ったのはAnthropic社のClaudeです。有名なChatGPTは長文読めないので。Google系AIのGeminiも長文いけるはずですが、こっちは残念ながらアカウント持ってません。
Claudeは性能のいいSonnet(3.5)と、長文読解に適したOpus(3.0)とあり、どっちがいいかはまだ分からないのですが、少なくとも傾向は違うので、両方でやってみました。
「AIは間違える」ので、点数は5回評価してもらっての平均値です。受賞予想では、Sonnetが3回とも「海岸通り」を支持し、Opusが3回とも「サンショウウオの四十九日」を支持したので、AI予想では「「海岸通り」と「サンショウウオの四十九日」の同時受賞」という形になりそうです。