【ネタバレ注意】StarField、ベセスダの描いた宇宙の壮大さの物語
ベセスダの新作のStarField、みなさんはプレイしましたか?
ボクはプレイしました。そしてメインクエストをクリアしました。
そしてこの物語があまりにも良すぎて語りたい気分が抑えきれなかったので、今このノートを書いています。
当然ですが、ネタバレを含んでいますのでご注意ください
読みたい人はStarFieldを買ってメインクエストだけでもやってください。
お願いします。
さて、StarFieldでは多くの植民地惑星を舞台にしており、様々な問題の解決にプレイヤーである船長は関与することになります。
大きいものだと例えばランボーのように戦時中に活躍した英雄が戦後の扱いの不満を感じてヤケを起こして起こした事件への対処
小さいものだと辺鄙な惑星で年寄りと若者が警備システムについて"古き良き方法"と"新しいやり方"についてどちらがいいか言い合っていたり
あるいはバツイチ子持ちで男手で娘を育てる男が、別れた妻と向き合っていくか。
トラブルの規模は様々ですが、本作のサブクエストで起こる出来事は舞台こそ宇宙移民の未来に遍的に現代の人間の営みで起こる問題が多く描かれており、非常に共感できる話が多かった印象です。
本作ではそういった人間味の溢れるサブクエストを楽しみながら、探索者集団としてコンスティチューションとしてアーティファクトを集めるというのが大きな流れでした、彼らが現れるまでは
物語の中盤、コンスティチューションはスターボーンと呼ばれる未知の存在と遭遇します。
彼らの装備や乗り回す宇宙船、それは人類のものと思えないほど未知の存在でした。
人類は初めて宇宙の外で未知の存在と遭遇したのです。
彼らはアーティファクトを集めつづけるコンスティチューションに対して警戒をしました。
ですが、人間の好奇心はその程度で止まるようなものではありませんでした。
アーティファクトを集め続ける主人公たちにたいして、スターボーンはとうとう実力行使に出ます。
そこでプレイヤーは初めて代償を払わされたのです。
襲撃されるコンスティチューション本拠地、そして最も親しい人間の死
味方NPCやコンパニオンが死なないような作りになって久しいベセスダゲー。
正直仲間が死ぬとは思ってませんでした。
ですが、これで終わりではありませんでした。
襲撃を受けてスターボーンの正体、そして彼らが話に出していたユニティーと呼ばれる場所について調査を乗り出しました。
暴かれる衝撃の真実、スターボーンの正体とユニティーが何なのか、そしてなぜ地球は滅びて人類は宇宙に旅立つことができたか。
これはかなり衝撃的でした。
特にスターボーンのうちの一人の素顔がかつて死んでしまった相棒と全く同じだったとき、彼がどこか人間性を喪失した顔と話し方で「いつもあそこで死ぬのはお前だった」「別宇宙の別人とはいえお前に会えてよかった」時。
もうぐちゃぐちゃでしたね。
さて、ここからがボクの話したいことです。
スターボーン、彼らの正体はアーティファクトと聖堂の力を得て全知全能になるためにユニティーを使って様々な多元宇宙を旅する存在でした。
彼らの目的と正体を聞いたとき、他人事に思えませんでした。
いままでのゲーマーとしての自分の行動と重なったからです。
今までのベセスダゲーム、Fallout3から始まり、Skyrim、Fallout4、そしてFallout76に至るまで、これまで我々はベセスダゲームをプレイするとき、武器やシャウトなどの様々な力を収集し、そしてルート分岐を確認するために周回プレイをしてきました。
そう、スターボーンの行ってきたことはそうした今までのメタ的なプレイヤーの行動原理とある意味同じなのです。
コンスティチューションを襲撃したスターボーンの行動原理も「話し合いで説得するよりも殺して奪う方が効率的だから」というものでした。
それはしばしベセスダゲーでプレイヤーが行う虐殺行為と全く同じ行動原理です。
ある意味でStarFieldで描かれる物語はメタ的は要素を内包しているように感じました。
そして、それと同じくらい今まで積み重ねてきた物語や人々のドラマも数ある宇宙のうちの一つに過ぎない。多元宇宙の1つにしかすぎないのだと感じました。
今まで集めてきた数々の装備や体験してきた物語の全てを捨ててまで、ユニティーに向かうのが急に惜しくなりました。
いままでベセスダゲーで周回するときはなんの躊躇いもなくNew Gameを押せたのに、それとやってることは同じはずなのに
これはおそらくベセスダゲームやスターフィールドの世界を堪能してる人ほど深く悩まされる物語だと思います。
そうった葛藤を抱えつつ、最後にプレイヤーはアーティファクトを集めきり、ユニティーへと達します。
もう一人の自分との対話、そして主人公の選んだ選択肢で世界がどうなるかを見た後、ユニティーへと入っていきます。
その先にあったのはスターボーンの船内でした。
そして息を吐くように、いつものように自分の姿を見ました。そしてそこで気づいたのです
自分はスターボーンになってしまったことに。
相棒を殺してかつてあれだけ忌み嫌っていたスターボーンに成り果て、プレイヤーはかつてのように再びニュー・アトランティスのロッジに向かいコンスティチューションとコンタクトを取る。
これがこのゲームの周回プレイだったのです。
こんなに虚しくて、悲しくて、どこか開発から自分への強いメッセージを感じる2周目はなかったです。
これはある意味今までのベセスダゲーの文脈があり、時代遅れと揶揄されるくらいこのゲームはベセスダゲーだったからこそ許された物語なのだと思いました。
どこか悲しい2周目の始まり。
ボクはスターボーンである自分に耐えられずにエンディング直前のデータをロードしてしまいました。
メタ的にはそれがスターボーンの行為と全く変わらないのに
こういったメタ的な部分とSFならではの宇宙の壮大さや神秘をうまく合わせた体験は今までのベセスダゲーでは全く味わえない感覚を感じました。
このゲームでは革新的な技術やアプローチがないと言われていますが、そうったものがなくても新しいものは作れると思います。
ある意味このゲームはベセスダらしい着実な積み重ねでできてるゲームでした。
莫大なコンテンツを作るだけの開発力もそうですが、それはプレイヤーやベセスダのこれまでの道のりも含めてです。
おそらくこのゲームをやったあと過去のベセスダタイトルをやろうとしたら、以前とは違う感じ方になるのだと思いました。
New Gameというボタンが多分重くなると思います。