「黒咲シオンの荒野譚」なぜ短編の別ゲームを描くに至ったか。アンチテーゼと弁証法
こんにちは、皆さんは被甲連合の作品を見ていますか?
当方が主催するVRCグループ被甲連合では様々な媒体を通してかっこいいアバターや世界観を布教するための活動をしています。
今日はそんな中で作られた短編のノベルゲームの話をしようと思います。
まず、このノベルゲームを作るにあたって自作品や好きな作品へのアンチテ
ーゼであることが大前提であると思っています。
今回はそんな短編ノベルゲームについて関連作品も含めながら話していこうと思います。
EAT OR DEADで出来なかったこと、やらなかったことへの挑戦。
被甲連合で制作されたVRC映画、EAT OR DEADでは一般的な創作やVRC創作でやらないことをやりました。
その一つがキャラの希釈化と概念化だと思っています。
本作において作中の人物は名無しの一般兵が敵や仲間、主人公や出来た大人などの概念的な役割(ロール)が付与された概念的な存在として描写されています。
故に、作中の半数の人物が名前すら呼ばれません。
これは演者とキャラクターとの結びつきが強くなることで"〇〇役の△△さん"といった責任を関係者に与えないためでも有りました。
ですが、実際にやってみて気づいたのは思った以上に演者さんの意気込みが高かったり関係者や見てくれた人がキャラクターに思い入れを抱いていたことでした。
故に、黒咲シオンの荒野譚や今後公開予定の紅蓮グレイ&被甲連合では逆に強いキャラクター性及び属人的であることを目標に物語を作ることを目指した次第です。
なので、黒咲シオンちゃんや風間ミドリさんは明確にキャラクターとして個性を持った存在を作りたいというところから書いています。
逆男塾。男ならしねい。女子供は生きろ
EAT OR DEADが"男ならしねい"と言わんばかりに無常に死んでいく男たちの物語でした。
これに対して逆算的に"女子供は生きろ"というのが黒咲シオンの荒野譚であると思っています。
それに、人が雑に死ぬばかりの物語しか描けなくなるのが怖かったので。
だからこそ、本作では意図的に銃撃戦や人が傷ついたり死ぬ描写を抑えています。
そこから逆算して、銃で命を奪い合うよりも尊厳踏みにじられる行為とはなにか、というのについても考えた部分はあります。
そこら辺も踏まえて今度追加シナリオも書きたいです。
なので、ホントは多くを語りたいけども語れないのがつらい。
推しキャラへの厄介クソデカ感情。
自分はエヴァがめっちゃ好きで、特にヒロインだとマリ姐さんとアヤナミレイ(綾波レイではない)が好きなんですね。
そのうえでエヴァQ~シンエヴァのアヤナミレイの扱いに思うところがありすぎて数年単位で拗らせた想いを抱いてたんです。
アヤナミレイ、報われてほしい!
こう、もっと色々なことを覚えて平和に暮らしてほしい
綾波レイとアヤナミレイ、現代パロで双子ってことにしてなんか平和な話とかありませんか。
そういうやつです。
その影響でアヤナミレイの面影を負い続ける邪悪ヲタクと化した中である作品と出会います。
それがプロジェクトエメスでした。
そして好きだった女の面影を奈々代さんに見出したのかもしれません。
まぁ、こういうクローンや人造人間という生い立ちを持った美少女が色々なものを背負うやつというのは普遍的概念だと思っています。
なので、多分探したら無限に出てくると思っています。
あれっすね、カレーライスくらいの普遍的なジャンルだと思ってるしみんな好きだと思っています。
そのうえで思うのが、アヤナミレイと綾波レイと碇ユイが別人であるのが大前提として、それぞれが別の人物として扱われてほしいし、変な責任や使命を負う必要はなくて人生を謳歌してほしいというのがあります。
だからこそ、綾波レイと言う概念単位で雑に救済されたのが可哀想で可哀想で・・・
アヤナミレイに生きてほしかった・・・
デッドプール&ウルヴァリンで黄色いスーツのローガンと今まで活躍したローガンが別人であるとした上で彼を救済する話だったのは嬉しかったです。
MGSではそれぞれのスネークが明確に別人であることを自覚して尊厳凌辱してるのも好きです。
まぁ・・・そういうクソみたいなやつにクソみたいな経緯で生み出されたやつは変に生みの親のクソみたいな傲慢なあれこれや企てに従う必要はないし、なんなら「いけないか?世界を敵に回して!」という怒りを抱いて世界を敵に回す権利すらあると思っています。
そして親や大人がやるべきなのはそういう世界を敵に回すほどの恨みが出ないように精一杯彼らや彼女らを愛することだとも思っています。
そういう子がクソみたいな親のあれこれに利用されたり、ネルフみたいなカルト集団やカデシュみたいな殺し屋集団にいつくことが許せなかったのかもしれないです。
そういうアンチテーゼをしたかったのかもしれないです。
そのうえで、彼女たちの人生を否定したくなかった。
だから一次創作に落とし込んだのかもしれないです、この感情を。
「アンタのオリジナルはもっと愛嬌があった」
じゃないんですよ。マリ姐さん。
あの子もね、あの子も色々考えて感じて、最期まで
最期まで・・・うぅ
結論
まぁすなわち限界アヤナミレイヲタクとして彼女のアンチテーゼをしたかったのかもしれないです。
"作られた美少女"そんなクソみたいな責任を追わずに自分の人生を楽しんでくれ。
以上。
この感情を伝えるために書いたノベルゲーム、黒咲シオンの荒野譚はBoothにて無料頒布中
随時アップデートでシナリオ増量や演出強化予定なのでよろしくお願いします。