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揺れる梢を

大学の欅の梢が色づいてきた。今朝は冷えるなあと思ったんだ。気がついてよかった。

気温が8度を下まわると樹々の色づきが始まるそうだ。昼間と夜との温度差も関係する。

近くの大学構内には欅の木が多く植えられている。その枝先の変化は、時の流れ、季節の進みを教えてくれる大切な指標だ。
葉をすっかり落としていた枝がほんのりと紅く染まり、やがて萌えはじめる春のはじめ。
そして深い緑が橙や朱やネイプルスイエローに変わりはじめる秋。なにか一大事!という気がして梢を見つめ深く息をつく。ああ、今年も。


あの木が伐られてしまった時のことは忘れられない。
自宅の窓から見えるところに、円く枝をひろげた大きな欅が立っていた。
新緑も、萌え盛る夏の緑も素敵だった。わけても春先の、柔らかな雨の日に枝を揺らす姿。見ていると心が解き放たれる思いがした。
この木を描いた絵が幾枚か残る。数は多くないがどれも大切な絵だ。


帰宅して、外廊下から見える眺めがいつもと違うのにはっとする。広場ほどの土地を挟んだ向こうにある、建物の白い外壁が遮られずに見えるのだ。大きな木陰が消え、へんに明るい。そんなことが。
クレーンの一種なのだろうか、電気工事や何かで目にする、高く首を伸ばした機材が、せわしく働いていた。3月の初めの、寒い日だった。

大人二人でようやく抱えられるくらいの、欅の大木。枝を落とされ、幹を切られ、夕刻にその日の作業は終了した。泣きたい気持ちで近寄ってみたのを思い出す。
あたりに掘り返された土が、湿気を帯びた黒色で広がっていた。血が流れている訳でもないのに、生々しい何かが周囲に充ちていた。木は私の背ほどの高さの切り株になっている。小さなスケッチブックに、その姿を描いた。


やがて切り株も掘り起こされて、木は、すっかり消えてしまった。

ならされた土地には今、こぎれいな一軒家が建つ。そのお家には何の感慨も、うらみも持たないが、いまも木を剪定するためのリフト付きの車を見ると、また何か大切なものを奪われてしまうようで胸のうちが縮む思いがする。


これからは木枯らしの季節だ。欅の葉の色づきは深くなり、銀杏や桜や柿の葉がそれは華やかに輝きだす。


生きていればまた、大切なものが切られてしまう時がくるだろう。ひかりに包まれた梢を、満ち足りて見上げる時もくる。
柔らかな女神が降り注ぐ梢を、目の奥に見ている。






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