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今のこと

シャワーを浴びて全身着替えた。もう新しい私になったのだから、一から仕事を始めればよい。やりたかったことを為せばよい。
冷蔵庫から出した水をコップに注ぐ。飲み終えたらまずベランダの掃除をする。ばらたちはこの強い日差しで弱っている。黄変した葉をとり、枝も少し落とそう。小さな蕾は花瓶へ。ハイビスカスは今日もぱっちりと咲いている。きれいな赤だ。それから水遣り。実をつけないオリーブも、これからつける予定のゴーヤも、バジルもベンジャミンもライラックも水を飲みたがっている。

一昨々日、夜更けに親元へ呼び戻された時には人気のない街路がこわかった。月はぼんやりと滲んで黒い空にあり、たどり着いた駅から乗った地下鉄は嘘のように混んでいて、それもまた恐ろしかった。
その日はもう過ぎた。
明日のことや、来月のことを考えればよい。いや、今のことだけ考えよう。


ベランダで、ふと顔を向けた空に水平に走る飛行機雲を見つけた。ブルーインパルス!
そうか、今日はオリンピックの開会の日だ。思わず母に電話する。まだ見えるかも、空を見てみて。
いまお父さんをトイレに連れて行くところで、それどころじゃないのよ。でもありがとう、と母。


こんな時、母に電話するんだ。誰かに見せたい、喜びを共有したいと思う刹那の、自分の行動を半ば驚きつつ受け容れる。前の東京オリンピックの時に、空に五輪を見てうれしかった、という母の昔話を思い出したこともある。でもそれだけではない。こんなにも憎たらしい父母が、底では愛しいのだ。


地球の日本の東京の小さな区画の一つふたつを行き来しながら、小さなスケールで生きている。人のやさしさに触れればうれしく、争う声を聞けばかなしい。空の飛行機を仰ぎ、月を仰いで、家族と天気や食べ物の話をして暮らす。ロジカルにも賢くもなれそうにない。それでも、小さな小さな絵の中にこそ宇宙があると信じたい。深い地下鉄のような闇、空高い雲のような明るさ、青い蝶が如き尊さ。ベランダで花が揺れ、今がここにある。


(冒頭の、新しい自分、という言葉はnoteを書かれている泉順義さんの文章から得た感覚をもとに書きました。)





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