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コーリング・ユー

昔、ごく短い期間、設計事務所でアルバイトをしたことがある。たしか美大生の時、夏休みのことだ。事務所のメンバーは十名より少し少ないほどで、女性がふたり、他は男性だった。
私は建築模型を作る担当者の補佐として、材料を買いに行ったり、制作の手助けをする役目だったが、他にも電話番をしたり来客にお茶を出したりした。

女性二人のうち一人は、その事務所の代表の一級建築士で、母とは姉妹のような関係の人だった。要するにコネで得た、ほとんど遊びのような、実に無責任で無目的なアルバイトを私は何日間か、した。

模型作成担当は50代くらいの男性で、毎日夕刻になると仕事の手を止め、ジェヴェッタ・スティールの歌うコーリング・ユーを流して窓の外を見ていた。煙草をふかしていたかどうか、そのあたりの記憶はないが、窓から間近に見える東京タワーと暮れゆく空の色を今も覚えている。
彼の仕事が終わりにさしかかっているのか、それともこれからまだまだ残業となるのか、定時に偉そうに帰る私には何もわからなかった。
ただ、ああこの人は職場でこういう時間を持つ人なのだとぼんやりとその人を見、その音楽を聞いていた。

もう少し年配の、白髪の縮れた小柄な男性は、話すこと自体が好きなようで、常に何かしら喋っていた。夏だったからなのかアジアの国々に対する意識、というような話になり、「ああ僕はだめなんだ、どうも。『過去に不幸な』という気持ちになっちゃって」と言った。アジアの国ではリゾートを楽しめない、という趣旨の話だったと思う。その、過去に不幸な、という部分を、昭和天皇の話し方を真似て言う。まだ昭和が遠くなく、その特有のイントネーションを、誰もが共通理解できた時代。

電話の出方も、お茶の出し方もわかってはいなかった。〇〇さんいますか、と電話がかかり、周囲の人に聞いてもう帰ったと教えてもらうと、「〇〇は退社いたしました」と答えたりした。電話の相手は、驚いて退社⁈と訊き返す。こういう時は帰宅いたしました、でいいのだ。無責任なアルバイトに辞めされられた〇〇氏。その後大きな問題は起きなかったろうか。代表の女性はやりとりを聞いて笑っていたようにも思う。


あの頃の私は、なにもわかっていなかった。
今だって、大半のことはわからないが、それでも、コーリングユー氏や昭和天皇氏の抱える人生のあれこれについて、想像することはできる。職場でのささやかなたのしみがあり、あるいはその内外において、同じくらいの憂鬱があったであろうこと。

事務所の代表であった女性は、50代で遠くに旅立ってしまった。なぜあの時、この無目的な一美大生を雇ってくれたのか、どんな思いで見ていたのか、もう聞くことは叶わない。
締め切り目前の夕暮れ、スカイツリーのてっぺんに星のように灯りがともる。指先に絵具のついたまま、Calling You を聞く。




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さや
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