インドで見て聞いて体験してきたもの(スワミジの話編)
今回は、ついに「インドで見て聞いて体験してきたもの」シリーズの最終回。スワミジの話編をお送りしていく。
インドに行って早4ヶ月。なんだか畏れ多くて、この話だけはnoteに認めることがずっとできずにいたのだが、今回の渡印の経験をようやっと咀嚼することまではできるようになったのではないかしら…?と思えるようになったので、ついに文字化してみる。
インドでは、毎日スワミジのお話をたっぷり聞くことができた。
ちなみに、「スワミジ」とはスワミとジという言葉で成り立っていて、スワミが世俗を離れて修行する僧侶を表す言葉、ジが先生や師匠を表す敬称である。
私は今回、インドのヒマラヤにある、スワミ・シヴァナンダジのアシュラム(Divine Life Society)に行き、そこで、スワミ・ヨーガスワルパナンダジ、スワミ・カーティケヤンジ、スワミ・パドマナバナンダジのお話を聞くことができた。
ヨガにすべてを捧げた方々が、どんな生活をして、どんな佇まいをし、何を話すのか――私は以前からずっと、日本人の先生方からは決して学ぶことができないヨガのテクニック以外のことに感心があった。
だから今回のこのインドツアーを知ったとき、またとないチャンスが訪れたと思った。ほかのヨガスクールやスタジオでもインドツアーは開催されているけれど、内容をよく吟味してみると私の希望に沿うツアーは今回のツアーが唯一だった。ツアーの申し込みをするまでに多少の時間と勇気が必要だったけれど、私はこのチャンスを逃すまいと、えいやっとツアーに申し込んだのであった。
スワミジは英語でお話しをされる。私は多少の英語とサンスクリット語の単語は聞き取れるので、5割程度は何をお話しされているのかを理解することができるのだが、やはり残りの5割は聞き取れないため、スワミジと通訳してくださった先生のことをずっと見ながら話を聞いた。
メモを取るとずっと下(ノート)を向いて筆が止まらなくなり、スワミジのお顔も通訳の先生のお顔も見ることが出来なくなってしまうため、できるだけメモをとらずに話を聞くことに努めた。
先生方のお話を目と耳で聞いて、自分の中に残ったものだけが今の自分にとって必要な話なのだと思っているからだ。
カルマ、ダルマ、ヤマ、ニヤマ・・・色んなお話を聞いた。
スワミジはどんな人たちにも話が理解できるよう、様々な経典や比喩をたくさん用いてわかりやすく話をしてくれた。
ふむふむ、うんうん、そうそう。うなずいたり、ときには笑ったり、またときには自分のことに置き換えて考え込んだりしながら、話を聞いた。
一瞬私もそうなりそうだったけれど、涙を流して話を聞いている人もいた。
それぐらいスワミジの話は心に響く。話の内容はシンプルなのだけれど、どうしてこんなにも私たちの心の深い部分にまで届くのか。
スワミジはみんな静かで穏やかな雰囲気なのだが、とてもパワフルだった。静かだけれどパワフル…相反するものだけれど、色んなことを経験し、考え抜き、自分の血や肉、骨となるまで学んだ人が放つ特有のエネルギーを感じた。
そんなスワミジのエネルギーを感じながら、前述の通りできるだけメモをとらずに話を聞いていたが、どうしてもノートに書き留めて反芻したい言葉がやはり出てきた。
以下は、スワミジの言葉をキーワードでリストアップしたものである。
このキーワードを見ただけでも、何か心に留まるものがあるかもしれない。参考にしてほしい。
プラーラブダカルマ 因果応報
パタンジャリ
ヨーガ・スートラ
バガヴァッドギーター
知性は神に向けられている
ヤマを守ること 人と仲良くなれる
苦しみは思考から来る
人生をヨガにする
8支則(アシュタンガヨガ)
YOGA is Science
ヨガは心、身体、精神のハーモニー 自然と一緒になることができる
75歳~ 神様の世界に親しみなさい
Prana is moving
活動×休息=平和 ヨガは平和でいる練習 自分と仲良くするための練習
善意や良心はすでにある
Asana 疲れる 心
Breathing is Life
アーサナ 疲れなくなる
眠りたい気持ちも弱くなる 6H
呼吸の音=マントラ
祈り=強力な力
祈る、瞑想する、太陽を礼拝する
自分ー先祖ー宇宙 我々は宇宙に属している
グルは肉体を持たない
神、世界、私 イン+ア=マー
ヨガとは何か――長い間、ずっと考えてきたけれど、スワミジたちの話を聞いて確信した。
ヨガは生き方そのものだ。私たち人間の身体、呼吸、心、そしてなにより魂を知るための古代から受け継がれてきた万世不朽の教えだ。
スワミジの話は、どのお方もヨガのテクニカルなことは話されなかった。このアーサナの取り方とか身体のどこどこに効くとか、そんなことよりももっとヨガの根本的なこと、真髄の部分を話してくださった。
それなのに現代ではアーサナばかりがフォーカスされて、「アーサナ至上主義」的な世の中になっている。なんでこうなってしまったのだろう…。
しかしながら、私にもアーサナ至上主義的なそういう節があったので、これを機に改善しようと心に決めた。アーサナばかりを練習しない。これからもヨガを総合的に学び続け、ワールドワイドな視点を持ち、数人の仲間たちとともに一生ヨガと生きていく。