人口減少時代のまちづくり

2024年6月の建築雑誌に饗庭伸が投稿した論考である。

まちづくりは必要なのか?

まちづくりと建築設計の違い

まちづくりとは、空間を使って人々の課題を解決する技術である。それは建築設計でも同じだろうと思われるかもしれないが、まちづくりと建築設計の違いは「空間」に私空間だけでなく道路や公園などの公共空間が含まれること、「人々」に不特定多数が含まれることにある。自分も含めた誰かが課題を抱える、その課題をあらゆる空間資源を動員して解決するのがまちづくりである。

饗庭伸: 人口減少時代のまちづくりとまちの姿, 建築雑誌, 2024年6月

人の欲求と都市の課題

課題とは何かを考える前に、まず人の欲求について整理している。

しばしば引用されるA.マズローは欲求を5段階に分けて説明するが、そのうち「生理的欲求」と「安全の欲求」は生死にかかわる切実な「物質的欲求」に、「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」は価値創造的な「精神的欲求」に分けられる。それらの欲求が満たされるべきもの、解決すべきものとして言語化されたものが「課題」であるが、経済成長を続けてきた我が国において、物質的欲求に基づく課題の総量が減り、かわって精神的欲求に基づく課題の総量が増えてきた。戦後の復興と急激な経済成長を終えた1970年代の初頭がその転換点であると考えられ、まちづくりの実践もその頃から増えてきているので、その多くは精神的欲求に基づくものであると考えられる。

同上

そのように人がまちに求める欲求が変化してきたわけである。それに加えて、最近の状況として特筆すべき変化が大きく2つある。

二つの異なる変化が考えられる。一つ目の変化は「人口が減るので課題の総量が減る」という変化である。総量が減少する一方で、その解決手段である空間はすぐには減らないので、課題解決のために使える空間資源の量は増え、課題を解決しやすくなる。
(中略)
もう一つの変化は、「課題の種類が増えていく」という変化である。たとえば性の多様性の共通理解が進み、公共トイレをはじめとする公共空間のあり方が議論されるようになったし、認知症の種類も今では4種類が代表的であるとされ、それぞれに異なった対応が必要であることもわかってきた。災害が起きるたびにそのハザードの理解が書き換えられて、それに呼応して防災計画は分厚くなっていくし、自動運転車、電動キックボード、GSM・・・・・などの交通手段の発明によって、道路空間の配分の書き換えが求められるようにもなった。あらゆる視点が複雑化し、それにともなって課題が再定義され、その種類はどんどん増えている。それらは物質的欲求に基づくもの(たとえば想定外の災害が顕在化する課題の多くは物質的欲求である)もあるが、その大多数は精神的欲求に基づく課題であり、人々は単なる運動場ではなく、ラグビー場と、ボルダリングのジムと、スケボーパークを欲するようになったのである。そのためにたくさんの空間資源がさまざまな課題解決のために動員されることになり、そこにはまちづくりの出番がありそうである。
この相反する二つの変化、課題の総量の減少と課題の種類の増加の差分でまちづくりの増減が決まってくる。その行く末は筆者には予測できないが、建築雑誌で特集が組まれるくらいには、解くべき課題がたくさんあり、まだまだまちづくりの出番はあるのだろう。
そのまちづくりの多くは、細分化された精神的欲求に基づく課題を、あちこちで余った空間をも活用しながら解決するものであり、結果として、まちの姿はあちこちに課題解決の手段が埋め込まれたものになっていく。ただしそのまちは、全員が必要なものが揃ったスーパーマーケットやコンビニのようなまちではなく、秘密のSMクラブの横に、ヴィーガン専門の食材店が並び、その横にはボルダリングのジムと、右翼思想を伝える独立書店がある、というような、癖のある個店が集合した商店街のようなまちになっていくのであるう。そこでは、まちを歩く人が、お互いに目を合わせないかもしれない。

同上

この解釈はすごく面白い。
空間は余っているが、人の欲求の多様化がどんどん許容されていくことにより、多様な欲求が散りばめられたお互いが交わることのない都市空間が出来上がる。

空間資源調達の仕組み

続いて、著者は空間資源調達の仕組みについても整理している。
市場と政府の2つが資源を分配する。
現実的にはこれら2つは完璧には機能できない。その溝を埋めるものとしてまちづくりがあるというのである。まちづくりはいわゆる小さな市場と小さな政府を作る役割を担っている。
これまでのまちづくりがつくり出してきた個々の世界で長続きしたものは少ない。その世界が成長し、ほかの世界に対して強く干渉するようになったり、ほかの世界をひっくり返すようになったこともない。しかし、不完全な世界、不完全な市場と政府を補完するように、この50年間、次々と新しい取り組みが生まれ、そこにたくさんの短命な世界が不連続につくり出されてきた。このことには、大きな可能性があるのではないだろうか。


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