1ヶ月の月例バースデー
朝から母が赤飯を炊いていた。
(私の)息子の生後1ヶ月をお祝いするために、炊いてくれたらしい。
ベビーベッドの中の息子に、「祝ってもらえて良かったね。嬉しいね。」と話しかけると、手足を元気に動かして応えてくれる。
その喜んでいるような仕草に、こちらも思わず笑みが漏れた。
息子が産まれて早1ヶ月
もっとずっと前に出産したような気がするのに、振り返るほどの時間が経っていない程、あっという間だった気もする。
一緒に里帰りした娘の世話に手が掛かる分、息子に割ける時間や意識が少なかったせいかもしれない。
今は、娘が新生児だったときと違って、お昼寝中にずっと寝顔を見つめたりしない。
母乳が足りているか、こまめに体重を量って確かめることもないし、おしっこやうんちの回数を、日誌に記録することもない。
単純に、息子に掛けている時間が、娘のときとは違う。そのせいもあって、1ヶ月も時間を共有した気がしない。
だからこそ、今日は、息子のことだけを書きたい。
ソファに仰向けになって、お腹の上に息子を置いて抱きしめてみたら、分娩直後のカンガルーケアのときよりも一回り大きくなっていた。
サイズ感も、お腹にのしかかるそのずっしり感も、産まれたてのときと比べて、随分と頼もしくなっている。
脂肪が少なくて皺のあったおでこはツルツルになったし、立派な二重あごにもなった。髪だって伸びた。
ぼーっとしているだけの表情にさえも、個性が感じられるようになった。
他の赤ちゃんと似た顔つきだったはずが、今やもう、息子は「息子」でしかない。
左右からふっくらしたほっぺたを摘んだら、唇が鳥のように尖った。
なされるがままの息子が、私をじっと見つめる。こんなにもしっかり目が合っているのにまだよく見えていないなんて、なんとも不思議。
まだ笑えなくても、腕の中、リラックスしてくれているのがわかる。甘えるような、すべて委ねて安心するような表情でこちらを見つめてくれるから。
息子のこんな表情を見るたびに、この子のお母さんだと改めて実感する。
息子が唯一無二であるように、息子にとってもお母さんは私だけなんだと当たり前のことを思い、それから、いいお母さんになれるかな?と少し心配になる。
思えばこの1ヶ月、いつも何かを心配していた。
産まれてすぐの血液検査で引っかかって再検査になったこと(再検査結果は大丈夫だった)。
風邪をひかないように、目覚めるたびに布団を掛け直していたこと。
授乳を終えて息子が眠った後も、吐き戻しで窒息しないよう見守っていたこと。
便秘気味でよくお腹が張るから、マッサージをしていたこと。エトセトラ
それでも、息子はこんなに元気に大きくなってくれた。まだ自分では何にもできない、生きていくこともできない幼さで、ふぇんふぇんという泣き声もまだ細いけど、自分の人生をしっかり歩き出している。
この先も、私はきっと、この子のことを心配し続けるんだと思う。
この子自身や人生への信頼ができてくるはずだから、闇雲な心配とは違うんだろうけど、いつでも気に掛けて、幸せを願い続けるんだろうな。
いつか手を離れる日のことは、今はまだうまくイメージができない。
でも、きっとあっという間に大きくなって自立していくのでしょう。
こんな赤ちゃんの時期も、その先のイヤイヤ期も、手の掛かる時期なんて本当にわずかなのかもしれない。
あとで振り返ったら、羨ましくて、キラキラして見えて、1日でもいいから戻りたいと願うのでしょう。
もう一度、いや何度だって、赤ちゃんの頃からあなたを育てたいと思うにきまっている。
だからこそ、今、あなたと過ごせるこの時間の尊さを噛みしめたい。
抱っこして、涙を拭って、大好きだと伝えたい。
温かくて柔らかいその感触を味わいたい。甘いその匂いを嗅いでいたい。
心配できるありがたさを感じながら、力強くて確かなその命を大切に守っていきたい。
だけどね。
そんなことを胸に刻んで、どんなに固く決意していたとしても、この先、きっとたくさん失敗するんだと思う。
その度に反省して、願わくば成長して、少しずつお母さんになっていって。
“理想のお母さん”にはいつまでたっても届かないまま、それでも息子への愛と信頼はどんなときも揺らがず持ち続けるんだと思う。
まだ1ヶ月分しか生きていない息子は、その人生のスタート地点に立ったばかり。
どんな人生を歩いていくのかな? 母としてはすごく楽しみで、応援してもいる。
月並みだけれど、私の息子として産まれてきてくれてありがとう。
そして、1ヶ月のお誕生日おめでとう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。