競争法の地理的適用範囲(米欧日)
前回から少し間が空いてしまったが、それはやはり無理やり何がしかを読んで、何がしかを書く、というスタイルでは面白みに欠けるという考慮から、一応1つのテーマについて何らか考えがまとまってから書いた方が良いし後日の参照もしやすいだろうと思ったからである。ということで、「競争法の地理的適用範囲」に関する手元の文献もひととおり参照することができたので、それに基づいて素人なりに「こういう話なんじゃないか?」ということを書き綴ってみる。なお、同じプロジェクトで、①外国法におけるカルテルの弊害要件、②情報交換行為とカルテルの成否、③外国法における再販売価格拘束、という各論点も気になっているので、しばらく競争法関係の投稿が続く。好きじゃないんだけど。
ちなみに、これを書こうとおもったきっかけは、実務でM&Aに伴いいくつかの海外子会社について競争法遵守のためのアレンジをしようとなったときに、個人的に「競争法遵守といってもどの国の競争法を遵守することを意識する必要があるのか」というのを疑問に感じたからである、そのプロジェクト自体は僕が留学から帰任後の途中参加でもありその部分は何となくうやむやで条文には1文字も触れないまま進んでいるので、今回の勉強の成果は次に生かそう(ただそういううやむやな進め方がグローバル規制の現実を踏まえたベストプラクティスなのか知見ないしリソースの不足による便法なのかはよくわからず、このあたりは今回よりもう少し実務的な書物ないし師を得て学びたいところではある。)。
いちいち個別に文献を上げるのは面倒なので、僕の貧弱な本棚から(正確には床に山積みである。本棚は明日届く)拾い出し得た今回の参照文献をまとめて挙げておく。なお、判例とかも含めて各国の慣例にならってきちんと引用すべきだとは思うんだけど、それをやっていたらただでさえない時間がさらになくなってしまうので、事件名くらいしかかかないかもしれない。もし裁判例や文献の記載が曖昧過ぎてわからなかったりとかしたら適宜補筆するのでコメントしてほしい。一生そんな機会があるかはわからないけれど、研究のための時間がなにか得られるとか、こんな私製のブログでなくもう少しちゃんとした媒体に掲載してもらえるとかなったらちゃんと整える。ここはしょせん抑えきれぬ好奇心が生み出した駄文の墓場であるから。
なお、判決原文も基本的に読んでいないので、判決文の引用するのは下記文献からの孫引きであり、したがって正確ではないかもしれない。本当は原文にあたるべきというのはわかるんだけど、判例データベースは個人契約するには高いので(米欧も入れると特に。会社でぜひ導入してほしいと思っているんだけど)、やるとすればいちいち図書館にいって閲覧してメモ又はコピーすることになるんだけど、関連裁判例をすべて手元に置こうとするとかさばりすぎる。これも将来ちゃんとしたものを書くことがあったら一度全部見直す必要がある。
① 白石忠志『独禁法講義』〔第9版〕(令和2年)「第11章 国際事件と違反要件」
② 白石忠志『独占禁止法』〔第3版〕(平成28年)「第5章第6節 国際事件と違反要件」
③ 川濱昇ほか編『経済法判例・審決百選』〔第3版〕(2024年)「6 国際的事案に対する独禁法の適用〔ブラウン管カルテル事件〕」(白石忠志)
④ 山﨑恒・幕田英雄監修『論点解説実務独占禁止法』(2017年)「第13章 独占禁止法の国際的なエンフォースメント」(稲熊克紀)
⑤ 山口厚『刑法総論』〔第2版〕(平成19年)「第1章第2節 刑法の政策的基礎」「第10章第2節 刑法の場所的適用範囲」
⑥ 石黒一憲『国際民事訴訟法』(1996年)「2 国家管轄権の一般理論」
⑦ 岩沢雄司『国際法』(2020年)「第4章第5節 国の基本的権利義務」「同第6節 国家管轄権」「第14章 国際法と国内法の関係」
⑧ 森川幸一ほか編『国際法判例百選』〔第3版〕(2021年)「17 国家管轄権の適用基準-ローチュス号事件」(薬師寺公夫)
⑨ 同上「18 国内法の域外適用-ブラウン管カルテル事件」(平覚)
⑩ 松下満雄・渡邉泰秀編『アメリカ独占禁止法』〔第2版〕(2012年)「第12章 域外適用」(松下満雄)
⑪ 白石忠志・中野雄介編『判例 米国・EU競争法』「XXI Hoffman-LaRoche Ltd. v. Empagran S.A.」(白石忠志)
⑫ 樋口範雄ほか編『アメリカ法判例百選』「123 シャーマン法(刑事責任)の域外適用」(植村幸也)
⑬ 庄司克宏『新EU法 政策篇』(2014年)「第7章第11節 域外適用」
⑭ 越知保見『日米欧競争法大全』(2020年)「第4章 域外への適用・執行」
さて、ブログを始めようと思った当初は日々読んでいく書籍・論文についての簡単な感想を日々つづろうと思っていたのだが、つい面白くて色々読んでかつ大きなテーマになってしまったので、どうしたらよいか。こういうときに大事なのは、そもそもどういう点が気になったのかを明確な問いにしておくことであると思う。「企業の法務担当者があるプロジェクトについて検討する際には、どの国の競争法に留意すべきであるのか」ということである。まず僕は全く不勉強ながら一応独禁法をかじったことはあるので、たしかアメリカを中心に「効果理論」というものがあって、ある国の市場に効果を及ぼす場合には当該国の競争法が適用されることになるのだろう、と思った。しかし、「効果」というだけでは極めてあいまいであるし、特に部品取引などでは効果などどこで生ずるかわからない。世界各国でそれぞれの競争法があってその地理的範囲は異なって解釈されているだろうことも考えると途方にくれた(僕が途方に暮れている間も同僚たちは「カルテルはだめだ」とか言いながら何かを議論していた。そもそもカルテルって法令用語なのか、という問題は弊害要件の話をする回で直面するであろう)。でも競争法は比較的歴史の浅い分野であるし、日本のほか米国とEUを勉強して考え方をつかんでおけば、後はその考え方に基づいて関係ありそうな国の現地リーガル担当者か現地カウンセルに話をきけば見通しはつくだろう、と思ってとりあえず日米欧について勉強することにした。本当は米欧については英語文献で勉強すべきなのかもしれないが(EUについては英語だけ見ればよいとも限らない。ECJの作業言語はフランス語であるとも聞く)、①えてして分厚く高価である、②届くまでに時間がかかることが多い、③誰が権威ある学者であったりどれが権威ある文献なのかわからず、高価であることと日本語よりは読解にエネルギーを使うので読んで後悔することが結構多い、という問題があるので、基本的に日本語文献である。ただ、現地人に話を聞くなら英語表現で仕入れておいた方が良いと思うので、読みたいと思うものがあったら2回目以降に同じテーマを扱う際にでも図書館にコピーしにいく、という形をとるようにしようと思う(東大の法学部図書館の利用証を作ってきたので、たいていは手に入るはず)。
以上のような目論見のもとにまず基本的な見通しを得ようと思って白石「独占禁止法」を参照したところ、「国内競争法がどの範囲を違反と論じてよいかという規律管轄権の問題について、国際法が特段の縛りをかけているということはなく、各国が国内法の解釈として共通に採用している考え方に準拠していればよい、という考え方が定着している」(180頁)とある。なるほどそういうものかと思いつつ「国内法の解釈として共通に採用している考え方に準拠してい」る必要があるというのはある種の国際慣習法なのではないかと思って岩沢国際法を見ると「国家管轄権を行使するには、属地主義(領域)、属人主義(国籍)など、国際法によって認められる根拠によらなければならない」(174頁)とある。なんだか相矛盾している気がする。独禁法と国際法は仲が悪いのか。白石・独禁法講義の方だと「国内競争法がどの範囲を違反と論じてよいかという問題(規律管轄権の問題)について、国際法が特段の縛りをかけているということはなく、各国が国内法の解釈として共通に採用している考え方に準拠していればよい、という考え方が実際上は定着している」とあるので、国際法上はいろいろ議論があるが、実務的には気にしなくても良い、という趣旨なのかもしれない。いずれにしてもなんだか既に雲行きがあやしい。これは極めて慎重に進めなければならない。
国際法に加えて3つの国内法(EU法をこう呼んで良いのかよくわからないが)を視野に入れているので、記述の順序は悩ましいものがあるが、まず最も歴史があり議論が充実していそうなUSからはじめ(以下ではアメリカというけど、各州にも反トラスト法がある。これについては実務上どのように扱われているのかって気になるけど、それは別の機会に。)、逆に判例も少なくて比較的シンプルに見えるEUを見て(EU各国も国内法がある。こちらはたまに実務上取り上げられているような気がする)、最後に判例は少ないのになんだか混乱しているように見える日本を最後に見て、そのうえで国際法に触れる、というのが良い気がする。なお、競争法の議論を混乱させる原因の1つに、行政機関(せいぜい準司法機関)に過ぎない競争当局の見解が場合によっては最上級審の判例並みに熱く論じられている、ということがあると思う。文献にもよるけど、審級の違いにもちょっと鈍感なことがある気がする。なので、法令・最上級審判例・下級審裁判例・競争当局の処分例・競争当局のその他の文書をはっきりと区別し、混乱した議論を自分なりにひも解いていきたいと思う。愛読書の1つである田中英夫『英米法総論 上』69頁に「グランヴィル[の著作]と『ヘンリー1世法典』との対照は著しいものがある。すなわち、この古い方の[ヘンリー1世法典の]著者は、そのどの1つをとっても、それだけでは充分でない、相競合する法体系の混乱に打ち負かされている。…これにひきかえ、われわれがグランヴィルをひもといてみるならば、すべてはみごとに単純なものとされている。」とあるように、やはり法理論の発展のためにはただただ素材をやみくもに収集してすべてを説明しようとするのではなく、自分なりの視野をもって必要に応じて重要な法源に絞る形でそれぞれの関係を見通し、一定の単純明快さをもって論じていくというやり方が必要なのではないかと思う。
1 アメリカ
(1) Alcoa判決と効果理論
「効果理論」という言葉があまりに有名すぎる、ということは、理解を難しくしている1つの要因であると思う。「米国は反トラスト法の域外適用について、効果理論を採用している。」と言われる際には、ほとんど常に1945年アルコア判決が引用される(石黒・国際民訴法は「1945年のアルコア(Alcoa)事件判決以来、アメリカ反トラスト法の域外適用が、かかる効果理論によって認められて来て」(16頁)いると述べる。)。しかし、いくつか留意すべきことがあると思う。
第一に、アルコア判決は1945年に下された第2巡回区控訴裁判所の判決であり、連邦最高裁の判決ではない。裁判官は「ハンドの公式」で有名なラーニド・ハンド判事なので影響力は大きかったと思うし、1993年のハートフォード火災保険会社事件最高裁判決で「既に確立された原則」というように言われているので「確立」の端緒になったという意味でアルコア判決を上げるのも間違いではないと思うんだけど、なんとなく最高裁判例のように思っていたのは僕だけではないのではないか。
第二に、アルコア判決は「たとえ外国人が外国において行った行為であっても、その行為がアメリカに「効果」(effect)を与え、かつそのような効果を与える「意図」(intent)のもとになされている場合にはこれにアメリカ国内法を適用することができる」としたので、その意味では「効果・意図理論」である。Pianoforteのことを毎日のようにPianoと呼んでいる身としては正直あまり非難できないけれども、この呼称はミスリーディングではないか。反トラスト法について過剰な域外適用がなされるということで国際的な非難があった時代があるので、おそらく「効果・意図理論」という予見可能性への配慮を感じるネーミングでなく「効果理論」という(私が実際に抱いたように)何か効果が及んだら反トラスト法の制裁を受けるかもしれないというひどい立場だ、という印象を植え付けるために日本か欧州の論者が名付けたんじゃないだろうか。いずれにしても名称でなく、判示をきちんと読むことが大切である(原文を読んでいない僕がいうのもあれだけれども)。
第三に、アメリカ反トラスト法の地理的適用範囲について主に規律するのは、判例でなく立法である。「判例が効果理論を確立した」という言明が印象的なせいでえてして忘れられている印象があるけれども、FTAIA(Foreign Trade Antitrust Improvement Act。外国通商反トラスト改善法)という連邦法により追加されたシャーマン法第6a条がこの点を定めている。なお、あくまでFTAIAはその適用範囲についてシャーマン法の適用範囲を定めるのみであり、FTAIAの適用範囲外については依然として判例としての「効果理論」が適用されるのだ、と言われるけれども、後述するようにいまいちよくわからない。確かにFTAIA制定後もFTAIAを挙げていない裁判例が多いみたいだけど、ハートフォード事件最判は「FTAIAの文言が「エレガントでない」とだけ述べて、同法の解釈には立ち入らなかった」(百選植村解説)りしたのだから、そもそもFTAIAの適用範囲内であっても法律の解釈論でなくあくまで裁判所の判例理論であるかのように述べる場合もあってFTAIAが適用されていないように見える場合もあるというだけではないかと思ったりする。このあたり英米の法律家の制定法に対する態度というのは正直微妙にわからないところがある(今後のブログのネタになるかもしれない)。
以上のような次第であるので、FTAIAの解釈から始めるか判例法理から始めるかというのは悩ましいところであるが、基本的に前者で足りるような気がしている。まず、判例法理がどの程度生きているのか(あるいはFTAIAが廃止されれば復活するわけだから「眠っているのか」といった方が良いかもしれない)というのはあまり正直理解できていないけれども、僕の感覚ではその範囲はそんなに広くなさそうな気がする。それに判例の展開といっても連邦最高裁に限ればそんなにない。1909年に属地主義を採用したアメリカン・バナナ判決、属地主義の修正が図られたという1911年アメリカン・タバコ判決、1913年パシフィック・アンド・アークチック判決、1917年トムセン判決、ハートフォード判決、2001年エンパグラン判決くらいであるところ、アメリカン・バナナ判決はハートフォード判決で覆されたのだと思うし、パシフィック・アンド・アークチック判決とトムセン判決は松下教授の本で名前が挙げられているだけで事案・判旨の紹介はなく他の文献には出てこないのでそんなに重要じゃないのだと思うし、ハートフォード判決はFTAIAを適用すべきであった事件、エンパグラン事件はFTAIAの解釈論が問題となった事件なので、FTAIAを離れた判例法理が問題となることって実際上(現在の私見によれば理論上も)ないと思うからである(以上挙げたほかには、アルコア判決や、「管轄における合理の原則」を採用した諸判決も含め、有名な判決もみな控訴審判決に過ぎない。内容的に興味深いものはあるけど、現行法の理解という意味では正面から触れるとコスパが悪い気がする)。
(2) FTAIAの文言
しかしながら、FTAIAの解釈はそれ自体かなり難解である。条文構造が読みにくいのはまあ慣れれば大丈夫として、少なくとも目を通した文献からは体系的な文言解釈が読み取れないからである。(全然関係ないけど、日本法なら「1982年改正後シャーマン法第6a条」って言いそうだけど、アメリカ法だとFTAIAっていう呼び方になるんだろう。わかりにくくないだろうか。)
とりあえず原文を掲げて、自分なりの和訳を付してみる(「判例米国・EU競争法」(白石)314頁や松下・アメリカ独占禁止法314頁にも和訳が載っている)。なお、迷った部分については、※でコメントを付している。
アメリカ連邦政府って、eGovみたいなのないんだっけ?(各国の法令調べ方についてまとめたブログをそのうち書こうと決意した)。仕方ないので書き起こす。越知・大全や松下・アメリカ独占禁止法に引用されているのと微妙に違うが主要な部分は同じなので問題ないだろう(後者は、意味的に変な個所があるので引用を間違えてる気がする。)。いずれにしてもこれはUS Publishing Officeのページにある“United States Statutes at Large”のPDFらしいので間違ってないと思う。
This Act shall not apply to conduct involving trade or commerce (other than import trade or import commerce) with foreign nations unless -
(1) Such conduct has a direct, substantial, and reasonably foreseeable effect -
A) On trade or commerce which is not trade or commerce with foreign nations, or import trade or import commerce with foreign nations; or
B) On export trade or export commerce with foreign nations, of a person engaged in such trade or commerce in the United States; and
(2) Such effect gives rise to a claim under the provision of this Act, other than this section.
If this Act applied to such conduct only because of the operation of paragraph (1)(B), then this Act shall apply to such conduct only for injury to export business in the United States.
本法は、外国国民との取引又は商業(輸入取引及び輸入商業を除く)にかかる行為には適用しない。ただし、次の各項をいずれも満たす場合は、この限りでない。
(1) 当該行為が、次の各号に掲げるもののいずれかに対し、直接、実質的かつ合理的に予見可能な効果を有すること。
A) 外国国民との取引若しくは商業でない取引若しくは商業、又は外国国民との輸入取引若しくは輸入商業
B) 外国国民との間で合衆国において行われる輸出取引又は輸出商業。
(2) 前号の効果が、本条を除く本法の各条項に基づく請求権を基礎づけること。
本条第1項B号によってのみ本法が適用される場合には、本法は、当該行為に対しては、合衆国内の輸出事業に及ぼした損害に対する関係でのみ適用される。
※ “foreign nations”は、松下、白石ともに「外国」と訳しているけれども、それだと公法人としての外国国家みたいなので、「外国国民」と訳した。もちろん自然人・法人を双方含む趣旨である。
※ “trade or commerce”は、松下は「商業」、白石は「取引」と訳している。どちらに該当するかが問題となる場面は想定できないので一語で訳してもいいんだと思うけど、原文で名詞を2つ並べているのだから、できたら和訳でもそうすべきではないか。手元にあるウィズダム英和辞典では“trade”の訳語として「取引、貿易、通商」を挙げたうえで「businessより大きな取引で、さらに大規模なものはcommerce」とあるので、おそらく原文の趣旨も小規模なtradeと大規模なcommerceということだと思う。これら踏まえて「貿易及び通商」と訳そうと思ったのだけど、後述するシャーマン法第1条では“trade or commerce among the several States”というのが出てくるので、あまり国際色が出てしまうとここで使えない。不自然な訳だなとは思いつつ、「取引及び商業」とした。さらに検討したい。
なお、FTAIAの解釈論に入る前に、2点触れておこうと思う。
まず、「実施行為論」の位置づけについて触れておく必要がある。ここでいう実施行為論とは「交渉行為、請求書を米国内に送付する行為などにより、行為の一部が米国で行われた場合には、FTAIAに基づく域外適用ではなく、通常の独禁法の執行が行われる」(越知263頁)というような理論のことである。僕の印象では、これは考慮しなくて良いような気がする。「構成要件該当行為を実施する行為が米国にあることによって米国法を適用しようとする傾向は、反トラスト法だけではなく、証券取引法、ドッドフランク法、米国外国公務員汚職禁止法(FCPA)などのホワイトカラー犯罪に広く及んでいる最近の司法省の執行の潮流である」(同264頁)のは確かにそうで、だからFCPA対応とか大変なんだと思うけど、シャーマン法については制定法としてのFTAIAが存在するわけなので、同列には論じられないのでは。つまり、そういう意味での実施行為論は(仮に以前存在したとしても)FTAIA制定によって廃棄されているのでは、と思う。エンパグラン事件最高裁判決も、「FTAIAの目的は、ある行為が外国において結果を生ずる場合には、これらを原則としてシャーマン法の適用対象外とすることにある。」と述べる。
次に、制定法がある以上、少なくともアメリカ法という意味では、国際法を論じる意味はない。規律管轄権の範囲について定めた条約はなさそうなので国際法が存在するとうれば慣習国際法ということになるが、アメリカでは「慣習国際法は連邦法より下位」とされているので(岩沢532頁)、国家責任とかが生じるかどうかとかはともかく、アメリカ国内法の理解という見地からは国際法は、少なくとも直接は関係がない。後述するエンパグラン事件最高裁判決など判決文中で国際協調主義への配慮を示している部分はあるものの、あくまで理解すべきはFTAIAという制定法の解釈である。
(3) FTAIA柱書
そこで制定法としてのFTAIAの文言を丁寧に読み解いていく必要がある。まず、シャーマン法が適用されないのはどういう行為についてであるか、というのが基本的問題であり、それは、文言上“conduct involving trade or commerce with foreign nations”である。
“conduct”とは何かという点については、シャーマン法はそもそも何に適用されるものかという点を確認しておかなければ正確な理解ができないので、同法第1条第1文を引用する。第1条に限るのはそれ以外をまだ勉強していないからであるが、FTAIAの文脈で問題とされているのはほとんどカルテルのようなので、おそらくいったん十分であると思う。
Every contract, combination in the form of trust or otherwise, or conspiracy, in restraint of trade or commerce among the several States, or with foreign nations, is hereby declared to be illegal.
複数の州にわたる(又は外国国民との)取引又は商業を制限するすべての契約、(トラストその他の形式による)結合及び共謀は、ここに違法と宣言される。
※ 越知294頁にも和訳がある。
ここで規制される行為は、契約、結合及び共謀であるから、FTAIAの“conduct”として問題となるのもこれらのいずれかである。
次に“with foreign nations”がどこにかかるのかであるが、これは松下、白石ともに“trade or commerce”にかかるものとしているようである(それぞれ「外国との商業」「外国との取引」と訳している)。“conduct”かとも少し思ったが、直前にある“trade or commerce”に係るとする方が自然であろう。そうすると、“trade or commerce”にかかる契約の少なくとも一方が外国人又は外国法人であるような“trade or commerce”が問題となっており、それにかかる行為がシャーマン法の適用除外である、ということになる。「域外適用」「属地主義」「効果理論」といった言葉とは離れるが、まずは契約当事者が決めてとされているように見える。
この点につき、越知264頁は「国内での行為かを決めるのが先であり、外国行為を先に決定しようとするのは、順序が逆である。」と述べるが、条文上は「外国国民との取引」であるか否かが問題となっているようであり「外国行為」ではないし、まして「国内での行為」かは少なくとも柱書においては問題とされていないのではないか。
なお、この部分については参照した文献のいずれもそれとして論じていないので、この解釈が正しいものかは自信が持てないが、とりあえず正しいものとして先へ進むことにする。
(4) 輸入取引例外
次に問題となるのは、“other than import trade or commerce”という括弧書である。つまり、外国国民が当事者となる取引であっても、輸入を内容とするものはここから除かれる。ここから除かれるということは、シャーマン法が適用される。合衆国の法律なので、当然合衆国への輸入が問題となる。
これは輸入取引例外(import exception)と称される。越知263頁には、控訴裁判所判決であるMinn-Chem事件異議審決定(第7巡回区)が「輸入取引例外は、輸入という実施行為が国内にある場合であり、そもそも外国通商に関する取引ではないから、「例外」ではなく、直接反トラスト法が適用される、その意味で、輸入取引例外とは、正確には輸入取引留保である」という旨を述べたとし、これが「EUでの実施行為理論は、米国でも適用されることを示すものである。」とする。しかし、これが解釈論上意味を持つとは思えない。そもそもFTAIA自信は「例外」とも「留保」とも言っていないのであるから、各人が覚えやすいように呼べばよい。「輸入という実施行為が国内にある」から立法者が輸入取引を規定したかどうかはわからないが(そもそも「輸入」行為のどの側面に着目しているのか)、このことが“import trade or commerce”の解釈に影響するとは思えない。それに「合衆国への輸入」が合衆国に対して何らの影響ももたらさないはずはないので、効果理論の観点からの正当化も可能で、わざわざ「属地主義」を持ち出す必要もないのではないか。
いずれにしてもこのような観念論から離れて、「輸入取引例外」によってシャーマン法が適用される「外国国民との取引にかかる行為」とは何なのかを解明しなくてはならない。最高裁判決はないようなので、控訴裁レベルの判例からどこまでのことがいえるかを探ることになる。
まず、越知259頁において、第3巡回区控訴裁が、「輸入取引が物理的輸入者に限るとの考え方(物理的に国内に流入する必要があるとの考え方)を排し、実質的な影響を生ぜしめる意図を有するか、実際に生ぜしめたことで足りる」としたとされる(Animal Science Products事件)。僕はこの言明が理解できなかった。「輸入取引が物理的輸入者に限る」という部分が論理的に理解できないのはさておくとして、「物理的に国内に流入」しない輸入取引など存在するのか。「中国のマグネサイトの生産者・輸出業者らが価格を協定し、アメリカに輸出することにより、原告らを含むアメリカの購入者に損害を与えた」という事件(少なくとも原告らはそう主張している)であるのに、なぜわざわざ「物理的輸入」の観点や「実質的な影響を生ぜしめる意図」の観点に触れたのか。(本来判決文にあたるべきではあるがこれは素人が余暇に書くブログなのでそこまではさしあたりせずに)判決の論理を推測すると、おそらく「物理的輸入者」の観点に関しては、おそらく被告から「被告は物理的輸入者ではないから、輸入取引例外によって反トラスト法が適用されることはない」という若干無理筋な主張に対して、「物理的輸入者でなくとも、“import trade or commerce”にかかる行為者である以上は、輸入取引例外によりシャーマン法が適用される」と応答したのではないか(FTAIAは「行為者」でなく「行為」に着目しているので当然である)。「実質的な影響を生ぜしめる意図」についても、被告が効果理論(効果・意図理論)的な思考で「実質的な影響を生ぜしめる意図がなかったからシャーマン法は適用されない」と主張したのに対して、「実質的な影響を生ぜしめる意図を有するか、実際に生ぜしめたことで足りる」と応答し、意図・効果のいずれかを認定して、シャーマン法が適用される、との結論に至ったのではないだろうか。そうすると、この判決からくみ取れるのは、「あらゆる輸入取引が括弧書の“import trade or commerce”に該当するのではなく、実質的な影響又はそれを生ぜしめる意図」の認められる取引のみがこれに該当する、ということになる。(その趣旨について、越知264頁は「輸入がたまたま行われた場合まで、反トラスト法が適用される懸念が生じるので、「実質的な影響を生ぜしめる意図」(Animal Sciences Product事件ほか)などによって偶発的な輸入が除外される」とあって、それは正しい方向性だと思うけれど、企業活動の予見可能性を確保するならば、効果の有無にかかわらず「実質的な影響を生ぜしめる意図」を要求すべきではないのか。)。一方で、下記LCDパネル判決では、「被告の行為が輸入市場に向けられた行為であるか(directed at)、あるいは商品または役務の輸入をターゲットとする行為か(targeted)によって判断する。」としたらしい(越知260頁)。「向けられた」「ターゲットとする」の具体的な意味は不明であるものの、この基準の方が企業活動にとっての予見可能性という意味では望ましいように思える。
次に参考とすべき裁判例としては、LCDパネル事件(越知260頁で「第3高裁」の判決として取り上げられているが、citationがない。262頁で同じく「LCDパネル事件」として取り上げられているものがあるが、citationは“In re TFT-LCD (FLAT PANEL) Anti-trust Litigation Oct 5 2011 United States District Court N.D. California”とあるのでこれは地裁判決ではなかろうか。)がある。これは、「部品が域外で第三者により組み立てられ、部品を組み込んだ完成品が米国に輸出される場合でも、部品のカルテルによる価格上昇がそのまま完成品に転嫁されている場合は、直接効果例外ではなく、輸入例外だ」としたらしい。なお、価格上昇がそのまま完成品の価格に転嫁されてはいないが部分的な価格上昇を招いている、という場合には、直接効果例外による(LCDパネル判決)。そのまま価格転嫁されていれば実質的に部品の輸入といっても差し支えないので輸入取引例外によることができるが、そうでない場合には直接効果例外の諸要件を検討すべき、ということになる。
(5) 直接効果例外
輸入効果例外と異なり文言が複雑であるので、解きほぐす必要がある。まず、“effect”は、価格上昇など需要者に不利益となる何らかの影響、という意味で良いと思う(白石教授は、「弊害」と訳している。)。“Such conduct”は、当然「外国国民との取引又は商業にかかる行為」であるが、何に対する効果なのかという点については、条文上は(A)(B)の2号に分かれているものの、次の3つのことが記載されている。
① 外国国民との取引又は商業でない取引又は商業
② 外国国民との輸入取引又は輸入商業
③ 外国国民との間で合衆国において行われる輸出取引又は輸出商業。
僕がこの条文を読んでまずわからないと思ったのは、②の「輸入取引又は輸入商業」は輸入取引例外にかかる部分で既に出てきたではないか、という点であった。しかし、「輸入取引又は輸入商業」がFTAIAの例外であるというのと、「輸入取引又は輸入商業に効果を及ぼす行為」がFTAIAの例外であるというのは論理的に異なるから、これは単に僕の読解力が足りていなかったというだけの話である。
次に腑に落ちなかったのは、①②と③でなぜ号を分けているのか、ということであった。この点については、主として一国内に収まる取引か国際取引か、という観点でおそらく分けているのだろうと思う。①は主としてアメリカ国内における取引を想定しているだろうし、②は「輸入に効果を及ぼす行為」であるから、おそらく輸出国内での何らかの行為が主として想定されているだろう(完成品をアメリカに輸出する国において、同じ国のサプライヤーから部品を仕入れていて、その部品サプライヤーによるカルテルなど)。これに対して、③は明らかに国際取引を念頭に置いている。根拠はないが、たぶんそういう分け方であろうと思う。
なお、本条第2文において、③については「合衆国内の輸出事業に及ぼした損害に対する関係でのみ」シャーマン法が適用されると定める。合衆国からの輸出の場合には需要者は国外にいるところ、後述する日本法における自国所在需要者説と同じ発想で、その需要者の被った損害については、需要者の所在国における競争法の執行によって回復すべきであるとするものであろう。
次に、“direct, substantial, and reasonably foreseeable effect”という部分について。
“direct”は直接性要件であり、行為と効果の因果関係があることを意味する。具体的にどのような因果関係が要求されるかについては、裁判例が分かれる。Minn-Chen, Inc. v. Agrium. Inc. (7th Cir., en banc, June 27, 2012)は、“a reasonably proximate causal nexus”(「合理的な近因的つながり」とでも訳せるだろうか)を意味するものとする。一方で、United States v. LSL Biotechnologies, 379 F. 3d, (9th Cir. 2004)は、“immediate consequence”(直接の結果)である必要があるとし、介入事象(interrupting development)がある場合には否定される」とする。越知261頁は後者から前者への判例変更があったかのように記述しているが、どちらも控訴裁判所であり同列なのだから、高裁レベルで相対立する見解が採用されているものと理解すべきではないだろうか(なお、エンパグラン事件差戻審も前者の見解を採用しているので、前者の方が優勢なのだろうとは思う。)。
エンパグラン事件差戻審については、「アメリカ市場での高価格は、外国市場でのカルテルが高価格が原因となっているという意味(外国市場での高価格がなければ、外国市場での低価格品がアメリカ市場に流入してアメリカ市場も低価格化するという意味で、外国でのカルテルはアメリカ市場に効果を及ぼしている)」という議論を、直接性要件を用いて退けた点で、特筆に値する。差戻審判決は、「それなければの基準」(but for test)によれば外国市場でのカルテルとアメリカ市場での高価格の間に因果関係が認められるとしても、“gives rise to”の要件を満たすためには直接的因果関係、すなわち“proximate cause”(ごく近い原因)であることを必要としており、これは充たさないとした。本判決は第2項の問題としているが、行為と効果の因果関係は第1項が定めているのだから“direct”の解釈問題とすべきで、第2項は後述のように訴えの利益的なものを定める条項としてとらえるべきではなかったかとは思う。
実質性について。この点については、控訴裁判所ではあるが、Minn-Chem事件異議審判決は、カリウムの米国への輸入の大部分が被告からの輸入であり、2003年から2008年までの間に価格が6倍以上上昇したことを理由として、実質性を肯定した。
合理的予見可能性について。この点については、控訴裁判所ではあるが、Minn-Chem事件異議審判決は、カリウム供給の71%がカルテルによってコントロールされている以上、米国においてカリウムの価格が引き上げられることは合理的に予測される結果である、として合理的予見可能性を肯定した。
次に、第2項(行為の効果が、本条を除く本法の各条項に基づく請求権を基礎づけること。)は、私訴について論じられているようである。おそらくカルテルを取り締まることは司法省の使命なので、第1項を満たすようなカルテルがあれば当然に請求権を有するに至るということになる、問題は私訴である、ということなのだろうと思う。
これについては、エンパグラン事件最高裁判決が重要である。この判決においては、第2項の「請求」という文言を「ある請求」と解するか「原告の請求」と解するかが問題となったところ、最高裁は後者であると解し、ビタミン・カルテルの事案につき、外国で購入した外国の購入者(ウクライナ、オーストリア、エクアドル及びパナマ)による損害賠償請求を退けた。つまり、前者のように解するならば、被告らのカルテルが国内市場に及ぼした効果によって国内で誰かしらは損害を被り、当該損害についての賠償請求権を取得しているのだから、これをもって第2項の要件を満たし、シャーマン法を適用できるということになる。これに対し、後者のように解するならば、カルテルが国内市場に及ぼした効果によって原告が損害賠償請求権を取得したか否かが問題であり、外国での購入者である原告らは国内市場への効果によって損害を被ったわけではないから、シャーマン法は適用されないことになる。
制定法と最高裁判決に限れば、米国法の状況は以上のようになるかと思われる。控訴裁判所の判決まで本格的に見始めればまだまだあるが、いったんこれくらいにして、後で加筆しようと思う。
2.EU
EUにおいては、米国におけるFTAIAのような競争法の地理的範囲を定める制定法は存在せず、判例理論を理解する必要がある。といっても、関連する欧州司法裁判所の判決は2つのみである。
第一は、「単一経済単位理論」を示した1972年のDyestuffs事件である。同判決においては、親会社による共謀が域外でなされても、子会社がこの共謀に基づいてカルテルの合意を実行に移した以上、行為の一部が共同で行われているものと認定できるとして、親会社に対してもTFEU第101条の適用を認めた。
第二は、実施理論(implementation doctrine)を示した1993年のWood Pulp (II)事件である。同判決において、TFEU第101条「の違反は、協定、決定又は協調的行為の形成及びその実施という2つの要素で構成される行為から成る」「競争法の下で定められた禁止の適用が当該協定、決定又は協調的行為の形成された場所に依存するものとされるならば、その結果は明らかに当該禁止をまぬかれる容易な手段を事業者に与えるものとなろう」との認識を示す。つまり、EU域内に影響を及ぼすカルテルであっても、それを取り決める会議を域外で行えばEU法が適用できないのは不当だということである。そのうえで、「決定的な要因は、それが実施される場所である」とし、この原理は「国際公法で普遍的に承認されている属地主義に含まれる」として正当化した。
制定法はなく、最上級審判決は以上に尽きる。しかし、いずれも古いものである。より最近の裁判例や執行機関の見解・実行からは、効果理論についても採用されているとみるべきである。
裁判例としては、一般裁判所のGencor/Lonrho事件が、合併規則に関してではあるものの、「EU域内で予見可能、直接的かつ実質的な影響があれば、EU競争法が適用される」旨を判示した。欧州委員会のガイドラインも「実施行為または国内に影響を与える行為に適用がある」として、判例の認める実施行為理論に加えて、アメリカ的な効果理論をも併用することを述べている。
なお、庄司教授は、「本件判決によりEU法において効果理論が採用されたと見なすことはできないと考えられる。むしろ、本件判決は、EU法上の実施理論が国際法上の効果理論に適合していることを認めたものと理解することができる。」(296頁)と述べるが、上記のような判示は明らかに効果理論的であるし、実施理論との関係も明らかではない。合併規則の解釈という特殊性から射程を限定すべき面もあるのかもしれないが、少なくとも一般裁判所のレベルでは効果理論を採用、または実施行為理論と併用するようになったと理解すべきではないか。(また、国際法との適合性に言及している点はよくわからないが、興味深い。アメリカと異なり、EUでは国際法優位の原則がとられているのだろうか。)
なお、越知教授は、LCDパネル事件とインテル事件についての欧州委員会決定を挙げるが、これは課徴金算定にあたって基準となる売上高について、完成品の売上高をも算入しうる(が、国際礼譲の観点からしない)としたものであり、規律管轄権の範囲とは一応別の話ではないか。
3.日本
さて、いよいよ日本法であるが、いったんここで中断して、続きはまたの機会にする。執筆方針であるが、こんな長文をしたためて完成してから毎回投稿するというのもちょっと重たくて続かない気がするので、ある程度まとまったものが書けたらとりあえず投稿して、いやむしろテーマ自体を忘れてしまわないようにタイトルと主旨だけでもとりあえず思いついたときに投稿して、後日またその後の勉強の成果を同じ記事を編集する形で反映することにする。また、手元にある文献を一通り読むというのも意外と大変だということに気づいたので、一応読んだ文献で納得を得ることができたらそれ以上は読まない(必要に応じまた後日読んで補充する)というやり方に変えたい。