Chap.1 大工の世界
仕事を覚える事。
※当社大工親方へのインタビューを通じて「大工の世界」を公開するコラム、第1回目です。(連載にあたってのご挨拶はこちら)
それでは親方、本日から始まるインタビュー、よろしくお願いします。
親方 よろしくお願いします。お客様に我々の仕事の事が少しでも身近に感じていただけるように頑張ります。
さて親方、大工の仕事に就かれたのが15 歳の時と伺いました。ずいぶん早くから修行の道に入られたのですね。
親方 はい。とにかく勉強が嫌いだったし(笑)、早く働きたかったから、誘われたときは一切迷いも無くこの道に入りました。
9 歳年上のお兄さんが東京で一人前の大工になっていらっしゃったそうで。
親方 はい。ただ兄も未だ若かったので、我々の叔父にあたる親方の弟子として働いていました。私もそこに住み込みで弟子入りしました。
それまで育った環境から一変。15 歳の上京したての少年としては辛かったのでは?
親方 はい、弟子たちが大勢いた中での生活でしたが、この世界、1 秒でも早く弟子入りした方が兄貴ですから、兄貴には何でも従うのがルールです。時には不条理なこともありましたね。
今ではあまり想像がつきませんが、厳しい職人の修行の中でどのようにして技能を習得していったのですか。
親方 まあ、当然研修なんてないし手順を踏んで教えてもらうこともない。与えられた雑用を一日こなす毎日が続く訳です。「見て覚えな」だけです。だから、親方がやっていることに必死で目を凝らすんです。着工から完成までの長い工程だって、今のような工程表もないですから、1軒の家を建てる作業を全て、手順も含めて頭に叩き込まないといけなかったんですよ。
今のような「学習ツール」が全く無い中で修行されてたんですね。
親方 はい。ただ唯一例外がありました。墨付けです。
唯一教えてもらった墨付け
親方 見て覚えろの世界で、唯一手取り足取り「墨付け※」を教わった訳です。
のこぎりや鉋かんなといった道具を使うことは教わらずに、墨付けだけを教わるとは興味深いですね。なぜなんでしょうか。
親方 墨付けとは、算数と同じで理論体系だからです。手作業は理屈ではないので見て覚えるしかないのですが、墨付けはそうではない。だから、師匠から算数の授業を教わるみたいに学習しました。
なるほど。木材を加工して組み立てるにあたり、加工の制度はミリ単位で求められるでしょうから、それを実現するための理論体系があるんですね。
親方 大工の仕事は道具を使って木を切ったり削ったりするというイメージが強いですが、実は理論体系に従う「算数」の仕事も多いんですよ。あと、墨で付けた線のどこを切るかもルールがあります。
墨の線そのものにも数ミリの幅がありますね。
親方 はい。例えば、材木の端を凹と凸に加工して、組み合わせるときに、凸では墨の線の外側を切って、凹では墨の線の中心を切ります。組み合わせたときに丁度良い具合に接合できるのです。
なるほど。それは面白いですね。「丁度良い具合に接合」とお聞きしましたが、接合はどのようにするのでしょうか。
親方 ハンマーでコンコンとたたいて、つないでいきます。たたく回数は、7、5、3の数字のいずれかに決まっています。祝いの数字だからですね。8 回以上では加工の仕方が悪い。この場合接合が固すぎる。1 年を通して湿度が変化するから材木は収縮します。接合部が固すぎると材木が膨張したときにひびが入りやすくなってしまう。逆に1 回たたいただけで入ってしまうと、接合部が弱くなってしまう。
面白いですね。墨付けや加工の時に、ハンマーをたたく回数まで想定しているのですね。
親方 そうですね。7、5、3の数字は木の性質、木造建築物の強度、そして縁起を担ぐという日本の文化が凝縮されている一つの事例だと思います。
戸惑った道具の調整
いろいろと仕事を覚える中で、若いころに一番苦労した仕事は何だったのでしょう?
親方 う-ん。鉋(かんな)の調整かもしれないな。ノミを使う刻みや、鉋がけも見て覚えるしかなかったんですが、鉋の調整も当然自分でやらないといけない。これは苦労しましたね。仕上げ鉋の場合、鉋屑の厚さは0.03mm ととても薄くあるべきなのです。だから刃の位置や鉋の木の部分(鉋台)の下の面の削り作業がとても繊細なんです。
鉋台の下の面を削るというのはどういうことでしょうか?
親方 上の図のように鉋台の接地面は中ほどを削りとり、A とB で支えて鉋仕事をするのが通常です。どうしてかと言うと、材木との接地面積をできるだけ小さくすることで操作性が良くなるからなんです。だからA とB 以外の面を薄く削るんです。ただし、AとBのみでは鉋を前後に移動するときに削り面が曲面になる不安が生じます。だから、C が材木に接するか接しないかのギリギリに調整するんです。
とても繊細で精密な作業の様な気がしますが。
親方 はい。当時は「吉野紙※ 21 枚分の厚さを取れ」と言われていました。
それは想像以上に細かいですね。今でもそのような調整はなさっているのですか?
親方 いや。今の家づくりではサンダー(電動の研磨工具)が主流だからだいぶんやってないね。
家づくりの変容
鉋の調整のお話を聞いてきましたが、今は大工仕事も機械化されて仕事の中身もだいぶん変わったとお見受けします。
親方 はい。昔と比べるとやはり、技術屋がやるべきでは無いと思うときがある。プラモデルみたいに組み立てるだけという感覚がある。
実際は現場で材料を加工もされますし、組み立てだけでは無い気もするのですが、もっと詳しく聞かせて下さい。
親方 はい。それは例えば、和室の窓枠の見付(みつけ)※の寸法を変えるだけで、和室の意匠がガラリと変わる。昔は現場で考えながらベストな見付の寸法を決めていた。でも今は建材メーカーの商品を使うのが主流だから全く違うんです。
なるほど。現場で大工さんが考えて意匠を決定するのが通常だったんですね。
親方 はい。そして親方がこう仕上げると決めたら、施主も任せていた。そういう時代だったんですね。どちらがいいかは分かりませんが、今のメーカー商品が普及して生産性が上がったのは確かです。
生産性が上がったということは同時に、大工さんの仕事もガラリと変わったということなんですね。
親方 はい。技術がいらないからコスト最優先の工事がますます一般的になるんだろうね。でもそうなると「親方」という技術全般で采配を振るう役割が必要なくなるから、大工が働く在り方も変わるような気がしますね。
そうなると、昔のような親方-弟子という関係も無くなり、大工の育成についても不安になります。
親方 そうですね。この先将来も木造住宅は建て続けるだろうし、古家の改修工事も減らないだろう。そんな時に、美意識の高い施主の期待に応えたり、改修現場で臨機応変に対応するべき機会があると思うけど、対応できる大工がその時にどれだけいるのか、やはり不安はあります。
あと、将来を担う若い大工たちが、頭に汗をかいて考え抜きながら仕事をする機会が減っている。私の修行時代は厳しかったけど仕事が楽しかった。今の若者たちがそんな楽しい仕事をする機会が減ったことはかわいそうな気もする。
でも私たちの何よりの使命は今とこれからのお客様のために全力を尽くすことだから、今のやり方で品質の高い仕事を続けることに徹するしかない。目の前の仕事に真摯に取り組むことで、若い大工がそれぞれ学べばいいと思う。
そうですね。それが今の時代における技術継承なのかもしれませんね。
次回、Capter.2に続きます。