『絶対音感』
最相葉月
新潮文庫 2006年
『セラピスト』を読もうと思ったら同じ著書で見つけたので、こちらも面白そうだったので読んでみた。
私自身、多少の音感がある。幼稚園の頃からピアノを習い、先生が弾いた和音を聞き取って真似するのは苦も無くできたし、流れている曲もドレミで歌えた。関係ないけど、ピアノを弾きながら話もできた。
今は、なぜか1音くらい下がって聞き取っているようで、「ドレミ~♪」と聞こえた音楽がピアノで鳴らしてみると実際は「レミファ~♪」だったりする。残念。
この本を読むと、絶対音感とはどこまでを言うのかというのは諸説あるようだが、聞き取る人は何でも「ドレミ」で聞き取ってしまうとか、それが「ドレミ」で頭で鳴るからそっちに意識が向いて歌詞が頭に入らないとか、曲が移調すると気持ち悪いとか、思わず「大変だな」と思ってしまうくらいの人がいるようだ。
それじゃ、音を楽しめないんじゃないかな…
音楽はもちろんドレミだけじゃなくて、邦楽はちょっと違う音階だし、民族音楽には独自の音階を持つものがある。そういう人についても書いてあるし、
有名ピアニスト・バイオリニスト・歌手などが、絶対音感を持っているか、それについてどう思うかも書いてあるし、
絶対音感をつけるべく教育を行う教室や、そういった教室をしていたけれども止めた人や、いろいろな立場の人の意見が読める。
ほんとによく、このテーマでこんなに掘り下げて書くなあと感心する。
恩田陸さんの著書『蜜蜂と遠雷』の登場人物で、雨がトタンに当たる音が音楽に聞こえるという人がいたことを思い出した。
その人は才能のあるピアニストという設定だったけど、音楽家になるために絶対音感が必要かというと、そういうことはないらしい。
私自身は音感があってもそれをドレミに替えたり、音符をその通りに弾くしかできなかったのだけど、即興で弾くジャズみたいなことができたらいいなあと思う。
あ、ちなみに、やはり音感をつけるのは小さい頃がいいとのことでした。