『パンデミックの文明論』

ヤマザキマリ、中野信子
文藝春秋 2020年

気になっていろいろと読んだ著者そろい踏みの共著、また読んでしまった。まだ新型コロナウイルスで日本社会がわたわたとしていた時に出版されたので、内容についても渦中にある中で対話された臨場感が感じられる。

それにしても、「個人的に話していたら『これ本で出せるんじゃない』となった」というのは、いかにも本を出すことが仕事になっている人のアイデアだ。普通の人が雑談していて、どれだけ面白くてもそうはならない。一度仕事になるとそのまま続くという例だ。

さて、中野氏の推察によると、コロナの流行に日本国内でも地域的な差があったのは、「流動性」にあるのではないかということ。
その点で、大阪は流動性が高い文化なのにかなり流行を抑えているようなので、頑張っているという評価をしていた。よかったねー、吉村知事!

世界的な歴史を見ると、日本は「疫病をやりすごす」「疫病に交渉して見逃してもらう」というようなコミュニケーションをとっているかのような方法をとり、キリスト教を信奉している国は(キリスト教自体がペストを逆手にとって不況を広げたということもあり)「疫病に打ち勝つ」と真っ向から対峙する方法をとっている、ということ。
欧米ではマスクをする習慣がないというのもその当時で有名になったけど、【マスクをつける=ウィズ疫病】ということなのか、と何となく納得できて面白かった。

ヤマザキ氏は、私は他の著書で「日本は何となくの空気でやり過ごそうとして、イタリアは最初は大量の死者を出したがそれは断固とした方向性をもって行った結果」みたいに書いてあったような気がしていた。この著書では撲滅より共存の東洋的考え方を支持しているようなので、気のせいだったようだ。

本の後半では、瞑想の際の脳の動きについても書かれている。どうやら、右脳の「角回」という部分が自分と外界との境目を認識しているようで、瞑想するとその部位の動きが落ちることがあるとか。その結果、宇宙とつながるような感覚を持つ人が出てくる、と。
私は別の脳科学者の本で、その人は病気によって左脳の働きが悪くなったことで外界と自分が一体化したような感覚を持ったとのことだった。だから、瞑想して動きがスローになるのは左脳だと思っていた。もっと深く読んだら角回の部位の記述もあったかもしれないが…
まあ脳は小さいけれどもかなり複雑で微細な働きをするものだから、一つの現象=一つの動き、ではないだろう。面白い。

最後にはリーダー論になったりもするのだけれども、やはり日本人の「個人より集団を重んじる」社会では、突出した能力の人が飛び出てくるというのは考えにくい。社会で飛び出るためにはある程度年齢を重ねているわけで、重ねる過程で出る杭として打たれてしまう可能性が高いだろうと思うので。
いきなりトンデモな人が出てきても困るのだけど、そもそも私も誰かが飛び出てきても「この人はトンデモだ」と思ってしまうのかもしれないし、もうこの社会で無意識に出来上がった価値観で見てしまうので、何がいいのかという判断も難しい気がする。
それでも、「このやり方どうなん」という人が最近ちらほらと自治体の長になることもあるし、それが才能の突出の1つではあるのかもしれない。それが吉と出るか凶と出るか、私には分からないが。

いろいろと対談した結果、どういう方向性がいいのかという結論はなし。結論が欲しかった。


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