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【日めくりnote】4月24日:今日は何の日?

本日4月24日は、清水寺・みずの日、しぶしの日、ペルー日本友好の日。誕生花は「ゼラニウム」、花言葉は「true friendship(真の友情)」「stupidity(愚かさ)」「gentility(育ちの良さ、上流気取り)」です。

植物学の日

植物分類学の第一人者で「植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎氏の功績を讃えるため、同氏の誕生日(文久2年4月24日、新暦1862年5月22日)が記念日に制定されました。

牧野氏は幼い頃から植物に興味を持ち、小学校をわずか2年で中退して94歳で亡くなるまで独学で植物の研究に励みました。

また、かねてから構想を練っていた「日本植物志図篇」を自費で出版するため、自ら印刷技術を学び挿絵は自分で描いて出版にこぎつけました。

また1940年に出版された「牧野日本植物図鑑」は有名で、現在でも植物研究者や愛好者に親しまれています。

50歳で東京帝国大学理科大学で講師となり、65歳では理学博士の学位も取得、死後には文化勲章が贈られる偉人でした。

その一方で、音楽にも造詣がふかく、郷里の高知で西洋音楽会を開き自ら指揮をしたほどで、音楽教育の振興にも尽力しました。

彼の亡くなった1958年にはその功績を讃えて、高知市五台山に「牧野植物園」が設立されています。

しぶしの日

2006年(平成18年)1月1日、鹿児島県内の志布志町、松山町、有明町の合併して志布志市が誕生したことと、しぶし(424)の語呂合わせから制定されました。

「しぶし」の名前の由来は、飛鳥時代に大化の改新に関わった天智天皇が、志布志の人々の志の篤いことに気を良くして命名したことだとされています。

海に面している志布志の特産品は海産物が多く、古くからちりめん漁が盛んな志布志湾でとれる「背白ちりめん」や、全国有数の漁獲量を誇る「鱧(はも)」、志布志湾で多く水揚げされる魚を使った「さつま揚げ」、や有名な「志布志のいちご」があります。

日本ダービー記念日

1932年(昭和7年)4月25日、東京・目黒競馬場で日本初のダービーが開催されたことを記念して制定されました。

当時のダービーは「東京優駿大競走(とうきょうゆうしゅんだいきょうそう)」というレース名で創設されました。「日本ダービー」という名前はあくまで通り名で、正式名称は「東京優駿」ということなのです。

現在の日本ダービーの開催地は東京競馬場ですが、第1回と2回のダービーは当時の目黒競技場で行われました。

由来としては、イギリスの「ダービーステークス」を模範として設定されたもので、皐月賞・菊花賞と並んで「三冠競走」と称されるとともに、3歳の牝馬が出場する桜花賞・優駿牝馬 (オークス)も加えて「クラシック競走」と呼ばれます。

4月25日生まれの特徴

4月25日生まれの人の星座は「おひつじ座」、守護星は「火星」です。

この日生まれた人は、知的好奇心が旺盛で心が優しく、誰に対しても公平に接することができます。

自分をことさらにアピールすることなく、普段から周囲をじっと観察していて、ここぞというときにさりげない気遣いをしてくれます。

自己主張が少ない性格なので「主体性のない人」と見下す人間もいるかもしれませんが、本当は自分の意見をしっかり持っている人で、少しずつ自分のいごこちのいい場所を作り上げていきます。

また、心のなかでは他人に警戒心をもっているので、初対面の人とはなかなか打ち解けにくいところがあります。もうすこし気楽に考えて自分の方から打ち解けて話して見るようにすると、人間関係がスムーズに進むでしょう。

4月24日生まれの有名人

ウィレム1世(オランダ総督、1533~1584):スペイン領ネーデルラント諸州がスペインに対して反乱を起こした八十年戦争の中心人物。オランダ独立国家の事実上の初代君主となった。
賀茂真淵(国学者、1697~1769)荷田春満に師事して「万葉集」などの古典文学を通じて古代日本人の精神を研究し、和歌における古風の尊重と万葉主義を唱えた。荷田春満、本居宣長平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人。
松本清(実業家、1954~):ドラッグストアチェーン「マツモトキヨシ」創業者。1969年に松戸市長に当選、「すぐやる課」を設置して話題となった。
ーブラ・ストライサンド(歌手、1942~:「ファニーガール」「スター誕生」でアカデミー賞を2度受賞したほか、エミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、およびトニー賞を受賞。 歌手、女優、作曲家、映画プロデューサー、映画監督と多方面に活躍している。
ジャン=ポール・ゴルチエ(ファッションデザイナー、1952~):お針子だった祖母の影響で洋裁の基本を身につけ、スタイリストなどに送った自分のスケッチが認められてピエール・カルダンのアシスタントになる。2004年からエルメスのデザイナーも兼任し、映画やマドンナの舞台衣装も手掛けた。

【編集後記】Maiya Takeuchi:Plastic Love

今日は、最近になってその良さが見直されてきた日本の「シティ・ポップ」の中でもダントツの人気曲、竹内まりやの「プラスティック・ラブ」について、独断と私見たっぷりに語ってみます。

「プラスティック・ラブ」は、竹内まりやの12枚目のシングルで、1984年発売のアルバム「VARIETY」に収録されています。

彼女が作詞・作曲し歌唱も行っているのですが、アレンジした山下達郎もカバーしており、彼ら(というより夫婦)のライブでも常連の人気曲となっています。

ライヴ・ドキュメンタリー映画「souvenir the movie 〜MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜」でも演奏されていた名曲で、僕もこの映画を2度も見に行き、そのたびに背中がぞくぞくしてなんとも言えない恍惚感とグルーブを感じました。

恋に傷ついた女性が悲しみを紛らすために空虚な恋愛を重ねるさまを歌っているのですが、現代の女性の悲しく奔放な恋愛を見事に表現していて、心を揺さぶられます。

竹内まりやの歌唱力もさることながら、バックを務めるギターの山下達郎を始め、エレクトリック・ピアノの中西康晴、ベースの伊藤広規、ドラムの青山純と、プロ中のプロの演奏が光っています。

YouTubeで「プラスティックラブ」を検索してもらうとわかるのですが、さまざまなアーチストによって数え切れないほどのバリエーションのミックスがアップされているのです。

このプラスティック・ラブに限らず、1980年代に流行した日本のポップスはとても都会的で洗練された輝きを放っており、活力に満ちあふれていた日本のエネルギーを偲ぶことができます。

山下達郎・まりや夫妻も還暦を超えているのですが、声の伸びと若さは伊坂も変わることがないので、できればこれからもずっと素晴らしい音楽を届けてほしいものです。

竹内まりあが休業宣言のあと3年ぶりに出した「VARIETY」は、全曲を自身で作詞作曲し、山下達郎がアレンジを手掛けている豪華なアルバム。

もし、YouTubeを聴いて気に入ったら、まずはこのゴールデンコンビの第一歩となったこのアルバムから聴いてみてください。


関西在住のWebライター/文筆家のタマゴです。私の書く文章があなたの人生を豊かにすることができていれば、ぜひサポートをお願いいたします。