【ゆるふわコラム】10月23日(土):他人を気にせず自分の道を歩ける時代がやってきた
群れるよりも一人で歩ける人が強い
緊急事態宣言も明け、天気に恵まれたこともあって週末の観光地は結構賑わっているようです。
このボクも先週にひきつづき週末は仕事と観光を兼ねて京都に滞在しています。
やはり、いつも見慣れた土地をはなれて見知らぬ場所であちこち右往左往しながらいきあたりばったりでその日の宿を探すのはいいものですね。
一人旅が大好きなボクは、誰にも相談せず気も使わずに思ったらすぐ行動できる一人が性に合っていると感じます。
しかし、大部分の人たちは会社の同僚なり同級生なりと一緒でないと不安になったりすることが多いらしいのですね。
確かになにか突発的なことが起こったり自分で処理できにくいことが起こったりするとどうしたらいいか不安になることでしょう。
では、集団でいることに慣れている人はどうやってこのコロナ禍の状況をのりきればいいのでしょうか。
自分を見つめ直し行こうと決めた道をゆく
私がそうした人たちに何かアドバイスするとすれば「一人で行動できる様になって初めて、他人の存在を認めつつ共同して仕事することができるのだ」と答えることでしょう。
その理由は、自分ひとりの行動も自分で決められない人間が他人の行動についてとやかく言えるわけもないからです。
学校を卒業して立派な社会人として日々を送っているならば、他人に依存せずまた独りよがりにもならず、他人と適度な距離を置きながらこうどうすることができるはずです。
ただ、日本の会社組織ではいままで「飲みニケーション」といわれる退社後のふれあいが人間関係を築くうえで重要な意味を担ってきたという経緯もあります。
特に昭和の時代などでは、お酒の席でうまく立ち回れたヤツが上司の覚えがよく出世もしやすいといったこともあったでしょう。
しかし、時代はすっかり変わりました。
リモートワークがリアルワークに取って替わりつつあるオフィスワークの世界では、忖度やコネや空気はもはや意味をなしません。
無口だろうが人見知りだろうが、会社の利益に直結する仕事を効率的にこなす人たちが「有能」と認められるようになったのです。
自分の道を自分で選択できる人が生き残る
コロナウィルスの感染者数が減りつつあるからといって、このままコロナが収束してまたもとの世界に戻れるわけではありません。
いろいろな意味で変わってしまった世界はもう元に戻ることはなく、私たちはいままでとはまったく違った「新しい生活様式」を受け入れそれに合わせていかなければなりません。
この事実を受け入れることができず、変わることを拒否している人たちはやげて時代に取り残され、この社会から消えていくことでしょう。
不器用でも歩みが遅くても、自分の進むべき道をここでしっかりと考えてみましょう。
そして、自分の道が決まったら、あとは過去も未来も考えずひたすら「今日できること」を考えて事項していきましょう。
過去はもう変えることはできず、今の延長上にあるのが未来だからです。