【エンタメWeeklyマガジン】November 10(45th Week) :火焚祭/アラン・ドロン/菅沼孝三
こんにちは。おでかけ先生エンタメ英語塾代表のケンジです。
秋がますます深まるこの季節ですが、11月8日には暦の上での「立冬」を迎えます。
冬と言ってもこの時期ではまだ実感がわかず、例年から富士山にも雪はまだ積もる時期ではありません。
ただ、今年は異例の暑さになっているのは、わたしたちも肌感でわかりますね。なんでも「100年前の1923年(大正12年)の11月1日に観測した27.3度を上回り、100年ぶりの記録更新」だそうです。
それでは、今週の行事や歴史のできごと、きょう誕生日・命日の著名人について見ていきましょう。
【行事とできごと】伏見稲荷大社「火焚祭」
京都市内の主だった神社で行われる行事で、なかでも伏見稲荷大社の火焚祭は、最大級の規模を誇っています。
ほかにも多くの神社でこの行事が行われています。もし今日おでかけになった方がおられたら、感想などをおきかせいただけると嬉しいです。
【Birthday】アラン・ドロン(1935年11月8日〜)
アラン・ドロン(Alain Fabien Maurice Marcel Delon)は、フランスの映画俳優として世紀の二枚目としての地位を築き、その功績は彼の優れた演技力、外見、そして多彩な役柄への挑戦に起因しています。
アラン・ドロンが成功を収めた3つの理由
優れた演技力
アラン・ドロンの最も顕著な功績の一つは、その優れた演技力です。
彼は幅広い役柄に対応し、その役を完璧に体現しました。彼の演技は感情の豊かさと深さを持ち、観客を引き込みました。
例えば、彼の出演した『紫の恐怖』(1966)での緊迫した演技や『慾望』(1967)での情熱的な演技は、その演技力の高さを示すものでした。
魅力的な外見
アラン・ドロンはその整った容姿と魅力的な風貌で知られており、これが彼の世紀の二枚目としての地位を強化しました。
彼の風貌は映画ファンだけでなく、多くの女性ファンにとっても魅力的で、彼が出演した映画は彼の魅力に引かれる観客に支持されました。
多彩な役柄への挑戦
アラン・ドロンは単なるハンサムな俳優にとどまらず、多彩な役柄への挑戦を惜しまなかったことが彼の功績の一因です。
彼はアクション映画からドラマ、犯罪映画、恋愛映画まで幅広いジャンルで成功を収めました。
例えば、『サムライ』(1967)での冷酷な殺し屋、『レプリカント』(2001)での双子の役、『ラ・プール』(1969)での警官役など、異なる役柄での出演によってその幅広さを示しました。
アラン・ドロンの代表的3作品
『紫の恐怖』(1966)
この映画では、アラン・ドロンは殺人犯の役を演じ、その緊迫感あふれる演技が高く評価されました。観客は彼の演技に引き込まれ、この映画は大ヒットしました。
『サムライ』(1967)
アラン・ドロンはこの映画で冷酷な殺し屋を演じ、その冷静な演技とカリスマ性が称賛を受けました。この役での演技は彼のキャリアにおける優れた瞬間の一つです。
『慾望』(1967)
この映画では、アラン・ドロンは情熱的な愛の役を演じ、その情熱的な演技が観客を惹きつけました。彼の演技によって、この映画はロマンス映画の傑作となりました。
昭和の代表的二枚目俳優の色褪せないオーラ
アラン・ドロンはその優れた演技力、魅力的な外見、そして多彩な役柄への挑戦によって、フランスの映画俳優として世紀の二枚目としての地位を確立しました。彼の功績は彼の豊かな演技と魅力的な風貌に起因しており、彼の出演した映画は今日でも多くの人に愛されています。
アラン・ドロン関連メディア情報
第11回「アラン・ドロン生誕88年記念祭」シネマライブ
直近のアラン・ドロン関連情報では、去る11月5日(日)に「銀座TACT」にて、第11回「アラン・ドロン生誕88年記念祭」シネマライブが開催されました。参加された方のレポートがWeb上でも見つけることができます。
朝日新聞:「今日が人生最後」 アラン・ドロンに名誉パルムドール
少し古いですが、アラン・ドロンが「名誉パルムドール」を授与されたときの模様を朝日新聞DIGITALが報じています。
【命日】菅沼孝三(1959年10月25日〜2021年11月8日)
菅沼孝三は、日本の音楽界に多大な功績を残し、特に彼の卓越したドラムスキルと音楽への情熱が注目されました。その功績の理由は、彼のテクニック、多ジャンルでの活動、教育への貢献、そして多彩な楽器の演奏による多才さです。
功績を収めた4つの理由
テクニックの卓越性
菅沼孝三は、そのテクニックの豊富さで知られています。高速プレイ、変則プレイ、そしてルーディメンツなど、彼のドラムスキルは精度が高く、他のミュージシャンやファンから賞賛されました。これにより、彼は「手数王」として親しまれ、日本の音楽界で際立った存在となりました。
多ジャンルでの活動
菅沼孝三は、ジャズからロックまで幅広い音楽ジャンルで数多くのミュージシャンと共演しました。彼の柔軟性と適応力により、異なる音楽スタイルでの演奏が可能であり、これが彼の音楽的な影響力を高めました。彼の音楽的な幅広さは、多くのファンと共演者に感銘を与えました。
教育への貢献
菅沼孝三は、音楽教育にも熱心に取り組みました。昭和音楽大学や音楽学校メーザー・ハウス、キャットミュージックカレッジ専門学校で講師を務め、若手ドラマーの育成に尽力しました。彼の指導により、多くの学生や若手ミュージシャンが成長し、日本の音楽シーンに新たな才能が登場しました。
多彩な楽器の演奏
菅沼孝三は、ドラムに留まらず、ディジュリドゥ、パチカ、ヤマハ、Miburiなど、さまざまな楽器を演奏するマルチプレイヤーでもありました。その多彩な楽器の演奏は、彼の音楽的な多才さを証明し、他のミュージシャンに新たな音楽的アイデアを提供しました。
菅沼孝三の音楽活動
菅沼孝三は、リズム&ドラム・マガジンやPlayer(雑誌)に寄稿し、教則本の執筆を行い、教則ビデオをリリースしました。これらの活動により、彼は自身の音楽的な知識や経験を共有し、多くの音楽愛好家と学生に貢献しました。
ドラムクリニックへの積極的な参加により、菅沼孝三は若手ドラマーに実演とアドバイスを提供し、技術と情熱の伝播に貢献しました。
彼の娘である菅沼知子も音楽家として成功し、バンドFUZZY CONTROLで活動しています。菅沼孝三の音楽的な遺産は、次世代のミュージシャンにも引き継がれています。
今も語り継がれる「手数王」の伝説
菅沼孝三は、日本の音楽界に多大な貢献をし、その多才なドラムスキル、多ジャンルでの活動、教育への貢献、多彩な楽器の演奏により、音楽の世界に不朽の遺産を残しました。彼の音楽的な影響力は広範であり、多くの人々に感銘を与え、次世代のミュージシャンに影響を与え続けています。
菅沼孝三の最新情報
三回忌追悼イベント
菅沼さんの三回忌を迎えるにあたり、11月11日に追悼イベントが予定されています。
YAMAHAイベントヒストリーインタビュー
おおかた40年以上も前になりますが、YAMAHAのウェブサイトでのインタビュー記事が残っています。
【編集後記】TODAY'S MUSIC NOTE
今日11月8日は、ジャマイカ出身の女性レゲエシンガー、Diana Kingの誕生日でもあります。
今日は、彼女の大ヒット曲の"Shy Guy"を聴きながらお別れです。
それではまた。Good by and see you again!