【五十路MAN日記】スマホを置こう、自分と向き合おう
電車に乗っている時に、他の人がどのようにして時間を過ごしているのかが気になるのは僕だけだろうか。
いつも車内で「人間観察」をしてて気になるのは、皆が一様にスマートフォンを見つめていることだ。これは今ではすっかり普通の光景なので特に不思議に感じることはないが、よくよく考えるとちょっと異様な光景だ。
問題なのは、スマホユーザー本人がそれにまったく気づいていないことだと思う。
よくベットの犬を散歩させている人が逆に犬に引っ張られている光景を目にするが、これと同じようなことのように思える。「散歩させているのか、させられているのか、どっちなんですか?」と聞いてみたい衝動に駆られてしまう。
スマホの場合も同じことで、使っているのか使われているのか、たぶん本人はよくわかっていない。
加えて、スマホメーカーに端末代を、電話会社に回線料を、ゲーム会社に使用料を、毎月いいように持っていかれる。各企業が陰で「ホンマ、まいどおおきに」とほくそ笑んでいるのが目に見えるようだ。
僕がこういうことを感じるようになったのは、使っていたスマホが、2週間ほど使えなくなった経験があるからだ。
それまではいつも何かに追われていて、スマホをいじくることでそれに対処していると思い込んでいたが、その期間はとても頭がスッキリとして課題が明確になり、むしろ毎日ゆったりと過ごすことができた。
そして、スマホ断ちの意外な効用を実感することとなった。それは「自分と向き合う時間ができる」ということだ。
いったんスマホから解放されると、自分を見つめ直す時間ができ、自分を見失うことがなくなる。何が問題で今何をしなければならないのかがわかるようになる。
今の日本人は、給料も上がらず未来の希望が見えないので、職を失ってはたいへんと会社にしがみついてしまう。しかし、ここでちょっと立ち止まって「自分に向き合う」ことをした方が、長い目で見ると正しい方向に進めるのではないだろうか。
・・・などという賢こぶった話を、残業禁止で家にも帰りづらく、退社後についつい繁華街へ繰り出す「フラリーマン」諸兄にしてみても、ぜんぜん効果はないんやろなー。
関西在住のWebライター/文筆家のタマゴです。私の書く文章があなたの人生を豊かにすることができていれば、ぜひサポートをお願いいたします。