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八方美人という自己中心的な生き方をしてきた僕について

初めまして!noteなるものを始めてみました。先月あたりから後輩にそそのかされてtwitterをはじめ、あの文字制限に詰め込むのに苦労する日々を過ごす中で、twitterという芸術も好きになりつつも、もっとちゃんと伝えたい欲求が勝り、noteに手を出してみました。とりあえずしっかり自己紹介をします。興味があったら見てみてください笑

自分らしさというものを問い続ける人生

現在社会人5年目で、リンク・アイの名古屋と福岡の拠点責任者。あわせて22卒の企画なども携わらせてもらったり、社内の研修制作などをさせてもらい、楽しく毎日を働いてます。

もともと名古屋大学大学院多元数理科学研究科という数学専攻のド理系です。このようなキャリアアドバイザーとか採用とかベンチャーという要素のあるこの会社に入ったのはなぜかを伝えると、

自分らしく生きるってむずいな。

これを感じてきた人生であったからだと思います。自分らしくあることに恋い焦がれ、ただそうあれない自分を受け止めれないそんな思春期のような葛藤を20年近く重ねてきました。だからアイデンティティ論とかアドラー心理学とかすごく好きです。(この辺はおいおいnoteで書いていきます笑)

(以下スーパー口語です笑)

もともと人目を気にする子で、思い返せば小学低学年のころ祖父母に「こんな人目を見て行動する子にどうして育てたんだ。」と親が怒られるのを見た記憶があるので幼いころから八方美人的に生きてきたんだと思う。

八方美人に生きることって世渡り上手でいいやん

そう思っていたが、承認されど自信は持てず、期待が増す中で期待が怖くなって、失敗ができなくなって、強がって。親友という存在が欲しいけど自分を開示する勇気が持てなくて。なんか自分の本当にやりたいことを貫くよりリスクを鑑みて周囲から認められる程度で手を抜いて。当たり前に本心の理想をあきらめる不戦敗を重ねているような鈍い痛みが自分を襲うようになったのは高校の頃。

そんな僕の転機は、高校のバレーボール部で強烈な顧問との出会い。

お人よしはだれの味方でもない。自分しか守ってない弱い奴だ。

自己犠牲的に人に尽くしているとすら思っていた八方美人な自分を自己中心的だと喝破された衝撃は結構なものだった。

エースになるも弱気で勝負しきれない。そんな人としての弱さを強く指摘する顧問のもとで初めて正解がわからない辛さを味わい続けた。ひたすらにメンバーを僕を理由で叱り、部員から僕に直接FBをさせ続けたあの頃は、逃げてきたものをまとめて受け止めさせられている気持ちだった。

ただあの頃の僕はずっと

「誰も俺のことはわからないんだ」

と被害者面してたのをよく覚えている。


耐え忍び続け、最後の大会。勝ったら県大会出場の試合で強豪とあたり、

1セット目 12-25 

レギュラーメンバーにはセット間で半泣きな人もいたが、なんで正直泣いているのかわからなかった。それを感じた時に

俺だけだ。このチームでちゃんと勝ちにこだわってないの。

そう思った。負けたいとは思ってないでも、勝ちたいと思ってない。それ以上に自分のせいで負けたくないとしか思っていない自分に気づいたときに、

お人よしはだれの味方でもない。自分しか守ってない弱い奴だ。

この言葉の意味が分かった。だれよりも人に迷惑をかけているのに自分のことしか見ていない。人が自分をどうとらえているかにしか興味がないダサい自分を強烈に自覚した。だからこそ、強烈な後悔とともに

この試合だけは勝たないといけない。勝って仲間に罪滅ぼしをしないと。

そう思ったら不思議と勝負をしかけ、普段しないようなプレーをしていた。そして、気づいたら逆転して勝利。終わった時のすがすがしい、誰かとともに心がある温かい気持ちはきっと一生忘れない。そこから引退までは死ぬほど楽しかった。仲間に恩を返そうと、勝ちの瞬間を渡したいと思い走れた。初めて自分の中にある何かを好きになれたのがこの時。

自信を持って生きることは、自分らしさをもって生きることだ。自分で怖さを感じながらも理想に向けて何かを背負い、生きなければその感覚は持てない。

それを学んだのが高校の部活。だからこそ大学はあらゆるリーダー経験を積んだ。そのなかでも様々な価値観や自分を貫くことが集団の中でどれだけ難しく、八方美人に生きることがどれだけ楽かを感じてきた。でも自分を誇り、自分らしさを創るために今の感情に抗い、未来のための意味ある苦労を重ねることの楽しさもたくさん学んだ。

自分らしくあることは難しい。だからこそ、自分らしくあることは美しい。

誰もが自分らしさを見失い、葛藤する。社会でストレスを緩和するためにいろんな自分を増やし、どれが本当の自分かわからなくなる。自分という存在に自信がなくなる。自分を頑なに守り世界を広げなくなる人もいる。社会に対してオープンでありながら、自分という存在を貫き、自信を持つことは難しい。だからこそ恋い焦がれ、憧れる。

だから僕は、社会に自分の存在証明をする勇気を与えるこの仕事をしている。

生きる目的は、世に生きた証を残すこと


多くの人の人生を聞き、自分のキャリアとも向き合う中での自分が気づいたこと。自分なりに世の中を捉え、自分なりの生きる哲学で誰かを救い、誰かの生きる哲学の中に自分が生きる。

生き様や自分の哲学で誰かを救い、誰かの哲学に生きること

が生きた証を残すことなのかなと。そうすると自分なりの世界観を育み、その中で自分の芯となる哲学を考え続けることが前提重要。

生きることは考えること

考えるとは、解のないものに解を見出そうとする途方のない行為。その過程に残る思考の残滓が人生なんだろうなと。だからこそ、

考えることは面白い。だから生きることは面白い。

ことを伝えたい。一番難しい「何のために今、この時代で生きるのか?」という正解のない問いに解を見出そうとする行為の面白さを伝えていきたい。これの自分なりの解を導こうとする道中に残るものが自分らしさだと思うから。


こんな自分ですが、会社のこと、考えたこと、学んだことを発信していくんで興味あればよろしくです!


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