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えむずぃーだおとワタクシ⑬

はじめに: きょうの記事は、ちょい長めです。

みなさんにとってのMZ(えむぞー)は?


これは、世の皆様というよりMZDAOメンバーの方にとっての質問かな。
みなさんにとって、MZつまり前澤友作さんはどんな存在ですか?
もちろんMZDAOという関わりの中で、です。

SNSなどで皆さんの呟きを聴いていると、ワタクシには意外なほど多いのが「BOSS」という位置づけ。

これに関しては、ワタクシはちょっと……しっくりこないんだなぁ。

いえ、もちろん自由ですよ。みなさんがどう思おうとどう呼ぼうと、それを否定するつもりはサラッサラございません

ただ「BBAもBOSSと思えるか?」と問われたら、違う、と答えますってこと。

だって、MZが解説している通り、DAOはドーナツ型の(BOSSがいない組織のはずなんだから。

ただ現段階ではメンバーの多く(ワタクシ含め)が「DAOってナニ?」。
➡ だから、リーダーがいないと運営は難しいであろう。
➡ なのでMZOさんリーダー役的なものをやってくださる
そういうこと、の、はず。

メンターという存在


ワタクシ、デザインの仕事をプロとしてウン十年やってきていますが、それでも迷うことは本当に多いです。
相談できる相手や助言者が欲しいと、心の底から思う時があります。

誰でもそんな瞬間があるんじゃないでしょうか。

ただ、現実世界では、ウン十年もやっているいわゆるベテランで、しかも役職になんか就いてるとですね。部下と同僚以外、自分の身近にいるのは自分の給料を査定する評定者でもある上司だけ。(助言なんて求めようものなら査定を下げられてしまいます。)

そこで、ワタクシは、心に迷いを感じた時、amazon の Making the Cut などを通じて、ティム・ガンがデザイナーに掛ける助言を見るんです。
直接自分に対する助言ではないけれど、紳士・ティムの言葉には、気づきのヒントが宝物のように埋もれています。

これまで何度、ティムのヒントによって気づきを得て、進んで来れたか……プロジェクト・ランウェイ時代から、本当に数えきれません。

そして……MZOを見ていると、ティムが浮かんで来るんですよ、ワタクシの頭には。

そのあたり、漫画にしてみました。

MZDAOとワタクシ 13 by いそいぼう

公平性とは?


実は、MZDAOのSNSを見ていて、もうひとつ、気になることがあります。

それは「公平」「不公平」という言葉。

職歴ウン十年のBBAとしてはもちろん、ティム・ガンのファンとして、メンターの姿をガン見(←ダジャレのつもりじゃない)して来た者としても、ちょっとひっかかる傾向です。

MZDAOは楽しくワクワクをモットーにしていると思うけれど、小学校ではありません

ワタクシは……社会において公平性を求めるべきなのは、法と、命の取り扱いに対してだけなんじゃなかろうかと思っている人間です。

ビジネスは、闘いです
闘いの場には、ルールはあっても、公平なんてありません。(真に公平を求めるなら、そもそも実力が違う人同士が闘ってはいけないことになります。)

リアリティ・ショーとしてのプロジェクト・ランウェイから、amazonのファッションビジネスの一環としての Making the Cut まで、ファッションデザインコンペティションにメンターとして関わり続けているティム・ガン。

よくよく観察していると、彼は、コンペティターたちに対して決して「公平」ではないのがわかります。

と言っても、コンペティションの審査に影響するような「不公正」ではありません。
むしろ、現実社会の厳しさに気づかせるような、言うなれば「不公平の真の顔」を見せようとしているとも取れる態度なのです。

ティム・ガンは、彼が示す提言がそのものズバリの答えではないからと無視したり腹を立てたり、あるいは自分がまるで「お客さん」であるかのように「助けてもらって当然」とばかりにあれこれ不満をぶつけたり、あからさまに尊厳を欠く言動をしたりといった、不誠実なことをするコンペティターに対しては「スルー」です。
去る者は追わず、勝手にしなさい、といった感じです。あっさり。

それだけではありません。
実に興味深いことに、どのコンペティターであろうと、「ミシンが壊れた」とか「縫製スタッフが間違えた」といった緊急の問題には、ティムは一切、助け舟を出さないのです。

これをコンペティションを盛り上げるための制作側の意図ととらえる見方もあります。
もちろんそれもあるでしょう。
でもワタクシは決してそれだけではないと思っています。

繰り返しになりますが、ビジネスの場は、小学校ではありません

ミシンが壊れる、というアクシデントは不公平? 不運がもたらしたものだから? それだけ? 使う側の不注意も少なからず関係したのではないでしょうか。あるいは、壊れても自分で直せるコンペティターと自分で直せないコンペティターがいるのなら、それも実力の差ではないでしょうか。

縫製スタッフが間違えたなら、それはスタッフが愚かだったからではないでしょう。そういう場合、デザイナーの指示が適切ではなかった可能性が高いのです。

アクシデントを受けて毒づくデザイナーにも、自省するデザイナーにも、ティムは「形にしろ! やるんだ!」とハッパをかけるだけです。
しかし、その「放置と激励」こそが、メンターとしての公平性なのだとワタクシは思うのですよ。

ワタクシにとってのMZ(えむぞー)は


ワタクシはMZから「いいね!」をいただいたことはありませんし、フォローもされていません。コメントに返答を貰ったこともありません。

ついでに言うと、この漫画も公式に認めてはいただいていません。
(ブログにエントリーすべきところをその他にエントリーしてしまったことがカテゴリー違いとのことで、コンテストの審査は落ちました)

それでも、MZが書くこと、話すこと、そして行動していることの多くから、さまざまな学びや気づきを貰えています。

つまり、たとえ相互のやりとりはなくても、ワタクシにとってのMZは、DAOを自分の居場所、ビジネスの中で理解するためのメンターであることに間違いないのです

この10日間ほどは、「これがDAOなんだ」と実感しています。
過度な顧客扱いを望んでいた人や、長期的な展望を持てない人、自分の思った方向と違うことに耐えられない人は離れていく。

でも分散型自律組織ということは、メンバーは厳密には組織のお客様ではありません。長期的な展望は自分たちが作り出すものの結果なので、それをよりスピードアップできるもできないも自分たち次第。自分の思い通りでないと我慢できない人はDAOには向いていないのかもしれません。

言葉は悪いけれど、今は、「ふるい」にかけられている期間。

ワタクシはそのようにとらえています。

ここまで長々とお読みいただき、ありがとうございました。

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