意識次元の高い人は心がフラットである
Aさんは人間に地球意識が宿った存在です。(証明はできないけれど、わたしはそれを前提にお会いしています)
つまり、地球とわたし。創造主と被造物の関係です。
なので、対話といってもすごく厳粛な距離感をわたしは感じています。
向うはご機嫌な時もあるし普通にされているのですが、やはり慣れ慣れしくはできず、こちらはずっと緊張状態です。
そういう関係にあっては、何でもかんでも聞けるものではありません。
わからないからと言ってわかるまで聞き返すことのできない空気があるのです。
また、いつも事細かにわかりやすく説明されるわけでもないので、わたしの理解力がついていけないことも多々あります。
そういう状況ですので、一度の対話でたくさんの知識や学びを持ち帰られるわけではありません。
今回は、何度も回を重ねて話を聞いてやっとわかったことの一つを書きます。
それは、意識の次元が高い人は心がフラットであるということ。
たとえば感情。喜びすぎない、悲しみすぎない、怒りすぎない、いじけすぎない、などなど。
感情はあってもそこに拘らない、囚われないということ。離すことができる人が意識の次元が高いということです。
それは対人関係においてもしかり。ものごとにおいてもしかり。
つまり、どんなものごとに対しても同じ距離感にして保つことが意識の高いあり方になると言われました。
わたしは感情的な人間でもありましたので、それがなぜいけないのかよくわかりませんでした。
マイナスな感情ならわかりますが、喜びや楽しさ、興奮なども行き過ぎると良くないそうです。中庸に戻せることが大事なのでしょう。
中庸であればものごとに対する距離感を一定に保つことができますよね。
あることに対してはべったりするぐらい密なのに、あることに対しては異常に遠ざける、または無関心など、そこには心理的、感情的偏りや拘りがあるということになります。
つまり心がフラットであるということからズレてしまっているのです。
このことは、結構いろんなことに当てはめて検証することができます。
たとえば意識次元の高い人は、情を基準にすることはないと言われました。身内だから優遇するとか、新参者には閉鎖的でいるとかそのようなことをしないということです。
情や損得からではなく、全体調和を考えてそのときその場に相応しい人や状況を判断し、自ら譲ったり受けとったりができるということなのでしょう。
こういうことができるのも、心に偏りがなくフラットにものごとを見ることができるからですよね。
そんな方、近くにいますか?
わたしは結構気分を引きずるタイプでしたし、人間は情があって当たり前だと思っていたので身内を優先しないという考え方がしっくりきませんでした。
今はすごく納得できています。(実際にそのように行動できるかはまた別なのかもしれませんが…)
また、以前と比べれば感情に囚われすぎないようにコントロールもできるようになりました。
ですが、ものごとに対する距離感は凸凹なままです。
結構無関心である分野が多いです。
わたしが内に秘め続けていた興味関心のあることを外に出してみようというこの試みは、凸凹な距離感をフラットにしていく作業につながっていくのかなと思っているところです。
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