アメリカ文学研究室 2024/7/26
20240726 18:00~19:30
4~441頁/602頁まで読了
※37章まで読了/全55章
435頁から441頁の要約
435頁
ウィルは、戦争が続く中で保存食品が価値を持つとアダムにアドバイスし、豆を植えることを提案する。アダムは氷工場を続ける決意をし、リーは無駄な出費を避けるよう忠告する。
436頁
アダムは氷工場のプロジェクトを開始し、ニューヨークに出荷する。しかし、天候不順や物流の混乱で失敗し、レタスが腐ってしまう。
アダムは失敗に打ちのめされるが、リーは彼を支える。
437頁
アダムの失敗により、彼の息子たちも嘲笑される。アロンとカルはそれぞれ異なる形で孤独や不安を抱える。
アロンはアブラに心配されるが、自分の価値を疑い始める。
438頁
アロンとアブラの関係は緊張し、アロンは父親の失敗に対する怒りを抱く。アブラはアロンに対して母親について尋ねるよう勧めるが、アロンは約束を理由に拒む。
カルは兄弟の関係に悩み、アブラとアロンに受け入れられず孤独を感じる。
439頁
アブラはアロンを探し回るが見つけられず、彼の怒りと孤立を心配する。
カルは学業に対する興味を失い、夜に外をさまようようになる。
440頁
アブラはアロンに父親の牧場を運営することを提案するが、アロンはそれを拒否し大学進学を優先する。
二人の間で将来の計画について対立が生じる。
441頁
アロンは周囲の嘲笑に耐えられず、アブラに対して感情を爆発させる。
アブラはアロンを理解しようと努めるが、二人の関係は緊張を続ける。
はい、この時代もお金や資産による区別、階級や経済格差が社会問題となっていました。『エデンの東』は20世紀初頭のアメリカを舞台にしていますが、その時代も今日と同様に経済的な不平等が深刻な問題でした。
経済格差と階級の影響
社会的な区別: お金や資産の有無は、人々の社会的な地位や人間関係に大きな影響を及ぼしていました。アダムの事業の失敗は彼とその家族の社会的な評判に打撃を与え、息子たちが周囲から嘲笑される原因となりました。
階級の固定化: 裕福な家庭の子供たちは良い教育を受ける機会が多く、将来の成功が約束される一方で、貧しい家庭の子供たちはそのような機会に恵まれないことが多かったです。これはアロンとカルのような若者にとって大きなプレッシャーとなり、心理的な負担を増大させました。
経済的不安: 戦争や経済的な不況が続く中で、多くの人々が経済的不安を感じていました。ウィルがアダムに豆を植えることを提案したのも、保存食品の価値が高まるという見込みからです。
社会問題の現実
労働者の権利: 産業革命後、労働者の権利や労働条件の改善が社会問題として浮上しました。劣悪な労働条件や低賃金は労働者階級に大きな影響を与えました。
移民と差別: 多くの移民がアメリカに流入し、低賃金で働くことで経済に貢献しましたが、同時に差別や排斥運動も発生しました。これは社会的な緊張を引き起こし、経済格差をさらに悪化させました。
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『エデンの東』(East of Eden)はジョン・スタインベックによって書かれた小説であり、主にアメリカのカリフォルニア州サリナス・バレーを舞台にしています。この小説は、家族の歴史、道徳的な葛藤、善と悪の戦いなどのテーマを扱っていますが、直接的に居住地の人権分離(segregation)について詳しく言及しているわけではありません。
小説における人権分離のテーマ
スタインベックの他の作品と同様に、『エデンの東』にも社会的な不平等や階級格差といったテーマが含まれています。これらのテーマは、次のような形で表現されています。
経済的格差: 小説では、アダム・トラスクの事業の成功と失敗、彼の子供たちの生活の変化を通じて、経済的な不平等が描かれています。特に、アダムの事業の失敗が彼とその家族の社会的地位にどのような影響を与えるかが焦点となっています。
社会的な評価: アダムの子供たちは、父親の事業の失敗によって周囲から嘲笑される場面があり、これが彼らの精神的な健康や人間関係に悪影響を及ぼしています。これもまた、社会的な不平等や差別の一形態と言えます。
倫理的な葛藤: 小説全体を通じて、キャラクターたちは善と悪の間で葛藤し、それが彼らの行動や決断に影響を与えます。この倫理的な葛藤は、社会的な不平等や階級格差とも関連しています。
まとめ
『エデンの東』は直接的に居住地の人権分離について言及しているわけではありませんが、経済的格差や社会的な評価、倫理的な葛藤を通じて、広範な社会問題に触れています。スタインベックの作品は、彼の時代のアメリカ社会の問題を反映しており、これらのテーマは現代においても多くの共感を呼ぶものです。
この小説が具体的に人権分離を扱っているかどうかを知りたい場合は、スタインベックの他の作品や、当時のアメリカ社会に関する文献を参考にすることをお勧めします。
『エデンの東』(East of Eden)では、白人の無自覚さや特権に対する直接的な批判はあまり明確に描かれていませんが、ジョン・スタインベックの他の作品と同様に、社会的な不平等や偏見が間接的に描かれています。いくつかの要素を通じて、白人の無自覚さや特権が問題視される場面が見られるかもしれません。
社会的な不平等と無自覚さ
経済的格差と無自覚さ:
小説では、裕福な家族と貧しい家族の間の格差が描かれています。アダム・トラスクの家族は、一時的には裕福ですが、事業の失敗によってその特権を失います。この過程で、特権を持つ側の無自覚さや、その特権が失われたときの衝撃が描かれています。
人間関係と偏見:
カルとアロンの兄弟関係や、アダムと他の登場人物との関係を通じて、偏見や誤解が描かれています。特に、カルが自分の父親や兄に対して感じる劣等感や嫉妬は、社会的な期待や偏見から生じています。
リーのキャラクター:
中国人のリーは、アダムの家で働く賢明で思慮深いキャラクターとして描かれています。リーはしばしば深い洞察を提供し、アダムや他の白人キャラクターが気づかない社会的な問題を指摘します。彼の視点を通じて、白人の無自覚さや特権に対する間接的な批判がなされています。
スタインベックの意図とメッセージ
スタインベックは、彼の作品を通じて、社会的な不平等や人間の本性に対する深い洞察を提供しています。『エデンの東』もその例外ではなく、人間の善悪の葛藤や、社会的な期待と現実の間のギャップを描くことで、無自覚な特権や偏見に対する批判を含んでいます。
結論
『エデンの東』は、直接的な批判というよりも、キャラクターの行動や関係を通じて、白人の無自覚さや特権に対する間接的な批判を含んでいます。スタインベックの他の作品と合わせて読むことで、彼の社会的なメッセージや意図がより明確に理解できるでしょう。
※ 本日のりゅうぜんこうが見つかった。小笠原新報で本日の
アンバーグリス とても良い匂い
白鯨
沖縄の海岸で見つかった
鑑定できる人にもっていた。
440万円でねだんついた。
石と区別できない。
ダイヤモンドよりもすごい価値ではないか。
『白鯨』(Moby-Dick)での龍涎香(りゅうぜんこう)の記載について説明します。
龍涎香の記載
ハーマン・メルヴィルの『白鯨』(1851年)では、龍涎香が具体的に言及されています。龍涎香は当時、非常に価値のある物質として知られており、小説の中でもその価値や特徴が描かれています。
具体的な記述
『白鯨』の第92章「Ambergris」で龍涎香について詳しく述べられています。以下にその内容を要約します。
龍涎香の発見:
主人公のイシュメールは、マッコウクジラの中から龍涎香が発見されることについて言及しています。龍涎香はクジラの腸の中で形成され、海上で漂流し熟成されます。
龍涎香の価値:
龍涎香は高価な香料として取引され、その価値は金や宝石と同等とされています。特に、香水の定着剤としての需要が高いと説明されています。
龍涎香の特徴:
龍涎香の色や質感、香りについても詳細に描かれています。新鮮なものは不快な臭いを持つことがありますが、時間が経つと甘く心地よい香りに変わると述べられています。
小説の中の引用
以下は、『白鯨』の第92章からの引用です(英語原文):
"Now this ambergris is a very curious substance, and so important as an article of commerce that in 1791 a certain Nantucket-born Captain Coffin was employed by the London merchants to go out and collect specimens of it. He did so, and on selling them at the rate of a crown per ounce, which must have been at least seventy-five dollars a pound."
この引用から、龍涎香がどれほど貴重であったか、そしてその商業的価値がどれほど高かったかがわかります。
まとめ
『白鯨』では、龍涎香がマッコウクジラから得られる貴重な物質として描かれ、その商業的価値や特徴が詳述されています。この記述は、19世紀の捕鯨産業や当時の香料市場における龍涎香の重要性を理解する上で重要です。
アメリカの西部地域については
西部と東部の分割すると
西武は郊外にトレーラーに住んでいる。
都市と郊外
土地はあるが、産業は都市に集中して
仕事はそういう感じであった。
郊外に行くと、この作品の中での風景があった。
都市の学校の方が、歴然とした差がある。
パブリックスクールは施設的にも雑
明確に分かれている。
小学校のレベルで見てすぐわかる。