カルチャーショック
人生において、何度か経験したカルチャーショック。
タヒチでは日常茶飯事なのだが、これは追い追い話していくとして、
まだ10代、あれは確か高校1年の夏、親をなんとか説得して初めてアメリカのサマースクールに行った時のこと、いろんな国から英語を学びに来ていて国際色強目の中、同じように期待と不安でいっぱいの日本人はほとんどが関東出身者だった。
英語を学ぶ以上に、気になったこと、
それは、今まで名古屋という小さなコミュニティの中だけで生きてきた16歳の私にとって、自分の話す名古屋弁が通じないこと。
方言というものにカルチャーショックを受けた初めての夏だった。
英語だってそうだ、私はどちらかというとアメリカ英語に耳が慣れている。
タヒチで黒真珠を売る店に勤務する私にとって、やってくるお客様の国籍は選んでいられない。英語圏といっても、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、スイス英語など、みんな違う。接客しながら、毎回切磋琢磨である。
私は日本語、フランス語、英語で接客するのだが、例えば、イタリア人の場合はお互い英語になってくる。この場合、お互い母国語ではないので意外と通じてしまう。陽気なラテン系なら尚更だ。
時に全く通じない場合もある。ロシア人中国人がそれに当たる事が多い。
そんな時は計算機や携帯の翻訳やら、更には紙に書いたりしてコミュニケーションを図る。悪戦苦闘だ。
そんな毎日。
世界からいろんなツーリストがやってくるタヒチ。
毎日が刺激的だ。
タヒチアンは、基本とてもフレンドリーだ。
南国ならではのホスピタリティに溢れている。
私の訛りのあるフランス語にも優しく耳を傾けてくれる。
ただ時間の感覚、前もってする準備など、全く日本人の私とは真逆で、特にせっかちの私にとっては、ブチ切れそうになる事やアゴが外れる事が多々ある。
用意周到という文字はタヒチアンにはない笑
でも写真のような笑顔で色んな思いが吹っ飛んでしまう。
カルチャーショックの毎日。