肺がんで余命半年の宣告を受けた父④地域包括と生活保護を考える

2024年11月2日
父が入院して4日が経った。
入院している父の洗濯物を取りに行かないと思い仕事は有休取得した。
洗濯物を取りに行くだけなら休み取る必要は無かったが色々やらなくてはならないことがあった。

病院で父に4日ぶり会ってびっくりした。
とてつもなく痩せていた。

肺の水を抜くことで必要な栄養ももっていかれてしまう。病院に入った途端に生活レベルが落ちる人はザラにいると妻から聞いていたが、まさにそうだった。自分で歩いてはいるが歩行は弱々しく、点滴と一緒にヨロヨロと歩いてきた。

ガリガリだ。元から太ってはいなかったが。
声も出なくなっている。話し方が苦しそうだ。顔色も土色。生気が一気に抜けてしまった。

私は少しでも笑ってもらおうとした。必死に面白くもない話を楽しそうに父に話した。父は笑ってくれた。少しでも苦しさを忘れられる時間にしてあげたいと願った。

地域包括支援センター
病院の癌相談室の福祉士の方に言われていたことを実行しようとしていた。地域の高齢者と必要な支援機関を繋ぐ地域包括支援センターにお話をしに行った。
末期がんの単身高齢者が地域に住んでいること。
末期癌といわれたのはまだ半月前だということ。
近くの病院に入院したこと
時系列に説明し、最後には生活保護を考えていることも伝えた。

まずは介護保険や介護支援の仕組みについてお話をいただいた。正直まだこの時は父が介護が必要になるという実感がなかった。私がそんな気持ちだったのでヤバい状態の人だというのが伝わらなかったのかもしれない

「まずは入院しながら経過観察をしましょう。必要になったらまた連絡にきてください。介護保険の申請はいつ頃出せばいいかは病院の方に教えてもらうように手筈を整えておくといいと思いますよ。」と教えていただいた。
「こういった方が住まわれているということは登録しておきますね。生活保護は入院だと申請できないでしょうから息子さんが代わりに申請して進めてもいいと思いますよ」と手引きされた。

特に何をしてくれるわけでもないんだなというのが正直な感想だった。結局家族のけつは家族が拭くしかないのが現実なのだ。
私の話し方が何かを求めているわけではないことも感じ取ったのだろう。介護はまだ必要ではない、動かなくなったら手すりが必要、杖が必要、車椅子が必要。入浴介助や食事介助どれもピンと来なかったのだ。

生活保護の壁
兼ねてより父からは「何かあったら生活保護受けるから、お金の迷惑は掛けたくないから」といわれていた。私は何も考えずにそんなもんか。という浅はかは考えでいた。

実際に父が末期癌を宣告され、少し動くだけでもはぁはぁ息苦しくなってしまい、働けなくなって、月4万程度の年金収入では到底過ごせるわけもなく、収入の見通しがなくなってから本気で調べはじめた。そこには生活保護の知らない世界が広がっていた。

まず、手元に3万円程度にならないと申請すらさせてもらえないというような書き込みが腐るほど出てきた。国の財源が逼迫している中で、いわゆる申請をさせないことでの水際対策を行なっている自治体がいかに多いのか。
さらに調べればこれらは職員にそんな権限はないということもわかったし、扶養照会が親族になされるということだった。
扶養照会とは、要はこの場合は息子の私が父をお金の援助が本当にできないのか?を書面で問われるとのことだ。
この照会が親族に行くのが嫌で生活保護の申請をしないで苦しんでいる人が何人もいるとのことだ。

とんでもない話だと思った。不正受給の対策で本当に困っている人に申請ができないような状況を作っているこの制度が。

手元お金が10万あると、それが無くなったらもう1度申請に来てくださいと言われるらしい。
馬鹿だ。その先の収入がないのに手元が0になってから来いというのだ。
0になってから生活保護費が手に入るまでどう過ごせというのか。死ねというのと同義だ。

そんな情報は父はとっくに知っていたらしく、父なりに対策を考えていた。父は知り合いにも生活保護を受けている人がいた。その人も同じような情報を教えてくれた。

まず銀行のお金は少しづつ無くして手元に置くようにしていた。口座に残っているのは預金だからだ。父も口座からおろして持ってはいたが。。それも大した金額ではない。40万円程度だ。3ヶ月もすれば底をつきる。
扶養照会に関しても、扶養義務者へ照会を市役所がしないケースがあるという。
DVや10年以上連絡が疎遠の場合などだそうだ。

さすがにDVというのは良くないと思ったらしく、息子に金を無心されるという設定まで父は考えていた。

末期癌、余命半年、残金40万円で入院中。(正確には五百円玉貯金がなぜか20万円ほどプラスである。)そんな人間が生活保護を受けるために試行錯誤をしないと保護が受けられない制度なのだ。
国民のセーフティーネットが聞いて呆れる。

入院で動けないため、地域包括支援センターの方のいうように自分が申請に行こうかと父に打診したが、どうせ断られる。扶養照会もさせたくないから自分で行くとのことだった。

私は自分が扶養できないような状態であることを少し辛いと感じた。
少しでも援助するべきかとも悩んだ。
だか、結局半端な援助しかできない。全ての生活を支えることはできない。
自分の家庭の首を絞め、父も助けきれない。そんな状態になるのが目に見えていた。

私にできることは、父が生活保護申請をした後、保護を受給すると今の借家からはでないといけなくなるため、家の整理をし、荷を軽くしてあげることだった。生活保護を受けると家賃条件があるからだ。

もう父は1人では思い荷物は持てないし、ましてや粗大ゴミをまとめ、家の不要なものを大量に捨てるげんきもないのだ。

そもそも1人暮らしを続けられるのか。ケア病棟や施設へ入所した方がいいのか。。色々と将来の不安が掻き立てられた。

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