肺がんで余命半年の宣告を受けた父①

2024年10月7日 18:22
76歳の父から珍しく電話が入る。

「息が苦しくなって階段の上り下りだけではぁはぁ言ってしまう。
何かがおかしいと思い、近所の大きい病院に電話をしたら紹介状はないけど来ていいと言われて今日行ってきた。肺がんだってさ。」

ふ~んそうなんだ・・・くらいにしか思わなかった。
父はここ1年くらいでやめたがタバコはずっと吸っていた。年齢的にも別におかしいことではないと思っていた。

「今度の月曜日に今日の検査結果が出るから家族を連れてこいってことなんだ。すまんが頼むわ。」
この時点であ~多分やばいんだな・・というのは悟った。声も枯れている。
家族連れて来いって時点でもう何かしらまずい状態なのだろう。。
仕事は溜まりにたまっている有給を充ててしっかり1日休みにした。

父は一人暮らしだ。
母は私が4歳の時にがんで亡くなっている。
母の死後も父は再婚しなかった。
だが、私を男で一つで育てたわけではない。
私は祖母の家で幼少期を過ごし、週末は父と二人で自宅で一緒に過ごした。
月~金が祖母の家。土日は自宅。
ちょっと変わった生活だし、お金に余裕はない家庭だったが、私は十分に愛されながら育ててもらった。
父子の男二人暮らし。
私も決しておしゃべりな方ではなかったので、何でも話したような間柄ではない。だが別に寡黙な男というわけでもない。
喧嘩も別にした記憶もない。
どこにでもある普通の親子の関係だと思う。
私は大学卒業後、早々に仕事で転勤となり父子の暮らしは幕を閉じた。私の学費はパチンコで稼いだと言っていた。なかなかアウトローな親父だが、嫌いではなかった。

父はずっと働いている。がんになる直前まで働いていた。
65歳で定年後は、ドクターのドライバー職や、介護職までいろいろ生活をするために仕事をしていた。
年金で暮らせるほど収めておらず、年金も月に4万・2か月で8万円しかもらえない人だった。
働けなくなったら生活保護を受けようと常に言っていた。
生活保護の際は、親族が扶養できないかを確認される。
扶養証明が届いてもばっさり切ってくれと言っていた。
私も後ろめたさはあったが援助できるほどの家庭状況ではなかった。
子供4人を抱え、その上父の生活を養えるほど高給取りではない。
そんな父は、夢に描いていた生活保護で悠々自適な生活を楽しむ時間はないようだ。

10/21 09:00 父と病院で待ち合わせ。
父は早めに入っていたようで、既にレントゲン撮影を終えていた。
呼吸が苦しそうだ。普通にしているときもはぁはぁ言っている。
声も掠れてしまっていて、心なしか痩せた。

「肺に水が溜まってるんだよ。こないだは700ml抜いたんだけど。」

(え・・・肺に700mlも水って溜まるの・・・
700mlって500mlペットボトルの1.5倍くらいだよね・・・そんな量の水が肺にあるの・・・)

父とは他愛のない会話をした。
ごはんは食べているのか。
会社には連絡したのか。
待ち時間を会話で埋めることはできず、父はスマホでゲームをしだした。
と思えばニュースで大谷の活躍を読んだりして過ごしていた。
(ゲームなんてするんだな・・・)

診察を待っている間、手の甲をさする動作が多いことに気づいた。
スマホで調べると、心理的な不安・緊張と出てくる。
そらそうだよね・・・がんの結果だもんね・・・

午前9時からレントゲン~CT~採決と検査をしていく。
今日は検査結果を聞きにきただけじゃないのか・・・
なんだかんだで先生と対面できたのは10:30頃だったと思う。

「●●さん、どうぞおかけください。今日は息子さんが来てくれたのかな?」
はい、そうです。よろしくお願いします。

「生活はどうですか?どっか痛いとかある?食事はとれてる?」
胸はね、やっぱり常にずっと痛いよ。気にしないわけにはいかないくらいのいやな痛みがずっと続く感じ。いやらしい痛みだよ。食事はおなかはすくから食べてるけど量は減ったかな。

「仕事はしてるって言ってたけど?」
もう無理だな・やめるよ

「もう無理?そうかぁ・・・●●さんね、肺がんの検査はね、クラスV(ファイブ)っていって悪性のがんです。でね、肺がんにもいろんな種類があるんだけど、●●さんのは大細胞性内分泌腫っていって肺がんの中では珍しいがんだと思われます。うちでもレジメン(治療計画)の実績がないです。非常に進行の早いのが特徴で、自覚症状が出て気づいた時にはもう転移していることがほとんどです。●●さんの場合も例外ではなくて、肝臓に白い影あってね、おそらく肝転移している状態だと思います。そうね、何もしないともって半年ってとこだと思います。
がんの治療はね、手術による切除・化学療法・緩和ケアの対応があります。ただもう転移しているので根治を目指す治療は難しいです。化学療法やりますか?」

もうちょっと細かい話もされていた気もするが、大体こんなことを言われた。少し覚悟はしていたものの、想定よりも余命が短かった。。

こんな場面は正直想定していなかった・・・どうするもこうするもどうしたらいいのか最善の選択がわからない・・選ぶには情報が少なすぎる・・頭がフル回転しながら医者が続ける

「化学療法はね、人によって髪の毛抜けたり、食欲なくなったりします。」

化学療法という言葉に圧巻されていた。。
こんな場面でも、私と父が心配していたのは・・・お金だ。
もちろん命の心配もしているが、そんな治療に着手できるような財政状況なのかという貧乏性の魂が張り付いていた。


前述のとおり余裕はない。仕事もやめる父が「化学療法」という言葉から想像する治療費を払っていける気がしない。。それは父本人も感じていた・父から出た言葉がそれを物語っていた。

「それはいくらかかるの?」

「お金かぁ・・・どれくらいかわかる?」
医者は入院費などには詳しくないようで、若いナースに聞く
「高額医療療養費の対象になるかと思いますが、具体的にいくらというのはここでは」

高額療養費・・・
化学療法は高額療養費・・・
これで父も私も頭が真っ白になってしまった。

「ちょっとこの場では決められないからまた次の時にでもいい?」
「もちろんです。」

「それとは別に、まず胸に水が溜まってしまっているので、今日も抜いていきましょう。」
「お願いします。抜けるだけ抜いてください。」父が言う。
「全部が悪い水ではなくて、栄養も流れでちゃってるんですよ。なので抜きすぎて具合が悪くなってしまう人もいるので」
「わかりました。」

「それとね、胸に水がたまりにくくする手術もできるんです。肺の周りには胸膜があってね、この膜のなかに水が溜まって肺が膨らまなくなって息が苦しいんです。なので、この胸膜にノリみたいなものを張って、肺を張り付けて無理に膨らんだ状態にするんです。うまく肺が膨らんでくれないと成功しないんですけど、うまく膨らんでくれれば今よりずっと呼吸は楽になります。水をしっかり抜いてからやるので1~2週間くらいの入院になるとは思いますけど、どうします?やりますか?やるなら今週とかからでも。。」

「入院か・・・ちょっと考えさせて。。色々こっちもあるから。」
「わかりました。とりあえずでは今日は水だけ抜いてまた来週治療方針については考えましょう」

父は濁してはいたが、濁した原因は明らかだ。
1~2週間の入院の治療費に当てがないのだ。。


「緩和ケアや今後の心配を相談できるがん相談室が当院にはあります。相談してみますか?」
一人のナースが父ではなく、私に耳打ちで声をかけてくれた。
「はい、ぜひお願いします。

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