ムハッラム8夜目 アリー・アクバル様らの追悼
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名によって
おぉ、アッラーよ!祝福くださいムハンマド様を
そして彼の御一門を
そして彼らの救済を近づけてください
イマーム・フサイン様にサラーム
アリー・ブン・フサイン様にサラーム
イマーム・フサイン様の子供たちにサラーム
イマーム・フサイン様の支援者たちにサラーム
ムハッラム8夜目
アリー・アクバル様
彼を追悼します。
アリー・アクバル様はイマーム・フサイン様の御子息で、カルバラーの悲劇時には28歳程でした。カルバラーにおけるハーシム家最初の殉教者です。
イマーム・フサイン様の妻で
アリー・アクバル様の母ライラーليلىとは、
父がابو مرة بن عروة بن مسعود الثقفي、ライラーの祖父ウルワはクライシュ族の中でも高貴なことで注目された有力者で、何故彼のような人物にクルアーンが降されなかったのかと揶揄され認められる程です。
母がميمونة بنت ابي سفيان、マイム―ナの父はアブー・スフィヤーンです。そしてマイム―ナの母は ابی العاص بن امیهの娘です。
この通り、アリー・アクバル様は母方においてウマイヤ家に繋がります。その為にアーシューラーでは、ヤズィード・ブン・ムアーウィヤに合流するようアリー・アクバル様にクーファ総督軍から呼びかけがありました。
また、クーファ総督軍司令官のウマル・ブン・サアドからも身の安全を保障するから戦線を離脱するようにと申し入れがありました。
しかし、アリー・アクバル様は、
اِنَّ قَرابَةَ رَسولِ اللهِ اَحَقُّ اَنْ تُرعیٰ
唯一神の御使い様の親族が遵奉すること
それこそがより真実なのです
と、合流への呼びかけを拒絶なされました。
ウマル・ブン・サアドには、
اَنا عَلِیُّ بْنُ الحُسَیْنِ بْنِ عَلی نَحْنُ وَ بَیْتِ اللهِ اَولیٰ بِالنَّبِی
تَاللهِ لایَحْکمُ فینا ابْنُ الدَّعِی اَضْرِبُ بِالسَّیْفِ اُحامی عَنْ اَبی
ضَرْبَ غُلامٍ هاشِمیٍّ قُرَشی
我こそはアリー・ブン・フサイン・ブン・アリー
唯一神の家(カアバ神殿)に誓って、我々こそ預言者様に相応しく
唯一神に誓って、汚れた出自は我々を治めず
剣を振るい父をお助けしよう
クライシュ族ハーシム家の若き奉公人の打撃で
と、申し入れを斥けなさったのでした。
アーシューラーの日、
それは試練の中でも困難を極める試練でした。
預言者様ムハンマド様を除いて、
アーシューラ―以上の試練に晒された預言者は一人も存在しません。
それは、
午後の時間に近づけば近づくほど・・・
暑さは増し、
喉の渇きが
更に渇き、
肉体は疲弊し
目の前は黒く霞み、
その中で
親愛なる友人兄弟が
殉教する姿を見守り続ける
また、
残された女性たち子供たちの
苦しみと悲しみは増すばかり・・・
本来のイスラームへの呼びかけにも
クーファ軍兵士らの耳には封印がされて届かない
それは、
余りにも辛く、
残酷なものでした
時間が経つほどに
苦難が増したのでした・・・
ですから
イマーム・フサイン様は、
ハーシム家以外の支援者が殉教を果たすまで
ハーシム家の人々に
最後の最後まで出撃(=殉教)の許可を出されませんでした。
・・・
・・・遂にその時がやって来ました。
アリー・アクバル様は真っ先に出撃の許可を申し出ました。
イマーム・フサイン様は
彼の顔を眺めて、祖父である預言者様への郷愁の想いを満たします。
しかし、
それも、もはやこれまで・・・
アリー・アクバル様は
外見も内面も預言者様の生き写しでした。
まさに、
預言者様の生き写しである
アリー・アクバル様が戦に臨まれます。
彼は
戦場へと赴いたのでした。
暫く戦われた後、
父のイマーム・フサイン様のもとへ戻り、
武器の重さが苦難を増し、
喉の渇きで立っていられないと仰いました。
すると、
イマーム・フサイン様はこう仰いました:
直ぐに
あなたの曽祖父に会えます
預言者様は
あなたの喉の渇きを潤してくださいます
その後
あなたは決して喉の渇きに見舞われないのです
アリー・アクバル様は
再び戦場へと駆け出して行かれます。
そして、
遂には彼の頭上へ
ムッラ・ブン・ムンキズمُرّة بن مُنْقِذの痛恨の一撃が振り下ろされます。
そこに一斉に攻撃が加えられました。
最期に
アリー・アクバル様は仰いました:
サラーム
あぁ、お父さん!
私の曽祖父は預言者様です
杯に一杯の水で私を潤してくださいました
そして仰るのです:
我々の方へ急ぎなさい!
イマーム・フサイン様は
殉教を遂げたアリー・アクバル様の亡骸の前にやって来ると、
彼を殺害した一団を呪われました:
قَتَلَ اللّهُ قَوْماً قَتَلوک
唯一神が
あなたを殺した彼らを
殺すのです
それから
続けられました
عَلَی الدُّنیا بَعْدَک الْعَفا
あなたを亡くした後
この世に一体何の意味が?!
ザイナブ様も
アリー・アクバル様の亡骸目掛けて戦場へ駆け出されます。
イマーム・フサイン様は
妹ザイナブ様に思い遣りと敬意を込めて
宿営地のテントへと連れ戻されます。
しかし、
ザイナブ様は耐え切れず、
再び戦場に横たわるアリー・アクバル様の亡骸目掛けて飛び出されます・・
そこには
まさに
預言者様の生き写しが・・・
その後、
イマーム・フサイン様は
預言者様の御一門の若者たちに
彼の亡骸を宿営地のテントまで運ぶように仰ったのでした。
لسَّلاَمُ عَلَی الْحُسَینِ
وَ عَلَی عَلِی بْنِ الْحُسَینِ
وَ عَلى اَوْلادِ الْحُسَيْنِ
وَ عَلَی أَصْحَابِ الْحُسَینِ
アーシューラーの巡礼祈祷のعَلِی بْنِ الْحُسَینِとは
アリー・アクバル様と言われています。
これには幾つか理由が示されてます。
➀
زیارت وارث、
زیارت عاشورای غیر معروفه
زیارت مطلقه امام حسین عليه السلام
の巡礼祈祷にある、علی ابن الحسینの後ろに殉教者شهیدという渾名が来ます。この渾名は4代目イマーム・サッジャード様に関する巡礼祈祷や他の祈祷集には登場しません。
②
جابر بن عبد اللّهのアルバイーンの巡礼祈祷には
" السلام على الارواح المنیخة بقبر أبی عبد اللّه"とあります。
そして、アーシューラーの巡礼祈祷とはカルバラーで殉教した人に限定した捧げられる巡礼祈祷なので、そこで殉教していない4代目イマーム・サッジャード様は含まれません。
③・・・
しかし、私はイマーム・サッジャード様のことだと思っています。
イマーム・フサイン様の3人のعَلِی بْنِ الْحُسَینِ
つまり、
アリー・アクバル様
イマーム・サッジャード様
アリー・アスガル様
この3人の可能性がありますが、
イマーマトの継承とそれに対する忠誠の誓いの意味もあるのではないか?
そして、真っ先にこの巡礼祈祷でعَلِی بْنِ الْحُسَینِと聞いてしっくりくるのが、4代目イマーム・サッジャード様だったからです。
このことは、もう少し掘り下げて調べてみようと思います。
典拠
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علی اکبر
لیلی بنت ابی مرّه بن عروه بن مسعود ثقفی
بانوی زهد و فضیلت؛ لیلا، مادر حضرت علی اکبر علیه السلام
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