叡智の小窓 新年(ノウルーズ)53言目
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名によって
おぉ、アッラーよ!祝福くださいムハンマド様を
そして彼の御一門を
そして彼らの救済を近づけてください
新年(ノウルーズ)
イマーム・サーディグ様(彼にサラーム)は仰った:
如何なる新年(ノウルーズ)もない
我々がその日に(カーイムつまり預言者様の御一門から蜂起する者の)顕現を待望する以外は;
なぜなら、
新年(ノウルーズ)は我々の日からであり
我々のシーアの日であるから
訳者コメント
よく、イスラーム太陰暦のムハッラム月を1月と捉えて新年とする人々がいるが誤りである。
確かにムハッラム月を迎える際にヒジュラ太陰暦の年数が増える。しかしこれはアラブの昔からの慣習に従った方法である。つまり、巡礼が終わることで巡礼者がいなくなり、迎える側のマッカの人々も商売に戻る月がムハッラム月であり、この月を年代わりの月とした慣習が昔のアラブにはあった。
元々マッカからマディーナへ遷都(ヒジュラ)があったのは預言者様が召命後13年目のラビーゥ・ル・アッワル月であり(تاریخ طبری, ج3، ص923)、本来ならこの月を新年とすべきであるが、そうはなっていない。
その理由は、
イスラームがローマ帝国やサーサーン朝ペルシャと条約を締結したり、税金や人頭税(ジズヤ)の公布などを行う際に、暦の必要性が増した。二代目カリフのウマルはその必要性から会合を開き、意見を募った。アミール・アル=ムウミニーンであられるイマーム・アリー様は、預言者様が遷都(ヒジュラ)された月を暦の始まりにするよう提言し、多数がそれに賛同した。しかし、二代目カリフのウマルは無明時代のアラブの慣習を持ち出し、ムハッラム月を暦の始まりと制定した。これにより、預言者様が実際マディーナへ遷都した日よりも2カ月と12日早いものとなってしまった。
シーアについては以下の記事をご参照ください↓
典拠
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حضرت امام صادق عليه السلام
ما مِن يَومِ نَيروزٍ إلاّ و نَحنُ نَتَوقَّعُ فِيهِ الفَرَجَ لأِنَّهُ مِن أيّامِنا و أيّامِ شِيعَتِنا
هيچ نوروزی نيست مگر آنكه ما در آن روز منتظر فرج [ظهور قائم آل محمّدصلي الله عليه وآله] هستيم؛ چرا كه نوروز از روزهای ما و شيعيان ما است.
📚مستدرك الوسائل ، ج ۶ ، ص ۳۵۲
نذر_همدلی
برای ظهور همدل باشیم
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