人の顔が覚えられない


今日も人の顔を間違えました。かなり激しく間違えました。
仕事で、仲良しの同期を見つけたと思って話しかけたら全然知らない女の子でした。馴れ馴れしく「久しぶり〜♡てか髪切った?いやん♡カワイ♡似合〜う♡」と話しかけた後トイレに行って出てきたら「すみません、わたし、髪切ってないんです…昨年末に入社したばかりで、初めてお会いします…」と、大変申し訳なさそうに頭を下げられました。

研修前に突然変な三十路女に絡まれた新人の女の子の気持ちを考えると胸が痛い。そして、研修中励まし合った同期の顔さえあんまり覚えてなかった事実に、わたしはかなり驚きました。人の顔の解像度が低すぎます。

かなり驚きましたが、これは珍しいことではありません。昔から人の顔を覚えられないし、間違えました。
子供の頃、テレビを見ていても映っている人の顔を識別できませんでした。親がテレビを見ながら芸能人のどうのこうのを話すのを見て、大人になれば人と人の見分けがつくものなのかと思っていましたが、どうもそうではないらしい。
まわりの子達がモーニング娘。の話をしていてもわたしにはその魅力が具体性を帯びませんでした。誰が誰なのかよくわからなかったからです。

興味がないから見分けがつかないのか、見分けがつかないから興味が湧かないのか。

人を髪型で識別すれば髪型が変わった時にもうわからない。
子供の頃は顔の区別がつかずにアイドルの話題に入れなかった。
中学生では国語の先生と数学の先生を間違えて質問をしてその後卒業までの6年間その話をこすられ続けた。
予備校で友人に話しかけたと思ったら初対面の子だった。
電車の中で知らないお姉さんに話しかけられたと思ったら半年前まで共に学び、酒を酌み交わしたクラスメイトだった。きょとんとしてたら怒られた。
販売員になり、勤めている百貨店の専務が店に来るたびに「いらっしゃいませ!」と言ってこれもかなり怒られた。怒られた、と言うか店長に、「石川さん、専務の顔覚えてないのは、ちょっとやばい。」
とドン引きされた。専務とは、その時ですでに3回ほど顔を合わせていた。
転職した先でも会社の偉い人に「いらっしゃいませ」と言いそうになったところを後輩が先に「お疲れ様です!」と言ってくれたおかげで命を救われた。

これは仮説ですが、他人の顔の解像度がもう少し高ければ、わたしはもう少し他人を好きになれるんじゃないかと思います。母や身近な友人はわたしのことをアロマンティックかアセクシャルらしいなと認識していますが、わたし自身はそうではないと思っています。しかし、他人に恋バナを振られると、平均よりも他人を好きにならない自分を発見する。
他人の識別ができないから、誰かを特別好きになることも稀なのではないでしょうか。

販売員で、どうやって常連客を識別したかというと、
・絶対に忘れてはいけないお客さんは接客をしながら体型、容姿、声、会話の内容特徴をキーワードにして顧客カードに書き込む。
と言うことをしていました。
髪の様子、目の色、体型。わたしは紳士スーツの販売員だったため、体型で覚えるのはかなり効果的でした。

撫で肩/怒肩、腕の長短、ウエスト周りの肉付き、左右の肩の傾き具合、首の太さ、スーツを着た時の皺の様子などは顔以上に記憶に残ります。

あとは会話の内容、話し方も記憶に強く残ります。株の話ばかりする人、囁くような声で話すから聞き逃さないように注意が必要な人、下世話な話ばかりする人。その人の発する言葉の癖や発声が記憶のトリガーを引いてくれることもあります。
顔は思い出せないけど、その人のスーツを仕立てるために書いたオーダーシート(採寸表)の数値や補正内容(股下74センチ、袖丈64センチ、撫で肩補正、等)は思い出せる、ということもありました。

必死に顧客カードを書き、体型とおしゃべりの内容をリンクさせ、それでも似た体型の人を間違えて話を進めようとしたこともあります。全然違う人に「この間預かってたジャケット、お直し終わってますよ」と話しかけて「は?」という顔をされました。

そのまま引き渡さなくて本当に良かった。

ここまで書いておいてなんですが、本来、わたしは接客業に向いていない人種だと思います。早くやめた方がいい。

映画「攻殻機動隊ghost in the shell」は「体の全てが電子機器になり、記憶も書き換え可能な時代で、何が自分を自分たらしめるのか」というテーマでしたが、この日記で言いたいのは「他人の顔を失認するわたしが、何を持って他人の同一性を認知しているのか」という話です。というか、「他人の顔を失認するわたしが、結構努力してるけど全然他人の同一性を認知できていない」というずっこけ話です。
同期を間違えたあの一瞬、わたしは同期を「場所」「体のサイズ感」「メガネ」の3点でしか把握していなかった。銀魂の1エピソードみたいな人間です。
こんなわたしだから、両親を豚に変えられたとしても、なんとなくこいつかなぁと全く違う豚を2匹指さして湯婆婆に爆笑されるかもしれない。

30年生きてきて、こんなに赤っ恥を重ねているんだから、そろそろ「あなたは相貌失認症ですよ」という証明が欲しい。しかし、「我は相貌失認症でござい!」と名乗り挙げたところで、薬で治療するわけでもないだろうし、どうにもならないことを考えると、病院に出向いて検査をして時間とお金をかけて「あなたは相貌失認症です」という判子をもらうことになんのメリットがあるのでしょうか。しかもそんな手間暇かけて検査した結果、「いや、人の顔覚える気がないだけですね」と鼻で笑われたらわたしはもう立ち直れない。なので今後も相貌失認症の検査はしないだろうと思いますが、この日記を読んだ知人各位には、「石川は人の顔を覚えられない」ということ、そして、世の中にはこんな人もいると言うことを心の片隅に留めておいていただければ幸いです。わたしが相貌失認でなかったとしても、相貌失認の人は世の中100人に1人の割合で存在しているらしいので…。かなり大変な思いをして社会を生きているので………。

おわり

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