【拳士の回生】2
ヴァン・リユウがナットに助けられてから、数日が経過した。リユウは持ち前の膂力を活かして、下層の共同体を手伝う日々を送っていた。主な活動場所は、管の中に設置された作業場である。
下層で暮らしていたのはナットとプーリだけでなく、老若男女、合わせて16人のコミュニティで成り立っていた。ナットが管理者で、他は全員従業員だ。上層にジェムを送る仕事だけでなく、この下層で暮らすための家事もまた彼らの仕事であった。いずれにしろ、リユウの尋常ならざる膂力はどちらにとっても頼りになるもので、数日のうちに彼らにリユウは受け入れられていた。
また、彼らの組織名をリユウは教えてもらった。ラインズツリーの全域を支配する組織の名を、J.U.N.K.Sといった。ラインズツリーを守る誇り高い自警団である……そのようにプーリは興奮して語った。一方で、ナットはこれをチンケなギャンググループだと自嘲気味に笑って言った。
「昔は色んな世界を巡ってなぁ……乱暴なこともしたんだけどよ。でもあン時は楽しかったな。ボスも、皆も笑っててよ……」
ナットは思い出に浸るように言った。
「今は旅はしてないのか?」
「してねえ。ちょうど立ち寄った場所で色々あったんだ。それっきりツリーの防衛に専念しようって事になってさ……もう、随分前の話さ」
意味深な言葉に何かを言いかけたリユウだったが、
「さあて、今日の仕事もやっちまおうぜ」
ナットに遮られたことで、リユウは渋々と言葉を吞み込んだ。
「タックル達はまだ来ていないのか?」
管内の作業場にて。この日、リユウとナット含め8人の作業者がいる予定であったが、開始時間にいたのは5名であった。タックルというのは、この場にいない3人のうちのリーダー各の名前だ。
「あー。あいつら、また寝坊ですよ」
告げ口したのはプーリだ。ナットは頭を掻いた。
「またか……今度やったら上層に送り返してやろうか」
「勘弁してくださいよ。ナットさん」
すると、金属の扉を強引に押し開け、三人の男がゾロゾロと入ってきた。噂をすれば、の人物たちである。先頭の肩幅のあるゴーグルの男が件のタックル、後ろに続く耳の長い男たちのうち、眼鏡の方がシーブ、背の低い方がボロックであった。
「上との環境差にまだ慣れないんすよ。それに、男手が減ったら他のみんなが困っちまうでしょ?」
タックルが尤もらしい言い訳を並び立て、シープとボロックがにやにやと笑った。
「今はこのリユウがいるからな。コイツは遅刻もしねえ、お前らよりよっぽど従順に働いてくれるぜ」
一方のナットは、リユウの肩を軽く叩きながら毅然と言った。
「へっ、そいつはツリー外の余所者だって聞きましたぜ。いつ勝手に出ていくかもわからねぇ。信用しすぎねぇ方がいいと思いますがね」
「忠告どうも。だが、そんなことより時間が押してんだよ。ノルマが達成できなくて、供給が減ったらお前ら責任取れんのか? あ? とっとと持ち場につきやがれ」
「へい、了解しましたぜ」
タックル達はにやにや笑いを止めぬまま作業についた。ではおれも、と自分の作業に取り掛かろうとするリユウだったが、ナットが近づき、小声で囁いた。
「アイツら、上層であぶれた厄介者でな。下層で手っ取り早く成果を上げて、魔札使いになりたいって目論んでるようなんだ」
「実際にそういう話はあるのか?」
「ウチにそういう制度はねぇよ。だが、連中が信じてるってのが厄介なんだ。あいつら、今はお前が注目されてるからって、立場が脅かされてると焦ってるみたいでな。いいか、本来お前に頼むことじゃないんだが、妙な発言をして刺激しないように注意してくれよ」
「……心得た」
リユウは気取られない範囲で彼らを注視していたが、幸いにもその日の労働中に問題が起こることはなかった。二、三度彼らと話すことはあったが、作業上必要なものであり、挑発されたりなど、際立って問題のある発言はなかった。
(…………)
だが、それでもリユウは彼らの……特にタックルの瞳に宿る野心の火を見逃してはいなかった。
「タックルという男たち……放っておいても大丈夫なのか?」
その日の夜、リユウはナットに尋ねた。監視の名目もあり、彼らの寝室は同じ管の中にあった。天井に取り付けられた照明が放つ仄かな光が、ベッドに転がるナットと、壁を枕替わりにもたれるリユウの姿を僅かに照らしていた。
「危なっかしい奴らだってのは把握してる。それでも、成果を出すことがモチベーションになってる限り、仕事はしてくれてるよ」
ベッドで寝そべりながら、ナットが答えた。
「ああ見えて、暴力沙汰なんかは起こしたことがないんだ。だから、今のところ黙認してる。もちろん、目に見えて問題を起こせば即刻上層送りだがな」
「上層か……」
部屋の隅に張られたツリーラインズの絵図には、詳細が細かく描かれている。文字は分からないが、描かれた絵からリユウは想像を膨らませていた。
「上層には、随分とでかい町があるんだな」
「クラウンシティだ。このツリーラインズ唯一の大都市。デッケェ魔札の生産工場があって……食料なんかもそこで生産してる。ツリーの生産のすべてを賄ってる、まさに心臓部だな」
「おまえもクラウンシティとやらから来たのか?」
ややあって、ナットが答えた。
「確かにJ.U.N.K.Sの本部もクラウンにあるし、俺はそこから来たんだけどよ……ややこしいんだが、もともと俺の生まれはこの下層なんだ」
「そうだったのか?」
リユウはナットを見た。彼は辛さと心地よさ、両者が入り混じった思い出を想起しているようだった。
「当時は世界がこんな風じゃなくて、地下資源が豊富にあったんだ。それを管を通して上層に押し上げるのが俺たちの仕事だった。今とは比べ物にならねぇくらい、ひでぇ待遇だったぜ。危険な連中がうじゃうじゃいてさ、信じられねえだろ? それに、見返りの物資も年々減らされる一方だった。管が閉じられてるから、上層には勝手に行けねぇしさ」
リユウはあのゴミ山が緑に満ちている姿を想像しようとした。が、上に伸びる機械の管がどうしても新緑の景色と相いれず、頭の中でミスマッチを起こした。その情景は、もはやナットの記憶の中にしか残っていないのだろう。
「そんな日々が続いて……ある日突然、とんでもない量のゴミの山が下層に押し寄せてきた。上からの連絡と物資もすべて途絶えた。何もかも終わっちまったんだ」
「…………」
「食料の備蓄なんて大した量じゃねえし、日に日に飢えて死ぬときが近づいてくる中で、最初に声を上げたのがセプウ……今のJ.U.N.K.Sのリーダーだった。いつまでもこんな下層に留まってないで、一番上に行ってやろう。ふんぞり返っている偉そうな奴らの座を奪ってやろうってな」
ナットは、力強く拳を突き上げた。
「管を登るのは大変だった。命綱になるようなもんもねえし、何人も落ちて死んだ。それでも、俺たちはどんどん上に登って行ったんだ。途中途中連中のコロニーがあったんだが、どこも上層から見捨てられてて機能停止しててさ。制圧するのは容易かったし、同調してくれる奴らもいた。そんなこんなで仲間を増やして、最終的には……」
「革命か」
リユウの言葉を、ナットが肯定した。
「そう、当時の市議会って連中を全員追い出してやったんだ。アイツら、俺たちが来ることなんて全然想定してなかったみたいでさ。最後は呆気なく、クラウンシティを手に入れたんだ」
突き上げた拳を、ぎゅっとナットは握りしめる。
「……と、まあ新しい支配者になったわけだが、じゃあお前らは要らないって町の人たちまで追い出すわけにはいかないだろ。自分たちが飢えなくなったからって、別の奴らを飢え死にさせていいわけがねぇ。だから町を、ツリー全体を統治する必要があって、俺たちは無い知恵をかき集めて組織を作った。そうやってJ.U.N.K.Sができたんだ」
「そうか……」
今度は、リユウの中に懐かしい記憶が溢れた。
「おれも……おれの故郷も、昔はひどい圧制者がいたんだ。戦う才のない男は死罪、それを産んだ女も死罪、そんな国だった」
「マジか……滅茶苦茶ヤバいな」
「ああ、狂っていた」
リユウは天井を見上げた。淡く発光する照明が、故郷で見た日の光と重なって思えた。
「抵抗することに決めたおれは、その日から死に物狂いで戦った。役人や将軍、軍隊を相手に何度も拳を振るって……そうしてるうちに、いつの間にか仲間が増えていった。運よく抵抗軍と合流できて、最後はみんなで帝城に乗り込んだんだ……」
「……マジか」
ナットは感嘆の声を上げた。
「俺たち、似た者同士だったんだな。信じられねえ……シンパシー感じるぜ」
「おれもだ。さっきまでの話を聞いて、他人とは思えなかった」
心から、リユウはそう思っていた。
「だが、一つだけ違うところがある」
「……? なんだよ」
「………………死んでしまったんだ。おれの仲間は。その戦いでただ一人、おれは生き残った」
噛み締めるように男は言った。悲痛さに耐えきれなくなったとばかりに、照明は役割を放棄し、不意に暗闇と沈黙が部屋を包み込んだ。悲しみの記憶の中に、リユウの意識は沈んでいった。